第19話 はぐれ者と貴族
「塵も積もれば山となる」
この言葉の大切さを理解している者は大勢いるが、実際に目にする機会はあまりない。どちらかというと戒めの言葉として用いる場合が多い。
しかし、ラルフという男はそれを体現させた。
日々を生き延びるだけで精一杯のはぐれ者が、開拓者になるための1000Jを自力で稼ぎ出したのだ。しかも2度。
どれだけ貧しい思いをしようが、どれだけ嘲笑われようが、ラルフは前を向き続けた。全ては開拓者になるために。
ラルフは昨日の回復草の買取り額、3Jをポケットに詰め魔界へと向かっていた。
今日の活動は金の隠し場所へ行き、その金を回収すること。
そしてその金を持ってギルドへ向かい、開拓者登録をすることであった。
悲願の開拓者。それが実現する。
前回は孤児院に住む子供たちに金の事を話していたが、そこからほころびが生じ、金を奪われる事態が起きてしまった。そのため今回は用心して伝えていない。
また、金の隠し場所も定期的に移動した。
今、ラルフは金の隠し場所を西の森に移していた。この場所は正直あまり足を踏み入れたくない場所である。
だがそれは他の者も同様である。新人開拓者及び開拓者になれない者たちは西の森には近づかない。なぜならゲートからもある程度離れ、危険度もそれなりに増すためだ。
もっともラルフに至っても奥へと足は踏み入れない。ゴブリンなどの魔物たちの住処でもある。そのため、なるべく森の浅い場所且つ分かりにくい場所へ金を隠していた。
ラルフは警戒しながら森へと足を踏み入れる。無論これは魔物に対して警戒しているのではない。近くに他の人間がいないか最大限の警戒をしていた。
今日はこちらの警戒心が高いと言っても過言ではなかった。前回のように奪われてはたまったものではない。
ラルフは誰にも見つかることなく金の隠し場所である1本の木にたどり着く。
この木には小動物が寝床にしそうな「うろ」があった。
ラルフはそのうろの端、視認できそうにない場所に金の入ったビンを隠していた。加えてうろの入り口は狭く、ラルフのような華奢な体でないと腕は入らない。必然的に男たちは手を入れることは出来ないのだ。
ラルフはその細い入り口に自分の細い腕を無理やり通す。
「…取れた!」
ラルフは金の入ったビンを無事取ることが出来た。
ビンの蓋を開け、そこに昨日稼いだ3Jを入れる。
「よし、これで1001Jあるはずだ」
ラルフはビンの蓋を閉め、それをボロ袋の中へと入れた。
「戻るか」
そう思った時ラルフはすぐ近くに回復草が生えているのに気づいた。
今日は開拓者に登録する以外何もするつもりはない。一刻も早くギルドへ向かいたい。しかし、途中で変な輩に絡まれるかもしれない。
(絡まれた時のために草をいくつか採取しておいた方がいいのかもしれないな)
ラルフは短い時間で手早く回復草を20本採取し、ボロ袋へと入れる。
「よし、今度こそ戻ろう」
ラルフは足早に森を出た。
森を出たラルフはひとまず自分が安全圏と思える場所まで移動することが出来た。これで魔物に襲われる心配はない。後は人間に対してのみ注意するだけである。
いつも通り早朝に魔界へ来たが、かれこれ2時間は経過している。そろそろ他の開拓者たちも活動を始める頃である。
平静を装いつつも最大限の警戒をしながらゲートへと向かっていた。
ラルフは数少ない見知った人間以外信用はしない。なぜならスラムはそのような場所であり、そのように生きることを強いられるからだ。
隙を見せれば奪われる。隙を見せた者が悪い。
こんな状態で見知らぬ人間を信用しろと言うには無理があった。
ゲートに戻る途中、他の人間を見つける度に不安を覚える。目が合う度に緊張が高まる。自分の金を奪いに来るのではないかと。平静を装っているが頬に汗が伝い、呼吸は荒くなっていた。
もちろんこれは金を抱えているからである。この金を持っていなければそれほど気にはしない。
だが全てラルフの取り越し苦労に終わった。ラルフを襲おうとする者はおらず、無事にゲートまで戻ることが出来た。
ゲートをくぐり、無事にアルフォニアまで戻ることが出来たラルフ。ここまで来ればギルドは目の鼻の先にある。
ラルフは安堵の息を吐き、その目の鼻の先にあるギルドへと向かう。しかし、何事もなくギルドへ入る事は出来なかった。
「おい、そこのお前」
「————!」
背後から声が掛かる。
ラルフはその声に全身を強張らせる。
必死に呼ばれたのは自分ではないと言い聞かせる。
「そこのお前だ、汚いの。ドブネズミ…お前だ」
ラルフは全身から汗が噴き出すのが分かった。
「汚い」「ドブネズミ」、そう言われれば十中八九…嫌、十発十中自分のことを指している。
思いっきり眉間に皺を寄せるラルフ。不幸の星の下に生まれた自分を呪いたくなった。
(なぜ今日なんだ?なぜ今なんだ?なぜ俺が絡まれなきゃいけない?)
ラルフは恐る恐る声のする方向へ顔を向けた。そこには貴族のロンと護衛2人がいた。
ラルフは同じスラム出身の者ではないことに少しだけ安堵する。
(貴族なら1000Jなどはした金に等しいだろう。でもなんでそんな奴が俺に声を掛けてくるんだ?)
ラルフは緊張を悟られないよう尚且つ敵意を向けないように反応する。
「…俺のことか?」
「おい、こいつドブネズミで本当に反応したぞ」
ロンは護衛たちに笑ってみせる。
「えぇ、しっかり自覚しているようですな」
3人の品のない笑い声が周囲に響く。その笑い声に周囲が反応し目を向ける。
一方ラルフは周囲が反応した事に対し、心の中で舌打ちをした。金を持っているラルフとしては目立ちたくないからだ。一目散にこの場から離れたい。
「悪いが少し急いでいるんだ。行ってもいいか?」
「まぁ待てよドブネズミ。せっかくここで出会えたんだ。少し話をしようぜ」
不敵な笑みを隠そうともしないロン。
ラルフはその笑みを見て、これから自分にろくでもない災難が降りかかろうとしていると危惧する。
「…用件はなんだ?さっさとしてくれ」
貴族という難しい生き物の気分を害さないよう気分を害さないよう努めはしたが、ラルフは自分が焦っていることを隠し通すことが出来ず、それが素っ気ない態度になってしまった。
加えてラルフは敬語を使っていない。
一般的に平民は貴族に対し、敬語を使う。しかしラルフにその一般は通用しない。
なぜならラルフに向けられる目は、いつも蔑んだ、見下した目をする者ばかりで、今目の前にいるロンもそんな目でラルフを見ていた。
ラルフは間違ってもそんな輩に敬語を使う事はない。王族だろうが、貴族だろうが関係ない。
ラルフが敬語を使うのは、イリーナのような信頼し、尊敬できるような人物だ。
以外にも、ロンはラルフが敬語を使わない事で腹を立てることはなかった。
自分の立場が明確に上であり、圧倒的強者であると自負していたからだ。その上、ラルフの小さな体を見て子供だと思ったのだろう。
実際はロンとラルフは同じ年齢なのだが、見た目では全くそんな事は分からなかった。
それ故にロンは腹を立てる事はなかった。
しかし護衛たちは違った。
「おい、なんだ坊ちゃんに向かってその口の利き方は。本来お前のような者が話しかけられるような立場じゃないんだぞ」
わざと持っている剣に手をかける仕草をしてラルフを威圧する護衛1。
ラルフはそれを見て距離を取る。
「おい、こいつびびってら」
嘲笑う護衛2。
「おい、止めないか」
ロンは護衛たちを手で制す。
意外な行動に少し驚く護衛たち。
「お前たち、忘れたのか?こいつはドブネズミなんだぞ?敬語の必要の有無が分かるわけがなかろう」
ロンは高笑いを始める。
「そうだった。こいつはドブネズミなんでした。おう悪かったなドブネズミ」
釣られるように護衛たちも笑い出した。
そうしている間にも周りの注目はさらに集まる。足を止めてロンたちのやり取りを見ようと野次馬が集まり始めた。
ラルフはこの状況に危機感を感じていた。
それは以前、ギルド内で盗人と騒ぎが起きた時の事だ。無実であるにも関わらず、身なりが汚いという理由だけで容赦のない、突き刺すような鋭い目がラルフに降り注いだ。
そのような状況がこのギルドの前で再度起きようとしている。
ギルドは金さえ払えば誰でも開拓者になれる。しかし、金を払う前に奪われたり、言いがかりを付けられたりして衛兵に捕まれば全てが終わる。その事態だけは絶対に避けたかった。
この場を何事もなく脱出する、それが一番大切だ。たとえどれだけ罵られようと。
ラルフは焦りや怒りを極力顔に出さないように努める。
そして抑揚のない声で平然を装いながらロンに答えた。
「気は済んだか?」
ここで初めてロンは顔をしかめた。バカにしても食ってかかろうとせず、平静を装っているラルフが気に入らなかった。
改めて先日のシンシアの誕生日パーティの件の失態を思い返す。
目の前のドブネズミの話題を出し、バカにしたことで明らかにシンシアの機嫌が悪くなった。
ラルフは何も悪くない。
しかしロンという何不自由なく、ほぼ意のままに暮らすことが出来た男は、シンシアの気分を損ねた非は自分にはなくラルフにあると思っていた。それほどまでに性格が捩じれてしまっていた。
「それにしても今日は随分と魔界からの帰りが早いじゃないか?もう今日は店じまいなのか?」
「別にこっちの勝手だろ。もういいだろ、急いでいるんだ」
「まぁ待てって。同じ開拓者同士情報交換しようじゃないか?それで今日は何を取って来たんだ?」
ラルフはここで迷った。
「開拓者ではない」と答えれば、きっとなぜギルドに入ろうとしているのか疑いをかけられるだろう。
荷物を調べられビンに入った金の事を問いただしてくるだろう。そして最終的に金は没収される。
ラルフが何を言おうが関係ない。
ラルフが正しかろうが関係ない。
関係ないのだ、全て。
はぐれ者が1000Jという金を持っている時点で異常事態だと勝手に決めつけられる。
そしてラルフは連行される。そこにはラルフの意志や意見は反映されない。
全てが水の泡と化す。
そうならないためにも、ここは何としてでも簡潔且つ穏便に終わらせる必要がある。
幸い、ボロ袋の中には回復草がある。この事を言えばよい。
(回復草を採取してきて正解だった)
ラルフは念のために回復草を採取しようと選択した自分を褒めた。
「回復草を採取してきた」
「はっ、ご苦労なことだな。俺はそんな物採取したことがないからな。参考までに見せてくれよ」
ラルフは必要以上に絡んで来るロンがとても煩わしく思った。
だが反抗すればさらなる面倒事が起きると思い、素直にボロ袋から回復草を取り出し、それをロンに渡した。
「ふ~ん、これがそうか。おい、これは回復草で間違いないのか?」
護衛1に確認を取るロン。
「はい、間違いないです」
「で、これでギルドではいくらで買取ってもらえるんだ?」
ロンはラルフに問いただす。
しかしこの問いにラルフは焦る。なぜならラルフはギルドで買取りをしてもらったことがないのだから。
「…1本じゃ買取ってもらえない。10本でまとめて買取ってもらえる」
ラルフは普段買取りをしてもらっている店の内容を伝えた。
「それでいくらで買取ってもらえるんだ?」
ラルフが通う店での買取りは10本で3J。
ギルドでの買取り額がどれほどのものなのか?
ラルフは必死に考えた。
(あっ!)
ラルフの表情が一瞬だけ眉と目が動く。
思い出したのだ、ギルドでの買取り額を。
およそ1年前、新人のペアの開拓者たちが回復草の買取り額のやり取りをしていた。
「…10Jだ」
ラルフは焦る気持ちを抑え、なるべく冷静に答えた。
ロンは護衛たちに確認を取る。
「えぇ、間違いありません」
護衛2が答えた。
護衛の2人はこの仕事に就く前は開拓者としても活動していた。
そのため、回復草の買取り額は知っていた。
ラルフは護衛の「間違いない」という答えを聞き、内心ほっとしていた。
上手く対処出来たと思っていた。
しかし、ロンはラルフの不自然さを見逃さなかった。
この男は人の粗を探すことに非常に嗅覚が優れていた。
先ほどから自分たちに絡まれ、ラルフが嫌がっているのは知っている。こちらがコケにしようともこちらが望んだような態度は見られなかった。
だが今の慌てる反応は明らかに痛いところを突かれていると反応をしている。回復草の買取り額を聞かれ、焦っている様子。そして必死に買取り額を思い出そうとしている姿。
冷静さを装っていたが、若干早口になっていた事。
そしてロンは口を開いた。
「なぁ、お前の開拓者の登録証を見せてくれよ」
ロンはまた不敵な笑みを浮かべていた。
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