開拓者に向けて
第17話 汚れた男と汚れない男
―1年後—
「よし、行くか!」
夜明けと共にラルフは魔界へ向けてゲートをくぐる。いつものようにボロを身に纏い、ボロ袋を肩に下げて。
この1年でラルフに変化は特にない。いつも通り、一目見ればスラム出身者だと分かるような身なりだ。
一度、平民の一食分程度の10Jで靴を購入したが、中古のため最初から随分と汚れていた。さらにこの1年でラルフが履き潰したことにより、今にもその役目を終えようとしているような状態だった。
変わったとすればラルフは1つ歳を取り、16歳となった。しかし相変わらず彼の外見に変化はない。
必要最低限も食べられない状態を過ごす日々。道端に捨てられた腐った食べ物、草や時には虫を食らう日々。ドブネズミのように泥をすすりながら生きて行くスタイルに変わりはない。
当然周りの環境も変わることなく、相変わらずドブネズミのラルフと呼ばれ、嘲笑われていた。
しかしどんな罵声を浴びせられようとラルフは強くあろうと前を向いた。
母に託された「生きて」という言葉を心の支えにして。
暗い海の底に唯一届く、一筋の光。
そこから浮上するために、ラルフはもがき続ける。
魔界にたどり着いたラルフ。
しかし、今日はいつもの薬草採取を行っていなかった。
ラルフは木の上で気分良さそうに歌をうたう小鳥たちを狙っていた。小鳥の名はハミングバード。鳴き声がきれいで貴族たちに人気があり、高額で取引されている。今日はこれを狙っていた。
ボロ袋から武器と呼ぶには少々心許ないが、自作したパチンコを取り出す。
そして一羽のハミングバードに向けて石を放つ。
当然、ハミングバードはその石を避けて飛び去って行く。
「ちっ、ダメか」
しかしラルフの目当ては小鳥たちではない。小鳥たちの巣の中にある卵が目当てだった。
ラルフは木によじ登る。そして巣の中には3つの卵があった。
「全部はかわいそうだからな、1つだけ」
ラルフは両手で優しく卵を包み込むようにして持つ。
しかしその時、先ほど逃げて行ったハミングバードが戻って来てラルフに急襲する。
小鳥たちはラルフの顔の前で少しでも体を大きく見せようと羽を大きくバタつかせ威嚇する。時に小さなくちばしでラルフをつつき、攻撃する。
「分かった、ごめん。止めるよ、止めるってば!」
ラルフは卵をそっと元の巣の中へ戻す。
「やっぱり家族が離れるのは嫌だからな」
ハミングバードの威嚇はラルフにとって何のダメージでもなかった。しかし、親鳥たちの必死さが胸に響いたのだろう。ラルフは素直に身を引く事にした。
木から30mほど離れたところでハミングバードから解放された。
「まぁ、しょうがねぇか…」
今日の目当てであったハミングバードの卵の採取を諦めたラルフ。
これからどうするかを考えていた。正直、今のラルフは少し焦っていた。金が貯まらなくて困っていたのではない。むしろその逆だ。自分の考えている以上に金が貯まるのが早かった。
金が貯まれば貯まるほど嬉しい事は確かだが、同時に不安も増した。それは金の隠し場所に隠す金額が増えることを意味しているから。その金が前回のようなスラム出身者たちに気付かれ、また根こそぎ奪われるかもしれない。あのような経験はもう二度と味わいたくない。
そう思うと早く目標金額である1000Jを貯めきり、開拓者としての登録をしたかった。開拓者になるという1つの夢が、1つの目標が手に届きそうな所にまで来ている。手を伸ばし、さっさと達成したいところではあるが、その後一手を慎重に行かなければならないという事もまた自覚していた。
この矛盾にも近いような葛藤にラルフは神経をすり減らしていた。
そして今日、見込んでいた稼ぎが頓挫したので別の選択を取らなければならなかった。
1つ目は今日の活動を終えるか。
2つ目はいつも通りに回復草を採取するか。
そして3つ目が足を踏み入れたことのない未探索場所へ足を伸ばし、新たに採取ポイントを見つけるのはどうか?この3択だった。
しかし、ラルフは単独且つ装備が整っていない状態だ。いつどこで危険が迫って来るか分からない。魔物に出会ったら一目散に逃げないといけない。弱いと称されるゴブリンでさえもラルフにとっては大敵だ。
ゴブリンは集団で行動することが多く、一度に数匹も相手にするなど、ラルフにはとてもじゃないが出来ることではない。持っている武器はパチンコと鋭利に削った石のみである。
離れた場所から狙うのもいいかもしれないが、ラルフの技量を考慮して、パチンコの射程距離は10m程度。1匹狙っている間に別のゴブリンがラルフに襲い掛かるかもしれない。
このようにラルフは魔界における生物の中で最弱の部類に入る生物であった。
それを自覚しているからこそ戦わない。逃げるに限る。それがラルフの選択であった。
現にラルフは、逃げ足だけでなく機動力はかなりのものであった。身軽さだけが取り柄と言ってもよかった。おまけにスラム街での生活を合わせ、常に身を危険に晒した状態で生きていたのが功を奏し、危機管理能力に長けていた。
そんな危機管理能力が今いるこの場所を危険だと知らせていた。
魔界の入り口に当たるゲート付近は安全である。単純にそのゲートから離れるほど危険度が増す。
そして今、ラルフがいる場所は自分の基準の中でゲートからかなり離れた場所にいる。これ以上ゲートから離れるのは避けたいし、そしてこの先へと進めば完全に森の中へ入る。この森は8年前、奇跡の実を探しに入り、ゴブリンに追われた経験のあるひどくトラウマを植えつけられた場所である。その時の恐怖は今でもラルフにべったりと貼り付いている。自然と額に汗がにじむ。
「よし、戻ろう」
ラルフはゲートの方へ戻ることにした。
戻る最中、向こうから小太りの汚れ一つないピカピカに磨かれた鎧を身に纏った男が歩いて来るのが視認出来た。年齢はラルフと同じくらいだろうか。その男の名はロンと言った。
ロンは護衛を引き連れ、我が物顔で歩いていた。
世間知らずのラルフが見てもそのロンは貴族の者だとすぐに分かった。その理由は2つ。
まず護衛を付けている時点で貴族出身だとすぐに分かる。そしてもう1つは着ている鎧だ。
貴族は魔界に来ても基本立っているだけで何もしない。全ての仕事は護衛がこなす。そのため、鎧はいつまで経っても汚れる事はなく、常にピカピカなのだ。
アルフォニアの王女であるシンシアの鎧もピカピカに磨かれているが、あれは例外だ。騎士の体裁を保つために常にメンテナンスを施し、きれいな状態に保っているが、シンシアは騎士として魔界でしっかりと活動をしている。
しかし、ロンは紛れもなく前者の何もしない方であった。だから一切汚れない、傷つかない。ピカピカに磨かれた鎧は、言わば常に守られた土俵の上で立っていられる貴族の象徴のような物であった。
貴族の中で開拓者になる者は少なくないのだが、ほとんどがこのような貴族ばかりであった。自分の力がどこまで通じるか試してみたいと考える者はごく少数である。
ほとんどが教育の一環として、魔界での経験を積ませるために開拓者となるのだ。体験入学のようなものであり、ロンもその1人であった。
ラルフはこのような者たちと関わると碌なことがないと判断し、絡まれないようなるべく道から外れて歩く。
その姿をロンの護衛1が捉える。
「あ、あいつ…確か」
「ん?どうかしたのか?」
「いえ、今向こうへ行ったガキがいたでしょ?どっかで見たことある奴だと思って…」
するともう1人の護衛2が何かを思い出した。
「あれだ、あいつドブネズミだよ!」
「あぁ、そうか、ドブネズミだ!」
頭に引っかかっていた物を思い出すことが出来、すっきりした表情をする護衛1。
「今の汚い恰好をした奴、ドブネズミって言われてるのか?」
面白そうなおもちゃを見つけたような笑みを浮かべるロン。
「はい、坊ちゃんが決して足を踏み入れることのない第四セクター、スラム街出身の奴でして。そのスラム出身の中でもちょっとした有名な奴なんですよ」
「なんだそれ、どう有名なんだ?」
「スラムの奴でも口にするのをためらうような腐った食べ物や虫とか平気で口にする野郎みたいで。もうその姿が泥をすすっているみたいだからドブネズミって言われているんですよ」
バカにしたような笑みを浮かべる護衛1。
また護衛2も同様の笑みを浮かべる。
「そんな汚らしい奴がいるのか。ただでさえスラム出身の奴らなどこの国にとっての恥さらしでもあるというのに。ドブネズミのような人間がいるとは…墜ちた人間とはどこまでも墜ちるものなんだな」
「坊ちゃま、人間じゃありませんよ、ドブネズミですよ」
「そうかそうか、ドブネズミだった。もう人間ではなかったわ」
護衛1の指摘に高笑いするロン。
それを聞いて護衛2人も同じように笑い飛ばすのだった。
そんな笑い声を聞いて、離れて正解だったと確信するラルフであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます