第16話 高額報酬

 後日ラルフは魔界にていつものようにゲート近い場所の探索を行っていた。

 ラルフに目を付け、後を付ける者もいたが、ラルフが回復草を採取しに向かう気配は一向に感じられない。なぜならラルフは回復草を探すフリをするだけでただ歩き回っているだけだったからだ。そのため、日が経つにつれてラルフを狙う者は徐々に減って行った。

 だが完全に後を付ける者がいなくなったわけではない。慎重で臆病なラルフはまだ回復草の採取を再開すべきではないと判断し、先日、店主から教えてもらった薬草を探しつつ、ある物を狙いに行っていた。


「見つけた!」


 ラルフは1本の木の前で立ち止まった。

 その木にぶらさがっている70センチほどの大きさの物を凝視するラルフ。

 その様子を男女の2人組がラルフの後方10m辺りの場所で立ち止まって見ていた。


「おい、あいつ」


 この2人は開拓者になって間もない者たちだ。

 ラルフの後を追い、回復草の採取ポイントを押さえようとしていた。だが一向に回復草を採取しようとしないラルフに苛立っていた。しかしある物を発見し、それを注意深く見つめるラルフに動揺する。


「あの子…もしかしてあのハチの巣を狙っているつもりなんじゃない?」


 そう、ラルフが狙っている物…それはハチの巣だった。

 ハチの巣から取れるはちみつは珍味として貴族たちに愛されている高級品だ。アルフォニアでもわずかに採取出来るが、魔界の方がずっと質がよく味が良かった。

 そのため貴族たちはこぞって魔界のはちみつを求めた。

 だが魔界のミツバチは気性が荒い。巣に近づく者は容赦なく襲いかかる。蜂の巣を採取しようと試みる者は決まってミツバチの餌食となった。そのため専業でなければ蜂の巣を採ろうとする者は皆無と言ってもいい。

 そんな蜂の巣に挑もうとしている世間知らずのバカ者、それがラルフである。


「ろくな装備1つしてないぞ?」

「でもあの子やるつもりよ。ねぇ、このままじゃ私たちもとばっちりを受けるはめになっちゃう…逃げるわよ!」


 ラルフを狙う2人組はその場を立ち去った。


「…行ったな」


 ラルフは自分の周りの気配がしなくなった事に笑みを浮かべる。しかしそれは目の前にいるミツバチたちにそれほど警戒しているということ。ラルフは気を引き締める。

 金になることは分かっているが、なかなか手を出す人間はいない。これが先日店主に教えてもらった仕事内容だった。

 ラルフは木に近づく。すると何千、何万というミツバチの大群の羽音がラルフの耳にまで伝い、恐怖する。


「さすがにこいつら全部に刺されたらまずいな、多分死ぬな」


 ラルフは一旦下がり距離を取る。本当にハチの巣を採取するか再考することにした。


「止めるかな、ちょっと怖いな」


 店主も教えてくれたが、「止めておけ」と言っていた。だが金になるのは確かだとも言っていた。

 腕を組み、ハチの巣を見ながら再考するラルフ。


 開拓者になるためには金が必要だ。しかし、現況では回復草を採取する手立ては使えない。だからこそ、今ハチの巣の目の前に立っている。

 ハチの巣を守ろうとミツバチは必死になって襲いかかって来るだろう。だが魔物の様な危険性はない。ある程度の痛みを我慢すれば金が手に入る。


「よし…やろう」


 自分を奮い立たせるためにも、ラルフは声に出した。ハチの巣を採取することに決めた。ボロ袋に入れていた袋とフードを取り出す。

 まずはフードを被り全身を覆う。気休め程度だが、少しでも露出する肌を隠すためだ。

 もう一方の袋、これはハチの巣を持って帰るための専用の袋だ。

 そしてラルフは空になったボロ袋に辺りに落ちていた枯れ葉などを詰め始めた。若干の枯草や木の枝も集めるがメインは枯れ葉。ラルフはボロ袋に7,8割ほどになるまで枯れ葉などを詰め込んだ。

 そして、ラルフは自分のポケットに入れておいた火起こしの道具を取り出す。ちなみにこれは店主から借りた。


「こんな物で火が簡単に起こせるのか?」


 もちろんラルフは料理などしたことがない。基本採取した物をそのまま口へと運ぶ。そのため火起こしなどやったことがなかった。

 火打石を打ち付け火花を火口(ほくち)へ落とす。すると、わずかながらに火口が赤くなる。

 ラルフはすぐさまそれを枯れ草の方へと持っていき、それに息を吹きかける。


「ついた!」


 興奮しながらその種火を袋の中へ押し込む。

 すると、火は周りの枯れ草や木、そして汚れや油のしみ込んだボロ袋に燃え移り始める。


「よし!」


 ラルフはボロ袋が大きく燃え上がる前にそれを持って移動する。

 この時、ボロ袋からは盛大に煙が上がっていた。これは枯れ葉の影響である。枯れ葉と言っても完全にまだ水分が抜けきっていないため、燃え始める前に煙が発生しやすい。

 ラルフはそのボロ袋をハチの巣の方へと投げ込んだ。

 ミツバチたちは突然の煙に混乱し、ハチの巣周囲を飛び回る。しかし煙を嫌がって逃げたり煙を吸って気絶したりした。

 ラルフはここが好機と捉え、木に登りハチの巣の採取を試みる。持っていた鋭利な石でハチの巣を切り落とそうと手を掛ける。

 だがそんなラルフにハチが襲い掛かる。当たり前だが全てのハチを追い払えたわけではない。煙を逃れ巣に留まったハチたちがいるのだ。


「いてっ、いてて」


 ラルフは全身フードを被っていたが、顔の隙間などから侵入したハチがラルフの顔を刺した。たまらずラルフは半分ほど巣を刈り取ったところで木から飛び降りて逃げ始めた。

 ちょうど燃えていたボロ袋の火も消えようとしていた。

 ラルフは見事ハチの巣を手に入れることが出来た。しかし、代償は大きかった。

 刺された顔は膨れ上がり、左右の目は腫れあがり、かろうじて左目で見れる視界を頼りにゲートへ戻っていく。

 ハチの巣の入った袋をさらに先ほどまで被っていたフードでくるむ。これでぱっと見、ラルフがハチの巣を持っているとは分からない。だが、ラルフの顔を見れば何を採取しようとしていたのか大方予想が付く。

 それでも襲われなかったのは露出されたラルフの顔を見て悲鳴を上げる者や気味悪がる者、そして気の毒に思ったからだ。そのおかげもあってかラルフは無事に戻ることが出来た。

 

 アルフォニアへ戻り、ラルフは店主のいる店に入る。


「おっちゃん…ハチの巣取って来た」


 痛む顔を抑えながらいつもより控えめな声量で店主に声を掛ける。


「坊主か?」


 あまりの顔の腫れあがりに心配する店主。


「おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫だ、生きているからな。それよりもハチの巣買取ってくれよ」

「あぁ、待ってろ。すぐ人を呼んで来る」


 店主はそう言うと、店を出て行ってしまった。向かった先はもちろんギルドだ。

 ギルドに入り、イリーナを見つけ声を掛ける。


「うちの店にハチの巣を取って来た奴がいる。買取りをお願い出来るか?」


 この店主の内容は開拓者でない者のことも意味している。


「ハチの巣?いいわよ。直接買い取るわ」


 本来なら開拓者で無い者の買取りは行わない。しかし、希少品なら別だ。

 そのような成果物に対して、ギルドは特別に開拓者で無い者からも買取りを行っている。


「それでハチの巣は?」

「今、うちの店にいるんだ。採って来たのはラルフだ。顔をいっぱい刺されちまってる」

「ラルフ君!?」


 するとイリーナは店主を置いて、薬箱を持って一目散にギルドを出て行く。


「おい、待ってくれよ!」


 店主も慌ててイリーナの背中を追い、自分の店へと戻っていた。


「ラルフ君!」


 店主が出て行って5分後、戻って来たのは店主ではなかった。


「その声は…イリーナさんですか?」


 ラルフの顔はさらに腫れ、もうほとんど視界は見えなくなっていた。


「こんなに刺されちゃって…まだ針が抜けてないじゃない」


 イリーナは薬箱からピンセットを取り出し、顔に刺さった針を1本1本抜いた。

 その最中に店主が帰って来る。


「店主さん、きれいなお水持ってきて」

「わ、分かった」


 店主は言われるがまま桶に水を入れて持ってくる。

 イリーナはその水を布にしみ込ませてラルフの刺された箇所をきれいに拭く。


「すみません、ありがとうございます」

「いいから。ほら、横向いて」


 ラルフはハチに刺され、痛い思いをしているのに口元がほころんでいた。自分の心配をしてくれる存在が居てくれる事が非常に嬉しかった。

 その後、イリーナは薬箱から虫刺されに効く塗り薬を刺された箇所に丁寧に塗った。


「もう、こんなに刺されちゃって」

「最近回復草を取り過ぎたせいか、後を付ける者が多くて回復草が取れなくなっちゃって。それで仕方なく」

「それは開拓者を含めて?」

「今日後をついて来た奴はそうだったと思います。あ、でも襲われてはいませんよ。俺の収集ポイントを知ろうとしていた感じで。でもそいつら、ハチの巣を取ろうとしていることに気づいたら逃げちゃいました」


 平然と答えるラルフだが、イリーナにはショックを受けていた。

 弱肉強食の世界。弱い者が淘汰されるのは仕方のない事なのかもしれない。しかしそれが当たり前の世界で本当にいいのだろうか?


「一応これでいいわ」

「ありがとうございます、こんな俺にここまでして頂いて」

「…ラルフ君」


 イリーナのいつもより低い声、そして真剣な表情に思わず体が反応する。


「無理をしちゃダメと私は言いたいところだけど、まぁそれは無理な話よね。時には無理をすることだって必要だと思う。でもね、今回のハチの巣取り。何も装備を持たないで行くなんて、これは無理を通り越して無謀よ。儲け話って聞いて話に乗っちゃったんでしょ?」


 イリーナは店主の方を睨む。


「お、俺はよせって言ったんだぜ?止めとけって」

「だったらなんでハチの巣回収用の袋を持ってるのよ?」

「それは一応、選択肢を与えるってことで…」

「あ、おっちゃん。忘れないうちに返しとくよ。火打石と火口(ほくち)助かったよ。ありがとう」

「あ、てめぇ!今出してんじゃねぇよ!」


 イリーナは呆れてため息を吐く。


「とにかくラルフ君!これからは自分がやろうとする事が無謀なことかどうか一度立ち止まって考えなさい。いいわね?」

「…はい、すみません」


 ラルフは小さく縮こまる。


「それと…」


 するとイリーナはラルフに近づき優しく頭を撫でる。


「こんな俺とか言うのは止めなさい。自分で自分を卑下にしちゃダメ。あなたはこれから立派な開拓者のラルフになるんでしょう?それに今のラルフ君も十分素敵よ」

「…はい」


 ラルフは俯きながら返事をした。今だけは自分の視界がほとんど見えなくて良かったと思っていた。こんな優しい言葉をかけられてイリーナの優しく微笑む顔を見ていたらきっと泣いていただろうから。


「…それじゃあハチの巣を見せてもらおうかしら?」


 気分をガラッと変え、明るい声を掛けるイリーナ。

 ラルフは店主にお願いしてハチの巣をイリーナに渡した。


「…全部は取れなかったのね」

「取ってる最中に襲われちゃって…無理でした」

「でも状態はいいわ…うん、これならギルドでしっかり買取り出来るわ」

「本当ですか!?」


 ラルフは喜びの声を上げる。


「おっちゃん、俺の代わりにギルドに行って代金受け取ってもらえないかな?」

「あぁ、いいぜ」

「そこから貸しの袋の代金とか手間賃とか引いてもらって構わねぇからさ」

「手間賃!?いいのか!?」


 それを聞いた途端、イリーナの鋭い目つきが店主に突き刺さる。


「う、うそだよ、取らねぇよ。大丈夫だって」


 冷や汗を流す店主。

 イリーナは視線をラルフへと戻す。


「じゃあお預かりするわね」

「はい、お願いします」

「それと、ラルフ君。口を開けて?」

「はい?」


 するとイリーナはハチの巣を少しだけ千切ってラルフの口の中へと放り込む。


「————!」


 ラルフの口の中は今までの人生で味わったことのない濃厚な甘さに包まれる。

 ハチの巣を噛むごとに蜜が溢れ出て、滑らかな蜜が口の中をコーティングするように行き渡る。


「あま~い」


 とろけたような恍惚な表情をするラルフ。


「文字通り死ぬほど頑張ったご褒美よ。大丈夫、これで買取り値段は下がらないから」

「ありがとうございます」


 イリーナと店主が店を出た後も、ラルフはしばらくの間ハチの巣の余韻に浸っていた。

 そしてラルフはハチの巣が一体いくらになるのか期待に胸を膨らませていた。


「200?300?もしかして500?いやいや、それはないだろう」


 心の声のつもりが実際に声を発していた。

 ちなみに店は他の者が入って来ないよう閉めてある。

 誰かが入って来ることはない。

 そんな妄想にふけっていると、勢いよくドアが開く。

 店主が帰って来た。


「すげぇぞラルフ!あのハチの巣、100Jの値がついたぞ」

「100?あぁ…」


 妄想が膨らみ過ぎた分現実の値段を聞いたときの驚きは小さくなっていた。


「なんだ嬉しくねぇのか?」

「いや嬉しいよ。100Jなんて稼げっこねぇから」


 とは言ったもののラルフはやっぱりがっかりしていた。


「なんだお前、まさか1000Jとか考えてたんじゃねぇだろうな?」

「いや、さすがにそこまでは考えてねぇよ」

「じゃあ100Jよりは高くつく妄想はしていたんだな」

「………」

「あのなぁ、ラルフ。1000Jの値段が付くなんて末端価格…と言っても分かんねぇか。貴族に実際に売られる値段だぞ?」

「えっ?貴族に売られる時は1000Jの値段が付くのか?」

「あぁ、汚い部分は取り去ってもっときれいに整形して、それなりの器に入れてだなぁ。そうすると1000Jくらいで売られるんだよ」

「なんだよ、1000Jの値が付くハチの巣を俺は100Jで手放しちまったのか…」

 ラルフはますます肩を落とす。


「ははは、世の中そういうもんなんだよ。でも100Jだぞ?お前この金を稼ぐのにどれだけ大変かお前なら分かるだろ?」

「…あぁ、分かってる」


 その言葉を聞いてラルフは我に返る。


(ちょっとバカなことを考えすぎてたな。100J…現実的だな)


 宙に浮いていた足が地に付いた感じがした。


「おっちゃん、そこから袋の値段を引いてくれ。なんなら手間賃も取っても構わない」

「いや、手間賃は止めてとくよ。イリーナにも釘を刺されたからな。袋の値段、3Jだけでいい」

「なぁ、おっちゃん。袋の代金と合わせて10J払うからお願いを聞いてくれないか?」

「お願い?面倒なことなら断るぞ?」

「いや、俺の取り分の90Jをここで預かってほしいんだ」

「金を預かる?」

「いや、今の俺はこんな状態だろ?スラムに戻ったらすぐに襲われちまう。今そんな大金を持っているのは非常にリスクがあるんだ」

「そういうことか…まぁ俺はタダで7J手に入るんだから別に問題ねぇな。いいぜ、この金預かってやる」

「ありがとう、助かるよ。でももし無くなったらおっちゃんから取り立てるからな」

「安心しろ。この店にはお前の金より大事なもんがたくさんあるんだ。無くなったりはしねぇよ」

「ははは、よろしく頼むよ」


 ラルフは立ち上がる。


「お前、これからどうするんだ?」

「どうするって…スラムに戻るよ」


 すると店主はしかめっ面をしながら頭を掻きだす。


「そんな顔が腫れた状態のお前をこのまま返すわけにもいかん。そうなったのは俺のせいでもあるからな。だから今日はここに泊めてやる。7Jは宿代ってところだ」

「い、いいのか?」


 思わぬ店主の提案に飛びつくラルフ。


「その代わり店の物ダメにしたら弁償してもらうからな」

「大丈夫だ、絶対に壊したり盗んだりしねぇ、約束する!」

「あったりめぇだ!」


 そうして、その日は店主の厚意に甘えラルフは店主の店兼家に泊めてもらうことになった。

 大量のハチに刺されて痛い思いをしたが、その事はラルフにとっては些細な事になりつつあった。それは100Jを手に入れる事が出来たのもさることながら、イリーナや店主の優しさに触れる事が出来たからだ。その優しさはラルフが何よりも求めていたものなのだから。

 スラム街に生まれ落ちたラルフは母以外の者から優しくされる事がなかった。なぜならスラムに生きる者たちは非情な者ばかりであったからだ。そんな者たちがラルフの心を蝕んだ。

 また、スラムの外からはラルフをスラム出身という枠組みの扱いをする。偏見や先入観が冷たい目となってラルフに襲い掛かり、さらなる暗い闇を呼び込んだ。自分以外の人間は信用しないと思わせるほどに。


 だが、ラルフは出会えた。ラルフを慕う者たちに。心許せる者たちに。外見や偏見に囚われず、1人の人間としてラルフに接してくれる者たちが。

 この出会いは偶然でもあり、必然とも言えるかもしれない。ラルフは自分の心が温かくなる心地よさに浸っていた。

 同時に「これからも前を向いて生きよう」と自分自身に誓った。


 …しかしラルフは再度思い知ることになる。

 人間の愚かさと醜さを。

 さらなる闇がラルフに襲い掛かろうとしていた。

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