第14話 いつもの事

 当事者であるはずのラルフはただ茫然と立っていた。

 シンシアが叫ぶと同時に事態は急変し、終わりを迎えた。

 ギルド内にいる開拓者たちが衛兵に連れられる男たちの様子を見ようと野次馬となってギルドの外へと出て行く。


 ラルフにとって、今回の事態はとばっちり以外の何物でもなかった。回復草を横取りされ、その上イリーナから頼まれたチコリの実まで奪われそうになった。

 運よく逃げ切れる事が出来、イリーナに品を届けに行ったら犯人扱いされたのだ。迷惑にも程がある。


「ラルフ君…」


 イリーナの声にラルフは我に返る。

 ラルフがイリーナの顔を見ると、とても辛そうな顔をしていた。

 それもそのはず、イリーナは途方もない罪悪感に苛まれていた。

 ラルフのためを思ってチコリの実をラルフに依頼したが、全てが裏目に出てしまった。ラルフを危険な目に合わせてしまった。そして何より、心に深い傷をつけてしまった。イリーナは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ラルフ君、私がこんな依頼をしたばっかりにトラブルに巻き込まれてしまって…本当にごめんなさい」


 イリーナはラルフに向かって頭を下げる。

 ラルフはイリーナの姿に慌てふためく。


「そんな…イリーナさんは助けてくれたじゃないですか!謝る必要なんてどこにもありません」

「でも私がチコリの実を頼まなかったら…」

「いえ、原因は俺にあるんです」

「…どういう事?」

「最近に目立って活動をし過ぎたみたいなんです。俺が回復草を採りすぎて、どうやら思うように回復草が取れなくなった奴がいるみたいで…それで犯人探しみたいな事になっていたらしくて…それでさっきの奴らに見つかっちゃったっていうのが真相です。回復草を10本渡して見逃してもらおうとしたんですけど、ダメでした。だから追われるはめになったんです」


 ラルフは頭を掻きながら答える。

 だがイリーナはここである事に気付く。


「ラルフ君…もしかしてその時チコリの実を渡せって言われたんじゃないの?」

「あぁ、はい…言われましたけど…」

「どうしてさっきの男たちに渡さなかったの?そうすればあなたは追いかけられずに済んだはずよ。それにチコリの実は改めて集めればいい事じゃない?」


 イリーナはチコリの実を手放して欲しかった。自分の身の安全を考えて欲しかった。


「まぁ…そうなんですけど…多分逃げ切れるんじゃないかなって…」


 この時のラルフは歯切れが悪く、そして視線をずらしながら答えた。

 イリーナはそれが気になった。そのためもう一度ラルフに聞いた。訴えかけるように。


「どうして?どうして男たちにチコリの身を渡さなかったの?」

「いや、あいつら誰に依頼されたって聞いて来たから…イリーナさんに迷惑を掛けたくなかったんです」


 はぐれ者たちの心は荒んでいる。貧しさ故にいつ飢えてもおかしくない。厳しい環境故にいつ殺されてもおかしくない。彼らの心が荒むには十分過ぎるほどの理由であり、必然でもあった。

 他人に気を使うくらいの余裕があるならば自分が少しでも生き延びる術を考えるべきあり、それは例え他の者を陥れる事になろうとも優先すべき事項であると。

 なぜならば、はぐれ者はそうやって生きているのだから。そうする事でしか生き延びる事が出来ないのだから。

 男たちはきっとチコリの実を使ってイリーナに高額な金額を要求したかもしれない。あるいはラルフを人質にする事も考える。また、イリーナが毅然とした態度で突っぱねたとしても、後に男たちはイリーナが1人の所で報復する恐れもある。

 ラルフはイリーナをそんな目に遭わせたくなかったのだ。


「私のために…ありがとう。それにごめんなさい」


 申し訳無さそうなイリーナの顔。皮肉な事にイリーナも男たちがどういう行動を取るか、容易に想像がついた。

 そして、ラルフもイリーナがその事に気付くだろうと察していた。

 ラルフはイリーナが自分に対して申し訳ないという気持ちを持たせたくなかった。イリーナの悲しい顔が見たくなかったのだ。こんな見ず知らずの汚いなりをしたはぐれ者に優しく微笑んでくれるイリーナに。

 何事もなかったかのように依頼を完遂し、イリーナの笑顔を受け取りたかった。


「あの…これが依頼されたチコリの実です」


 ラルフはイリーナにチコリの実を差し出す。

 それを両手で受け取るイリーナ。


「こんなにたくさん…ありがとう…本当にありがとう…」


 イリーナはチコリの実の入った袋を胸に当て、ぎゅっと握りしめた

 だが、イリーナはもう1つラルフに謝罪しなければならない事がある。


「まだラルフ君に謝罪しなきゃいけないことがあるわ…ラルフ君がチコリの実をここに持ってきた事で酷い言葉を浴びせられる事になってしまって。本当にごめんなさい」

「それこそイリーナさんとは全く関係ないじゃないですか。イリーナさんが謝る事じゃありません。それに…いつもの事ですから…」

「いつもの…事」


 ラルフは「いつもの事」と言った。

 そう、いつもの事なのだ。はぐれ者にとって。ドブネズミのラルフにとって。

 冷ややかな目で見られる事。軽んじられる事。

 同じ人間扱いされずにまるで踏み潰されるかのような扱い…そんな扱いをラルフは今まで何度も何度も受けて来た。

 スラムという場所に生まれ付いた者にとっての宿命みたいなものであった。


 ラルフは気にしないで欲しいとばかりに答える…しかしイリーナは先ほどの光景を鮮明に覚えている。

 唇から血が出るほどに悔しさに打ちひしがれるラルフの姿を…


 ラルフが貶されるのはいつもの事だ。しかし、それに慣れる事はない。ラルフはいつも傷ついているのだ。

 イリーナはラルフの事を思うと不憫でならなかった。そしてそのような状況を作った一因となってしまった事を悔いる。

 その上、ラルフが自分に対して何ら負の感情を抱いておらず、寧ろこちらを気遣うような接し方が、より一層イリーナの胸を締め付けた。


「あの時イリーナさんが声を上げてくれたから犯人にされずに済みました。本当に助かりました。ありがとうございます」


 深々と頭を下げるラルフ。


「あ、あれはシンシア様が声を張り上げてくれたからよ。感謝すべきなのはシンシア様であって、私ではないわ。」


「………」


 シンシアという言葉を聞いた時、ラルフの表情が固まる。


「あの…ラルフくん?シンシア様の事で何かあった?」


 ラルフの表情が歪む。

 イリーナは触れてはいけないものに触れてしまった気がしたが、やはり気にせずにはいられない。


(なぜラルフ君とシンシア様は知り合いなの?シンシア様はこの国の王女よ。なぜそのような方がラルフ君と…)


 この国の頂点に位置すると言ってもいいシンシア。一方、ラルフは最底辺に位置する身分である。身分という観点で見れば、どう考えても接点があるとは思えない。

 しかし、ラルフの表情が物語っている。2人には何か特別な事情があり、それがラルフ君にとって消えようのない傷を作ったのだと。


「ごめんなさい、その事についてはもう聞かないわ」

「…すみません、とにかくイリーナさんに助けて頂いた事に感謝しています。ありがとうございました」


 場の雰囲気がいささかぎこちないものとなる。


「そうだ、依頼の報酬を渡さなきゃ」


 イリーナはそれを払拭するかのように手を叩き、そして少し大きめの声を出した。

 奥に入って行き、財布を持ってくる。

 イリーナが財布から取り出したお金は10Jの10倍のお金、100Jだった。


「あの…このお金は?」

「私からあなたに出来るせめてものがこれくらいなの…ラルフ君には本当に申し訳ない事をしたわ。こんなので許されるなんて思ってないけど、受け取ってちょうだい」


 しかしラルフは首を横に振る。


「このお金は受け取れません」

「どうして?」

「イリーナさん、俺…開拓者になりたいんです」


 ラルフは真剣にまっすぐにイリーナの顔を見つめる。


「開拓者はギルドから依頼を受ける事があります。その報酬は依頼の対価で得るものです。だから俺もちゃんと自分の成果で報酬を得たいんです。俺にはよく分からないけど、イリーナさんは今俺に対して罪悪感を抱いていて、その思いがこのお金に込められているんだと思います。でもそれは違うと思うんです。どんな状況であれ、依頼された任務を全うする、それが依頼を請け負った開拓者の責務です。だから俺はチコリの実を採って来た報酬、10Jで十分なんです。それに何度も言いますが、イリーナさんは何一つ悪くありません」


 イリーナはラルフが採って来る良質な回復草を見て、ラルフの誠実さを理解していた。だがここに来て改めてラルフの誠実さを再確認した。

 これは誠実と言い表すより、どこまでもまっすぐな人間という表現が良いのかもしれない。


「…分かったわ」


 すると、イリーナは財布に100Jをしまう。

 そして今度は15Jをラルフに差し出す。


「今日採って来たチコリの実の量で10Jだと少なすぎるわ。だから追加報酬よ。これなら受け取ってくれるわよね?」

「…はい!」


 お金を受け取ったラルフは満面の笑みを浮かべていた。



 ギルドの入り口は未だ開拓者たちでごった返していた。

 ラルフはこれ以上自分がこの場にいるのも良くないと判断し、早々に立ち去るため、ギルドの裏口から立ち去る事にした。


「じゃあラルフ君、依頼を受けてくれてありがとう。またチコリの実、お願いしてもいい?」


 イリーナは笑顔を向けるがラルフの反応は薄い。


「それなんですけど…今回で止めときましょう」


 イリーナは表情を崩す。


「今回のような件がまた起きないとは限りません。そうすればまたイリーナさんに迷惑が掛かります」

「そんな!迷惑だなんて。ラルフ君は何も悪くないじゃない!あなたはさっき私にもそう言ったわ。関係ないって。だったらあなたも今回の事は関係ないじゃない!」


 イリーナは少しいじわるな答え方をした。それほどまでにラルフとの付き合いが無くなるのを避けたかった。


「ごめんなさい。でも、周りがそう許さないと思うんです。今日の反応を見れば分かると思います」


 イリーナは先ほどの出来事を思い出す。ラルフに向けられた大勢の冷たくて白い目が。


「今の俺は開拓者でありません。そんな開拓者でもない俺にギルド職員が依頼をするのはやっぱり良くありません。それに世間の俺に対する認識は、はぐれ者たちからもバカにされるドブネズミのラルフですから」


 ラルフはどこか割り切っていた。


「だから今の俺がイリーナさんの受けるのは今回で終わりです」

「…分かったわ」


 ラルフが自分の事を慮ってくれる事に対する感謝の気持ち、そして同時に湧き起こるやり場のない悔しさ。現況ではどうする事も出来ない。そんな気持ちがイリーナに複雑な表情を作らせる。

 しかし、ラルフはイリーナに明るい表情を向ける。


「イリーナさん、俺…絶対に開拓者になります。だから待っていてくれませんか?」

「ラルフ君…」

「俺、お金を貯めて開拓者の登録出来るようになりますから。今はドブネズミのラルフって言われてますけど、開拓者のラルフになります!そして堂々とイリーナさんの依頼を受けられるようになりますから。それまで待っていて下さい。そしたらチコリの実を一杯取って来ますから!」


 その時のラルフは力強い目をしていた。まるで自分の信念を見せるかのように。

 ラルフは前を向いている。どれだけ酷い目に遭おうとも。強く生きようと。

 イリーナはそんなラルフを見て胸を打たれた。目頭も熱くなる。だが涙を流すことはせず、それに応えるように笑ってみせた。


「分かった、あなたが開拓者登録しに来るのを楽しみに待っているわ」

「はい!」


 ギルドの出入り口は未だにごった返していたため、ラルフはこっそり裏口からギルドを出る事にした。

 イリーナに見送られ、ラルフはスラムの方へ足を向け帰ろうとする…しかし、そこで足が止まる。少し離れた所で衛兵に男たちを渡したシンシアがこちらを見ていた。

 狼狽えるシンシア。

 一方のラルフは表情を変えず、シンシアを見る。しかしこれまでのようにシンシアに険しい表情を向ける事はない。

 イリーナはそんな2人の顔を交互に見る。


(やはり、2人は何かあったのね)


 その膠着状態はレオナルドが加わろうとした所で動き出す。

 ラルフはもう一度イリーナの方へ向き直り、お辞儀をした後にスラムの方へと帰って行った。


 イリーナはすぐにシンシアの方へと駆ける。

 シンシアは小さくなるラルフの背中をしばらくの間じっと見つめていた。ラルフの姿が見えなくなったところで大きなため息を吐く。そしてイリーナの存在に気付く。


「「…あの!」」


 2人は同時に声を出した。たじろぐ2人。

 シンシアが最初に話し出す。


「あの、イリーナさん。助けて頂いてありがとうございました」

「助ける?あ…ラルフ君の事ですか?助けられたのは私の方です。あの時声を上げて下さったから、私も意を決して声を出すことが出来ました」


 イリーナは深々と頭を下げる。

 頭を上げるとイリーナは先ほどラルフに聞いた事をもう一度シンシアに尋ねてみる。


「あの…シンシア様とラルフ君の間に何かあったんですか?」


 それを聞かれた途端、シンシアがものすごく辛そうな顔をする。


「それについて我々が答える義務はない」


 代わりにレオナルドが遮るように言い放った。

 その後にシンシアも弱々しく答える。


「ごめんなさい…」

「分かりました、気分を害すようなことを聞いてしまい申し訳ございません」

「いえ…」


 ラルフとシンシアに何があったかは分からない。だが、シンシアがラルフに対し負い目を感じている事は理解出来た。


「私からもよろしいでしょうか?イリーナさんはラルフと仲が良いのですか?」

「知り合ったのはここ最近の事です。スラム出身の子なのにまっすぐな子で頑張っているので応援したくなっちゃって…それで依頼をしたんですけど、裏目に出ちゃったみたいで、彼には申し訳ない事をしました」

「いえ、あれはイリーナさんのせいではありません」

「彼にもそう言われました」


 イリーナは眉を下げながら笑って答えた。


「今回の件、この国の現状を鑑みた気がしました。貧富の差から生まれた差別なのか?それとも差別から生まれた貧富なのか?」


 シンシアはこの国の現状を憂う。


「確かに…あのラルフ君に向けられた目はみんな心を抉るような冷たいものでした。まるで存在を許さないかのような…でも、まだ希望はあります」

「…希望?」

「ラルフ君が私に約束してくれたんです、開拓者になるって」


 イリーナはシンシアに笑って見せる。


「だから私は待ちます。開拓者のラルフを!」


 イリーナは力強く答えた。


「はい、私も…私も彼を影ながら応援します!」


 シンシアもまた力強く頷くのであった。

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