第13話 向けられた悪意

 同日、シンシアたちは魔界に繰り出していた。

 今日は探索ではなく、新人の騎士たちの稽古も兼ねてゲート付近で簡単な魔物討伐を行っていた。シンシアの実力からすればこの範囲の魔物はあくびをしながらでも倒す事が出来る。

 そのため実際に魔物を討伐するのは新人の騎士たちの仕事であり、シンシアはその監視役であった。

 しかし、シンシアはいつもより気を張っていた。それは今いる場所がラルフの活動圏内だからだ。当然の事ながらシンシアは心ここにあらずになっていた。もちろん任務に支障はきたす事はない。

 だが、一息ついた時には必ずと言っていいほど周囲を見渡し、ラルフの事を探していた。


「レオナルド、この付近に生息する魔物は一通り全員討伐の経験をしましたね」

「はい、粗方は。休憩した後はもう少し奥に行こうかと」

「分かりました、そうしましょう」


 時間は昼に差し掛かろうとしていた。

 シンシアは軽くため息を吐く。


(そう上手く見つかるはずもないですね)


 そんな事を思っていた矢先、辺りは騒々しくなる。

 何者かが全力が走る姿がシンシアの目に映る。


「————!」


 なんとそれはラルフであった。

 ラルフは急いでいるというより、何かから逃げているようであった。すると、その後ろからラルフを追いかけるように2人組が後を追う。

 シンシアはその光景を見て一瞬で判断した。


「レオナルド、少し外します」

「姫様っ!」


 レオナルドは止めようとしたが、シンシアはもうラルフの方へ目掛けて駆けていた。


「お前たちは待機だ!」


 レオナルドは少し遅れてシンシアの背中を追いかけた。



「ちきしょう、あの野郎に追いつけねぇ」


 男は苛つきを隠せず悪態を吐く。

 シンシアはその男の声が聞こえるほどまでに距離を詰めていた。もちろん、男たちやラルフに気付かれないように。

 シンシアは逃げるラルフの背中を見つめる。


(確かに…ラルフは良い動きをしている)


 男たちとラルフの距離は時間が経つにつれ、どんどん離れて行く。

 ラルフは身軽な体で軽やかに走り、時には障害物をジャンプで軽く飛び越える。また、足場の良さそうな場所を瞬時に見極め、スピードを殺さないように走っている。この辺りの地形を熟知しているからこそ出来る芸当である。


「くそ…見失った!」


 そして男たちは遂にはラルフを追うのを諦めたのだ。立ち止まり、全身で息をする男たち。

 そこでシンシアとレオナルドが男たちに近づく。2人の息は何事もなかったかのように全く乱れていない。


「あなたたち、一体何をしようとしていのです?」

「あぁ!……っ!」


 振り向き様に答えようとした男たちは目の前の騎士、シンシアとレオナルドを見て固まる。


「お前たちはなぜあの男を追いかけていた。答えろ」


 厳しい口調で問いただすレオナルド。

 すると男の1人がにやけて答える。


「騎士様、逃げて行った男を捕まえて下さいよ。あいつは俺たちの荷物を盗んで行きやがったんだ」


 それを聞いた途端、シンシアの表情が曇る。間違いでもラルフがそんな事をするはずがない。


「それは逆じゃないんですか?あなた方が彼の物を奪い取ろうとしたのではないのですか?」


 語気を強めるシンシア。

 その問いに男たちの表情は歪むがそれを隠すようにすぐにまた笑みを浮かべる。


「ん?まるで俺たちが悪人みてぇな言い方じゃねぇか。証拠でもあんのか?」

「それは…」

「それに…あんたってこの国の王女様だろ?この国の王女は俺たちみたいな身なりの汚ねぇ奴の言う事は信用しねぇって言いてぇのか?」

「そ、そんなことは…」


 間違いなく男たちは嘘をついている。しかし、現場を抑えたわけではない。

 それよりも「身なりで人を判断している」と言われた事に対し、自分が偏見を持っていると疑われたようでショックを受けていた。


「おい、貴様ら」


 そこにレオナルドが剣を抜いて男たちの眼前に突きつける。


「今の発言はこの国の王女を侮辱していると知っての発言か?だったら私はその口から二度と声を発せられないように対処せねばならない」


 男たちは一瞬の内に薄ら笑いを消す。


「わ、悪かった。今のは冗談だ。許して…許して下さい」


 たちまち全身が恐怖ですくみあがっていた。

 レオナルドは剣を収めるが、さらに一歩男たちに近づく。


「姫様は寛大なお方だ。今の発言でお前たちを罰する事はない。だが二度目はない。いいな?」

「はい…」


 すっかり怯えてしまった男たち。

 レオナルドはシンシアに提言する。


「とりあえず今日は戻りましょう。この男たちと……先ほどの男を見つけて衛兵に渡さねば」

「…そうですね」


 待たせている騎士を呼び、シンシアたちもアルフォニアへ戻る事にした。



 活動を終えたシンシアたちはとりあえずギルドへ赴く。ギルドに報告し、衛兵を呼んでもらうためだ。

 だがその必要はなかった。そこにはラルフがいた。


(なぜラルフがここに?いくら何でもまだ開拓者になってないはず)


 ラルフはシンシアが先日知り合ったギルド職員のイリーナと話をしていた。

 するとイリーナがシンシアに気付き、お辞儀をする。

 それに反応し、ラルフもこちらに目を向ける。その瞬間、ラルフの表情はたちまち険しくなる。

 シンシアはラルフに憎しみの表情を向けられる度に胸が締め付けられる。


「あの男か、お前たちの荷物を奪ったという男は?」


 レオナルドが男たちに問いただす。


「そ、そうだ!あいつだ、俺たちの荷物を盗んだのは!」


 男たちの1人はラルフを指差し、大声で言い放った。

 その瞬間、ギルド内は一斉に男が指差す方向、ラルフの方へと顔を向ける。

 男たちは内心、焦っていた。衛兵に突き出されたら被害も大きくないからと有耶無耶にして逃れるつもりだった。

 実際、衛兵たちもはぐれ者のトラブルなど日常茶飯事なので相手になどしない。そうすれば一件落着だった。

 しかし、騎士たちに半ば拘束されたような状態で、しかも荷物を奪った相手がギルドにいるとは。

 男たちはもうその場の雰囲気で事実を捻じ曲げ、自分たちの罪を強引にラルフに擦り付けるつもりだった。


「おい!俺たちの荷物を返しやがれ!」


 ラルフは男たちの言葉に反応しようとするがすぐにもう1人の男が追随する。


「そうだ、お前の持つその袋には俺たちが依頼された荷物が入ってるんだ!」


 するとギルドにいる職員や開拓者たちのラルフに向ける目が冷ややかなものとなってラルフを襲う。


「違う!荷物を盗ったのはお前たちだ!」


 ラルフも場の雰囲気を払拭するように大きな声を放つ。だが、一度ラルフに向けられた冷ややかな目は簡単には消えない。

 男2人に対して、ラルフは1人。また、ラルフは体が成長しきっていないため、子供のように見える。

 大人の言う事と子供の言う事のどちらを信じるか?答えは明白だ。

 そして、何よりラルフの身なりがこの場にいる誰よりも汚く、みすぼらしかった。


「おいおい、はぐれ者同士のトラブルかよ」

「なんでこんな所にはぐれ者がいるのよ?」

「あそこにいるガキがあの男たちから奪って逃げて来たんだろ?どうせここに逃げ込めばなんとかしてくれると思ったんじゃないのか?」

「どっちとも衛兵に突き出せばいいじゃねぇか、はぐれ者だし」

「うん?それよりもあいつ…確かドブネズミって言われてる奴だぜ?はぐれ者の中でもさらにバカにされている奴だ」

「あっ、聞いた事あるわ。あの汚い子が…ドブネズミ、確かにその通りね」


 これ見よがしに降り注ぐ冷たい言葉。ラルフは下唇を噛み、シンシアは困惑している。

 場の雰囲気がラルフを犯人だと決めつけている。無責任で無自覚な悪意。その悪意はどこまでも無慈悲で冷たい。

 そんな恐ろしい感情がラルフに向けられていると思うとシンシアはいたたまれない気持ちになった。しかし、シンシアには状況を覆すような根拠はない。

 そして自分の横では、おそらく犯人であろう男たちがほくそ笑んでいる。

 

 ラルフ唇からはいつの間にか血が流れ出ていた。あまりの悔しさで、唇を強く噛みしめたのだろう。

 そんなラルフを見て、シンシアもまた悔しくて震えている。


(なぜ愚直に生きる者が奪われなければいけない。なぜ真摯に生きようとする者が除け者にされなければいけない。なぜ前を向いて必死に生きている者が笑われなければいけない)


 気付いた時には声を張り上げていた。


「皆の者!その者にそのような目を向けるのは止めなさい!」


 突然のシンシアの声にその場の全員が驚く。視線がシンシアへと向かう。

 シンシアの目には涙が浮かんでいた。黙っていられなかった。我慢出来なかった。ありもしない罪でラルフが傷つけられる事が。

 すると、シンシアの声にギルド職員イリーナが続く。


「そこのあなたたち、頼まれた荷物って一体何なの?答えて!」


 イリーナもまた怒りを覚えていた1人だった。

 状況を変えようと伺っていたところ、シンシアが声を上げたのでその勢いに乗ったのだ。


「チ、チコリの実だ。俺たちはその実を依頼されて採取していたんだ!」


 男の1人は言い訳するように答えた。

 イリーナは答えられた事に驚く。だが、問題はない。


「私はあなたたちにチコリの実を頼んだ覚えは一切ないわ!」

「なっ…!」


 そこで男は口ごもってしまう。

 しかしもう1人の男が苦しそうに答える。


「そうだ、忘れてた。あんたに頼まれたんだったよ」


 もはやその場をしのぐ言い訳にもならない。


「じゃあ私の名前を答えなさい。依頼者の名前、当然答えられるでしょ?」


 男は顔をしかめる。


「…くそっ!」


 男たちは走って逃げだそうとする。

 しかしそれをシンシアは見逃すはずがなかった。決して許すはずがなかった。


「レオナルド!」

「はっ!」


 レオナルドは一瞬にして1人の男を取り押さえる。


「いてぇ…放せ!放しやがれ!」


 もう一方の男はシンシアが対応する。

 男はギルドから外へ抜け出すが一瞬の内にシンシアに回り込まれる。

 シンシアの実力なら簡単に後ろから取り押さえる事が出来たが、そうはしなかった。

 シンシアは男のみぞおちに肘討ちをかました。

 みぞおちに強烈な衝撃を受けた男は胃液を吐き出す。そして呼吸も出来ずに地面にのたうち回っていた。

 その時、別の騎士が呼びに行っていた衛兵がギルドに到着し、男たちは衛兵に突き出された。

 こうして男たちとラルフの揉め事は終止符が打たれた。

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