第12話 回復草を狙う者

翌日、ラルフはいつも通り早朝に魔界へ行こうとゲートに到着する。


「ラルフ君」


 ラルフは声のする方向へ振り向く。そしてすぐに表情は晴れやかになる。


「イリーナさん!」


 ラルフはイリーナの元へ駆け寄る。このイリーナもラルフが信頼を寄せる数少ない人物の1人である。とは言っても2人が知り合ったのはここ数か月の事だ。

 イリーナがラルフの通う店の店主から教えてもらったのだ。ギルド職員のイリーナがそこの店主から成果物の買取りを行う際、時より状態の良い回復草を目にしていた。そんな回復草を最近になってやたら目にするようになったので一体どうしたのか店主に尋ねてみたのだ。

 そこで名前が挙がったのがラルフである。


「おはよう、今日も早いのね」

「はい、俺みたいな弱者は誰もいない間に活動するのがセオリーですから」


 そんなことを笑って答えるラルフ。

 イリーナも表面上、笑顔を崩さずにいるが、内心は笑っていられるものではなかった。

 魔界で活動する者は様々な人間がいる。ラルフのようなはぐれ者からシンシアのような王族や貴族まで。もちろん悪人と呼ばれる者も平気で存在する場所だ。また、身分が高い貴族だからと言って紳士的なわけではない。魔界に存在する者は身分問わず、良い意味でも悪い意味でも共通して欲望に素直な者が多いのだ。

 ただそれはあくまでも魔界で活動する人間の話。加えて魔界という場所は魔物が存在する恐ろしい場所なのである。

 本来であるならば万全な備えをして臨みたいところである…が、イリーナは気づかれないようにラルフの身なりを確認する。


(また今日も同じ格好ね…)


 その姿はラルフと初めて出会った時から変わらない。相変わらず装備と呼ばれる物を一切身に付けておらず、ボロを身に纏い、ボロ袋をぶらさげ、痩せこけた小さな体をしている。万全の備えどころか、ラルフがその日暮らしの貧しい環境下の中で生きている事が窺える。その姿は一目見てスラム出身と言い当てられる事が出来るほどに。


(せめて彼と一緒に行動する仲間が居てくれたらいいんだけど)


 イリーナはそう思ってはみたものの難しいと感じていた。自身がラルフと初めて対峙した時の警戒が尋常で無かったのだ。まるで相手が自分に害を成そうとしている事を前提にしており、それをどう切り抜けるか考えている様子だった。

 その時、イリーナは回復草の事を褒めるだけだったのでそこで警戒は解かれた。しかし、同じように初対面の者がラルフにパーティを組もうと話をすれば、ラルフは絶対に警戒を解かないだろう。そして間違いなくその話を断ったであろう。

 一体どれほどの人間が今までラルフに危害を加えて来たのか?

 そう考えると胸が締め付けられる思いのするイリーナであった。

 だが、そんなラルフが今は自分の目の前でこちらに笑いかけてくれている事を嬉しく思う。


「イリーナさん?」

「あぁ…ごめんなさい。ねぇラルフ君、またいつものお願いをしていいかしら?」

「チコリの実ですか?」


 チコリの実とは香辛料の一種である。乾燥させ、それをすり潰すことで料理に使うことが出来る。このチコリの実はゲート付近の安全な場所で採取することが出来るのだ。あまりに簡単に採取出来る事とそこまでの需要や利益は見込めないのでギルドでは買取りを行っていない。


「イリーナさん、チコリの実好きですね」

「えぇ、私スパイスが効いた料理が好きなのよ」

「…俺のためにいつもありがとうございます」


 他人の優しさに触れる機会が極端に少ないラルフ。だからこそ、その優しさを向けられた時は敏感に反応する…それは驚くあまりにどう接すればいいか分からなくなるほど。

 ラルフはイリーナが自分のためを思って依頼をしてくれているのだろうと察していた。そのイリーナの優しさがとても嬉しかった。

 実際の話、ラルフの直感は当たっている。イリーナの家にはすでに前にラルフに依頼してもらったチコリの実が十分にあったのだ。

 この背景にはイリーナがギルド職員の立場故に、開拓者でない者を支援出来ない事を歯がゆく感じていたからだ。だからせめてもの思いでこうやって個人的にラルフにお願いをしていたのだ。


「じゃあいつもの通り、片手に納まる程度なら5J、両手一杯なら10Jでいいかしら?」

「はい、分かりました」

「でも無理しちゃダメよ。危ないと思ったならすぐに戻ってくるのよ」

「分かっています、大丈夫です。それじゃあ行ってきます」


 ラルフは走って魔界へと向かった。



 この日はイリーナの依頼を優先で活動をした。回復草はチコリの実の近くに生えていたら採取する程度であった。チコリの実は簡単に採取出来ると言っても、虫食いなどには注意しなければならない。この実を必要としているのは人間だけではないのだ。

 ラルフはイリーナに納品する物を1つひとつ目視しながら採取した。


「これくらいでいいかな」


 チコリの実はイリーナから預かった小袋で一杯になった。

 ラルフはそれをボロ袋の中へとしまう。


「まだ時間は早いな、もう少し探索するか」


 最近のラルフは早く開拓者になりたいと若干焦っていた。自ずと魔界での活動時間、そして成果物の採取が多くなっていた。当然その分危険が増す。だが魔界に慣れて来た自分は大丈夫だと少し油断もしていた。

 そんなラルフに魔界で活動する人間が忍び寄って来る。


「あっ!!いやがった。おい、お前ちょっと待て」


 ラルフは一気に警戒を高め、2人の男たちを見る。身なりからして自分とあまり大差ない。はぐれ者で間違いないだろう。


「こいつか、最近回復草を多く持って帰っているって奴は?」


 ラルフは自身の行動を顧みる。確かに再び開拓者を目指すようになって連日のように魔界に足を運んでいた。


(しまった、最近活動する日が多くて目立ち過ぎたか)


 確かにラルフは警戒を怠らないようにしていた。変な目をつけられないよう早朝から活動するようにしていた。

 しかし、ラルフが連日のように回復草を採取していたため、回復草目当てで魔界に来た者がなかなか採取出来ずに困っている事に気が付かなかった。そしてその者たちが犯人を突き止めようとしていることも。

 もし、ラルフが魔界で活動する時間を長くしなければ今日はまだ見つからなかったかもしれない。しかし、ラルフがこのような状況に陥るのは時間の問題だった。


 ラルフは自分を目当てに魔界に来ている者たちがいる事は想像出来なかったが、その者たちがこれから自分に何をしようとしているかは容易に想像する事が出来た。

 男たちは自然とラルフが持つボロ袋に視線を向ける。


「お前、今日も回復草を採取したのか?」

「あぁ…でも今日はほんの少しだ」


 ラルフの言う通り、ボロ袋はあまり中身が入っているように見えず、落胆する。


「はぁ…なんだよ。今日は少しだけかよ…まぁいいや。お前、そのボロ袋ここに置いていけ」


 それを言われた途端、ラルフは顔をしかめる。


 (いつものこと。いつものことだ)


 だが毎回このような要求に理不尽を感じる。

 なぜ自分が必死に集めた物を奪われなければならないのか?

 何度経験したところで慣れるものではない。

 だが無用なトラブルを避けるため、素直に袋から回復草を取り出し、男たちの足元へ放り投げる。


「1、2…10本、これだけしかねぇのか?」

「あぁ、これだけだ。もういいだろ、さっさとどこかへ消えてくれ」


 男の1人が回復草を拾い上げる。

 その間に別の男が問いただして来た。


「10本集めていただけなのか?お前、朝早くから活動しているんだろ?他に何か集めていたんじゃないのか?」

「…今日は遅かったんだ。それにボロ袋はもう空だ」


 ラルフは袋を叩いて何もないことをアピールする。

 だが人から奪う事を何度もしてきた男たちの卑しい心が、そのラルフのアピールがわざとらしくあるのを見逃さない。


「おい、その袋の中を俺に見せろ」


 ラルフの眉間にさらに皺が寄る。


「…断る」


 すると男たちは顔を見合わせ嫌な笑顔を見せる。


「お前、さては他に集めていた物があるんだな。回復草より高価な。おい、それも俺たちによこせ!」

「ち、チコリの実だ」

「チコリの実?」


 ラルフはボロ袋からイリーナから預かった袋を出し、そこからチコリの実を取り出した。

 回復草よりも安価なチコリの実を見せれば男たちは諦めると思っていた。

 だが甘かった。


「確かにチコリの実だな。おい、なんでこんな物集めてんだ?」


 ラルフの顔が一瞬ぴくりと歪む。


「俺、個人が必要なんだ」


 必死に取り繕うラルフ。

 だが、男たちはラルフの表情の変化を見逃さなかった。


「…いや違うな。お前は誰かに頼まれたんだ」

「………」

「お前の代わりに俺たちがそいつにチコリの実を渡してやる。依頼者は誰だ?」

「…言わない」


 ラルフはイリーナのことを男たちに教えたくはなかった。イリーナを巻き込みたくはなかった。


「気に食わねぇな。言え!」

「断る!」


 断固としてラルフは拒否した。


「じゃあ力づくで吐かせるしかねぇな」


 男の1人は笑っていた。

 ラルフは焦りと後悔の念に圧されていた。


(あの時素直に戻っていればよかった)


 しかし後の祭りである。


(逃げるしかない!)


 ラルフに戦う選択肢はなかった。自分の非力な体では100%負ける。逃げる一択であった。

 顔は見られているが、スラムには自分と同じような身なりの者はたくさんいる。それに強烈な印象が残らない限り、人の顔など時間が経てば忘れてしまう。ここを逃げ切ればどうにでもなる。

 ラルフは逃げる覚悟を決め、そして確かめる。


(足は動く。ケガや痛めたところはない。気が張って息は上がっているけどこれは疲れじゃない。大丈夫。回復草は…まぁ諦めるか)


 トーン、トーン。

 ラルフは軽くステップを踏み出す。


「なんだ、やるってのか?」


 男の声に耳を貸さず、呼吸を整え落ち着かせる。


(大丈夫…行ける!)


 そして次の瞬間、ラルフは後ろへ一目散に走り出した。


「あっ、待ちやがれ!」


 男たちはラルフを追う。

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