第7話

***




 アプリコットは針のむしろに座っているような気分だった。

 茶会が始まってからずっと、ディオンがこちらを睨んでいるのだ。

 そちらを見たら目が合いそうで、ちらりとも視線を動かせない。目が合ったら石にされる謎の怨念パワーがこもっていそうな視線だ。


 ディオンの視線が余りにもあからさまなので、その場に集った者は皆アプリコットに同情していた。こんな男に執着されて可哀想に、と。


 ディオンはアプリコットに謝りたいと言うが、それだけの理由でここまで執着したり緊張したりはしないだろう。


(大好きだった弟分が女の子になって、戸惑って暴言を吐いてしまったが、大好きだったことに変わりはないので、そのまま「大好きな女の子」になっちまったんだろうな)


 エドワードはそう思う。

 ただ、ディオンはそれを自覚していない。


 五月休暇が終われば来学期で自分とディオンは卒業するのだ。いい加減に自覚させておかないと、後々になってからあれが初恋だったと認識されては宥めるのが面倒だ。


「ところで、アプリコット嬢は平民だが、クラスや学園生活で何か不便なことはないかな?」

「ふえ?ふぇ、え、いえいえ!皆様とっても良くしてくださいます」

「本当かアプリコット!?机の中にドングリを入れられたり、上履きの中に松ぼっくりを入れられたり、通り過ぎざまにナナカマドをぶつけられたりしていないか!?」

「ひえっ……」


 アプリコットの答えに、ディオンが勢いよく食いつく。


「落ち着けディオン。そんなことをされているのはお前だけだ」

「そ、そうか。なら、いいんだ……」


 いいのか?公爵令息だぞ。と、ゲスト達は思った。


「アプリコットさんのお友達の中に「自然を愛する暗殺者」みたいな人がいるんすかね?」


 ジャンは首を傾げた。


「では、アプリコットさん。何か悩みはないかしら?」


 シャルロッテが優しく微笑んで尋ねる。

 美しき公爵令嬢に微笑まれて、アプリコットは顔を真っ赤にしてぷるぷる首を振った。


「と、とんでもございましぇん……、悩みなんてありません」

「本当かアプリコット!?机の中に入れておいた教科書に「都道府県」と書かれた紙が挟まっていたり、木曜日には必ず下駄箱にコケシが入っていたり、図書室で借りた本がいつの間にか「東海道四谷怪談」という異国の本にすり替わっていてその夜に庭から「一枚足りなーい」って声が聞こえてきたりしていないか!?」


「落ち着けディオン。そんな面白いことがあったのに何故私達に報告しない?」

「アプリコットさんの味方に東洋に詳しい方がいるんすかね?」


 ジャンが呟く。


「では、アプリコットさんは、近頃何か嫌なことや憂鬱な出来事はありましたか?」


 ナサニエルが貴公子の微笑みを向けて尋ねる。


「ひえ、別に……」

「本当かアプリコット!?朝起きてカーテンを開けたら窓の外に作った覚えのないてるてるぼうずがぶら下がっていて、しかも雨の日の度に一つずつ増えていったりしていないか!?」


「ちょっとディオン、後で今までにされた嫌がらせをすべて教えてくれ。興味しかない」

「もはやアプリコットさんの件で嫌がらせをされているのか、全くの別件で恨まれてるのか、ただの怪奇現象なのかわからないっすね」


 ジャンが溜め息を吐いた。


 アプリコットは思い切って顔をあげてみた。タチアナの言っていた通り、生徒会の方も他の参加者の方々も優しい人ばかりだ。

 今なら、言えるかもしれない。


 アプリコットは覚悟を決めて、ディオンに向き直った。


「あ、あの、ディオン様」


 アプリコットに名前を呼ばれ、ディオンは心臓が止まりそうになった。

 アプリコットが目の前にいて、自分に向かって話している。ドングリも飛んでこない。


「その……申し訳ありませんでした!私が紛らわしい真似をしたせいで、ディオン様を苦しめてしまって……」

「アプリコット……」


 ディオンは愕然とした。違う。アプリコットは何も悪くないのだ。すべては勝手に勘違いしたディオンが悪い。

 それなのに、そう伝える前にアプリコットは言った。


「私、「エイブリー・コット」じゃなくてごめんなさい」


 アプリコットはきちんと頭を下げた。


「アプリコット。頭をあげてくれ。謝るのは俺の方……」

「月光の代弁者グレンローズ美華子先生の答えを読んでやっとディオン様の気持ちがわかりました!」


 ……何?

 何先生って言った?今。


「タチアナ様に紹介された雑誌の人気コーナーなんです」


 雑誌を取り出したアプリコットが差したのは、『月光の代弁者グレンローズ美華子のスピリチュアル人生相談』というコーナーだ。



「幼い頃に遊んでいた男の子と再会しましたが、彼から拒絶されてしまいました。彼は私のことをずっと男の子だと思っていたそうなのです。謝りたいのですが、拒絶された時のことを思い出してしまい、怖くて話しかけられません。どうしたらいいでしょう?」


「どうしてその男の子がそんなに怒ったと思う?それは失恋したからよ。そう。彼は男の子だと思っていた貴女に恋をしていたの。貴女が実は男の子じゃなかったと知って、初恋の男の子がこの世のどこにも存在しないことにショックを受けてしまったのね。残念だけれど、貴女の姿を見ると彼は初恋の男の子を思いだして苦しんでしまうわ。今後とも距離を置いて付き合うべきよ。」



「今日もディオン様は私が姿を見せた途端、息が荒くなってとても苦しそうでしたし」


 いや、それは興奮していただけだ。


「ディオン様の好きだった「エイブリー・コット」を消してしまって申し訳ありません! でも、ディオン様ならもっと素敵な人を見つけられると思います! 今日はそれを伝えたかったんです! では、宴もたけなわですが、私はこれで!!」


 言うが早いが、アプリコットは席を立って駆け出していった。


「タチアナ様ーっ。やりました!ちゃんと謝れましたよー」

「おほほほほ!アプリコットはやれば出来る子なのですわ!褒めて差し上げてよ」


 高笑いが聞こえた。




***



 その後のお茶会は急遽、初恋の女の子にあらぬ誤解を受けている男の人生相談コーナーと化したのであるが、学園一優秀な者達の集まったお茶会でも起死回生の万策は出てこなかったという。



 そして、「エイブリー・コットの悲劇」に新たなページが書き加えられた。

「初恋の少女にエイブリー・コットという男の子に恋してると思われちゃってる公爵令息の悲劇」というページが。




「まあ、概ね自業自得なんで、「ざまあww」って言っときゃいいっすかね?」





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エイブリー・コットの悲劇 荒瀬ヤヒロ @arase55y85

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