職員室で
昼休み、言われた通りに職員室に行って担任の先生を訪ねると、職員室内に設けられた面談室に案内された。
ふたり座れば精いっぱいのソファが向かい合う、狭い部屋。職員室から直接出入りできる薄いドアは内側から施錠可能で、プライバシーが守られる。だけど大声を出せばすぐに職員室じゅうに聞こえるし、小さなガラスの窓を通して職員室から中を覗き見ることもできるし、いざというときにはすぐ職員室のマスターキーで外側から開けることができるから、安全も保たれている。
この面談室は、職員室の外にある少し広めの面談室とはまた違った役割を持つことを、私はさすがに薄々察していた。なんというか、重たい話をするところなのだ。暴行とか、非行とか、……問題とか、そういう重たくて、大人のいうデリケートな、話をするときに。
かちゃり、と。
先生は、当たり前のように内側から施錠した。
一年生のときの担任だった中年の女性の先生も、そうだった――だからもう慣れてはいるけれど、やっぱりちょっと、げんなりする。……この、デリケートすぎる扱いに。
「まだ五月だってのに、暑いよな」
先生は私の向かいに座りながら、まるで雑談でもしに来たみたいに気軽な感じで話しかけてくる。様式美みたいに、雑談から始めるのだ。
「お昼は、食べたのか?」
「はい」
「おっ、よかった。なにを食べたんだ」
……お昼ごはんを食べたという事実に対して、よかった、と言われる。
「……クリームパンを、ひとつ」
「そうか、そうか。秋ノ瀬は、上の食堂は使わないのか? あそこな、安いけど美味くて、おすすめだよ。先生のおすすめは特製ラーメンだな」
「しょっぱいもの、あんまり食べないので……」
「秋ノ瀬はたしか甘党だったな」
私は曖昧にうなずく。甘党というより、しょっぱいものの味がよくわからない、と言えばいいのだろうか。甘いものの味はかろうじてわかるから、おいしいとも感じるし、好んで食べる。
ちゃんとごはんを食べなくては駄目。
私が、学校でも、病院でも――言われ続けてきたことだ。
「甘いもの、いいよなあ、おいしいよなあ。先生もチョコとか大好きなんだ。……でも、食事は食事だからな……せめて学校にいるときくらいは、バランスのいい食事をするといいぞ」
そしてその流れを汲んで、……いま、先生も私にそう言っている、ということなのだろう。
わかりました、と私は言った。先生もきっと、……私がわかったとは思っていないということが、わかりながらも。
「それでな、秋ノ瀬。最近はどうだ」
漠然とした質問。でも、これも慣れている。この漠然とした質問をするために――先生は、……大人たちは、いつも私を呼び出すのだから。
「いつも通りです」
「なにか困ったことはないか」
「とくには……」
「睡眠とか、食事とかはちゃんとできているか。……ああ、食事はもうちょっとバランスいいのを食べてほしいって言ったばっかりだったな」
「まあ、それなりに……」
ちゃんとは、できていないと思う。たぶん。
大人たちの言うちゃんと、というのが、どういった基準を示すのかわからないから――たぶん、としか言いようがないのだけれど。
「夜はどのくらい寝られているんだ?」
「夜は……わかりません。途中で、よく起きちゃうので」
……悪い夢、というにも酷い。
私が、人を殺す瞬間。
あの瞬間が――なんどでも、私の意識に浮かび上がっては、穏やかに眠ることを許してはくれない。
「そうか、そうかあ……」
先生はそれ以上、突っ込んでこなかった。
おそらく、これも――情報共有が、なされているんだ。いままで私の相手をしてきた大人たちから。
「病院は、ちゃんと行っているのか」
「行ってます。先週も行きました。今週も行きます」
「お医者さんは、最近はなんて言っているんだ」
「……とくには。いつも通りです」
「なにか、変わったことはないか。新しいこととか、言われなかったか。……ほら、その、秋ノ瀬の巻き込まれた――事件について」
危うく、口の端を持ち上げて笑ってしまうところだった。
巻き込まれた? とんでもない。
あれは私の起こしたようなものだ。
私が、ひとを殺したから――私の異常な家庭は、異常というだけに留まらず、……事件となった。
「……いえ? とくには。いつも通り、お医者さんとおしゃべりをして、薬をもらって、それで終わりです」
「ほんとうに? それだけ? ……たとえば、たとえばだな。なにか環境の変化が起こりうるようなことも、言ってはいなかった?」
「……はい」
なんだろうか。やけに、ぐいぐいくる。
「……あの、さ。もし答えたくなかったら、答えないでいいんだけど」
先生は、神妙な面持ちで言う。
「秋ノ瀬は……事件に巻き込まれた他の子が、いまどうしているか、知っているのか」
「知りません。興味もありません」
私は、きっぱりと言った。
興味がないというのは、ちょっとだけ嘘だ。でも、ほんとうのことでもあった。
あの子は……私が人殺しであることを、知っているんだ。
だから、かかわりたくない。二度と、かかわりたくない。願わくは、幸せにはなってほしい――けれどそれは、私の関係のないところでの話だ。
あまりにもきっぱりと言い切った私に、先生はすこし驚いているようだった。
「そうか、そうなのか……」
先生はなにかを思案するように腕を組んで上を向いて、けれど、けっきょくこれ以上は突っ込まないという結論に達したようだった――たぶん、本日のところは。
「まあ、ぼちぼちな、やっていこうな。困ったことがあったら、なんでも先生たちに言うんだぞ」
ぼちぼち、というのがなんのことを言っているのか測りかねたけれど――私はやはり、曖昧にうなずいた。
「それじゃ、戻っていいからな。暑いから、体調には気をつけろよー」
先生は立ち上がって鍵を開け、私を送り出した。
明るい笑顔は、つくりものなんだろうけれど――つくりものであっても私にそんな気遣いを向けてくれるのが、ありがたくて、申し訳なくて、私は小さく頭を下げると足早に職員室を去った。
……けっきょく、なんの話だったんだろうとは思ったけれど。
いつものごとく、私が元気かどうか確かめたかった?
それとも、……事件に巻き込まれた他の子について、なにか言いたかった?
……事件、のことを、学校の先生たちは知っている。
ということは、私が人殺しであることを知っている。
あなたは小さかったんだ。それに、そうしなければ、あなたが殺されていた。
だから、あなたにはなんにも罪がないんだよ。
私はかつて、そう言われたけれど。
そしていまも、そう言われ続けているけれど。
私は、自分に罪がないなんて思えない。
呪われていて。この手が、汚れているとしか思えない。
……きっと、学校の先生たちも、未成年の私に罪はないって考えてくれているんだろうけれど。
でも、ほんとうはそんなことはないから。
私はいつも――大人たちの気遣いが、苦しい。
人殺し。
そう思っていても、おかしくないのに。
ううん、……ほんとうはそう思っているだろうに、本心を見せずに優しくしてくれていることが、たまらなく――息苦しいのだ。
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