ゴールデンウィーク明けの教室で

 朝。ゴールデンウィーク明けの教室は、連休中の想い出の欠片で満ちている。熱気、笑い声、感情。すべてが一体のかたまりとなって押し寄せてくる。

 ブレザーとチェック柄のスカートという制服姿の女子たちに、おなじくブレザーの制服姿の男子たち。おんなじ格好をしたひとたちが、それなのに各々個性をもって、わいわい、わいわい楽しそうに過ごしている。


 私は、いつも通り机にうつ伏せになって寝るふりをしていた。

 連休中、私はひとりで過ごした。私には友人もいない。家族ももはやいない。もう、それを疑問にも思わない。私には、ひとりきりがお似合いだ。

 この教室のほとんど全員は、メッセージアプリでグループを作っていつもやりとりしているようだけれど、私はそのグループにも入っていない。スマホはいちおう持っているけれど、やりとりをする相手もほとんどいない。

 だから、連休中はほんとうに静かなものだった。静かな、静かな。なんにも起こらない。ただ、私を苛むだけの沈黙だった。


 とんとん、と肩が叩かれる。

 顔を上げると、申し訳なさそうな顔をしたクラスメイトの女子が立っていた。


「あの、秋ノ瀬あきのせさん。これ……」


 彼女が差し出してきたのは、国語のプリントだ。

 私は国語係なのだ。現代文や古典といった国語関係の授業に関して、プリントを集めたり先生の補佐をするという、面倒だけれども他の係に比べれば若干楽なお仕事、だと私は思って国語係になった。

 だから、彼女が私にプリントを提出してくるのは、ごく自然なこと。

 ただ、そのプリントは――たしか提出期限が過ぎている。というより厳密には、連休明け最初の授業、つまり今日の三時間目に回収するから、連休前に国語係に提出することになっていた。国語担当の先生からは、もし連休後に提出があったとしても受け取らないように、とも言われていた。

 システム的には正直ザルだと思うけれど、まあ、学校運営なんてそんなものだろう。


「提出期限、過ぎちゃって。ゴールデンウィークで、その、わくわくしすぎちゃって、課題のこととか忘却の彼方でさ、えへへ……えっと、それは、わかってるんだけど……」

「いいよ。先生に出しとく」


 私があっさりとプリントを受け取ると、彼女はちょっとぽかんとした顔になった。


「……え? いいの?」

「あっ。ただ、ちょっとこれは困るな」

「だ、だよね-、やっぱり提出期限過ぎてたら駄目だよねえー……」

「えっと、ここ。書き直して」


 私は指で、彼女のプリントの、名前の横の欄を示す。

 そこは提出日を書く欄で、現状だとそこが本日の日付になってしまっているのだ。


「連休前の日付にしないと、先生に受け取ってもらえないから」

「えっ、ああっ、そ、そういうこと? わかった、すぐに書き直すね。筆箱、取ってくる」

「鉛筆と消しゴムくらいなら、よかったら使って」


 私は机のなかから筆箱を出して、鉛筆と消しゴムを出した。

 ありがとうー、と彼女は言って、日付の欄を訂正する。

 うん、きれいに直った。これならば、連休前の提出物として認められるはずだ。


「じゃあ、提出しておくから」


 彼女のプリントを、輪ゴムでまとめて机のなかにしまっておいた他のプリントの束に滑り込ませ、輪ゴムでまとめ直す。

 用事が終わったというのに、彼女はそこに立ったままだった。なんだろう。これ以上まだ、なにかあるというのだろうか。


「……まだ、なにか?」


 言った声は、怪訝そうに響いてしまった。

 ううん、と彼女は慌てた素振りで両手を振る。


「秋ノ瀬さんって、真面目な印象があったから……まさか受け取ってもらえるなんて思わなくて。……って、ごめん、失礼なこと言ってるよね」

「受け取ってもらえないと思ったのに、提出しに来たの?」

「えっと、それは……駄目もとと言いますか……」


 照れたように、彼女は鼻をかいた。


「あっ、そうだ。ちょっと待ってて」


 彼女は自分の席に戻ると、なにかを持ってきた。


「これ。もしよかったら、なんだけど……」


 私の手の上に、ちょこんと載せられたのは。

 かわいい和風の包装紙にくるまれた、なにやら和菓子のようなものだった。


「連休中、友達といっしょに泊まりの旅行に行ったの。それで、これ、おみやげ。あんこのお菓子だから、もし嫌いじゃなければなんだけど」

「……甘いのは好き。あんこも食べる。ありがとう」

「ううん、プリント受け取ってくれたお礼」


 彼女はにっこりと笑う。

 ああ、やっぱり私のクラスメイトたちは――こうして私のことを、気遣ってくれるんだ。

 優しいなあ。優しい。……私はそれに、応えられもしないのに。

 こんなとき、気の利いたことひとつも言えないのに。愛想もなくて、笑うこともろくにできなくて。


 たとえばこんなとき、ふつうのひとだったらたぶん、友情が始まるのだろう。

 でも私の場合は、きっとこの和菓子をくれた彼女と友達になることはない。

 だって私は呪われているから。

 人を殺した人間と――心底仲よくなりたい人間なんて、いないに決まっているのだから。


 実際、彼女はすこしのあいだ私の席の前に留まってくれた。

 奇妙な沈黙。

 たぶん私は言い出すべきだったのだ。彼女に対して。旅行、どこに行ったの? 友達って、だれと行ったの? 連休、楽しかった? とか、なんとか、なんでも、ほんとうになんでもいいから。

 そしてすこし気軽に話せる仲となって、名前で呼び合ったり、連絡先を交換したりするべきなのだ。

 ほんとうならば。――ふつうなら。


 けれども私は、やっぱり、そうはできなかった。

 やがて彼女は、友達に呼ばれて――じゃあまたね、と、これまたどこか申し訳なさそうに、私の席の前から去っていった。


 ……またね、か。優しいな。

 あの子は、いつもだれかといっしょにいるというのに、私のことなんか気にかけてくれたのか。

 とってもとっても、優しくて――申し訳ないな。


 私は、寝るふりを再開した。

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