取り替え子と妖精郷

 ルーサーの言葉に、アルマの目が細まる。


「……詳しく話して?」

「えっと……はい」


 アルマに促されて、ルーサーはなんとか思い出すようにたどたどしく話す。


「元々幼馴染と……彼女とは近所付き合いをしていました。その子がかくれんぼをしているときに、いつまで経っても見つからなかったんです。僕も不安になって、大人に助けを求めました。僕は家に帰されて、自警団が夜通し探しのですが見つからず……皆人さらいにあったのではないかと心配していたんですが、翌朝ひょっこり戻ってきたんです」

「そう……」


 アルマは目を細めてルーサーを見ていたが、ルーサーは彼女の細目の意図がわからずにいた。

 やがて、アルマは尋ねる。


「もうひとつ質問。その子となにか約束をしたことはあるかしら?」

「え? それって……言わないといけないことなんでしょうか……」


 あからさまにルーサーの顔が赤くなったのに、アルマは少しだけ面白くなさそうに頬杖を付いた。


「言いたくないのならかまわないけれど、あなたの解呪のためには、できる限り多くの情報が必要だわ。そのひと晩行方不明になっていた子、取り替え子の可能性があるから」

「……取り替え子……ですか?」

「そう。妖精は気まぐれだから、人間の子供で気に入った子がいたら、簡単に妖精郷に連れ帰ってしまう。そのときに、人間の子供を連れ去ったことがばれないよう、わざわざ妖精の子供を身代わりに置いていくことがあるの」

「まさか……ラナを……幼馴染を人間じゃないと言うんですか……!?」


 ガタンッと音が響いた。憤ったルーサーが立ち上がり、その反動で丸椅子をひっくり返してしまったのだ。顔を真っ赤にしているルーサーとは反対に、アルマの反応は冷淡なものだった。


「たしかに、そうとも限らないけれど。ただ、妖精にさらわれた人間は、妖精郷からなんらかの干渉を受けて無意識に呪いをばら撒くことがあるから。している約束があるのだったら、きちんと教えなさい。その約束を、妖精が利用して上書きしている可能性があるから」

「……そう、なんですね。すみません。興奮して」

「いいえ、ちっとも」


 アルマは冷え冷えとした目でルーサーを眺めていたが、あいにくひっくり返した丸椅子を拾い上げているルーサーは、彼女の視線に気付くことがなかった。

 丸椅子に座り直し、ルーサーは考え込む。


「……ラナ。幼馴染ですけれど、彼女が行方不明になる前に、約束をしたことがあるんです」

「そう」

「『大人になったら結婚しよう』と……でも、これのどこに、僕の今かかっている呪いに関係があるのか……」

「さっきも言ったけれど。妖精は気に入った人間をさらってしまうの」

「えっ?」


 アルマは淡々と話す。


「なにもさらわれるのは子供だけではないわ。一角獣は乙女が好きだし、美丈夫が好みで騎士に力を与えた妖精の話なんて、騎士物語でいくらでもあるでしょう? それと同じ。あなたを気に入って連れて行こうとする妖精の力が働いている可能性が高い。その幼い頃にした結婚の約束なんて、妖精からしてみれば上書きして呪いの行使するのに使いやすいにも程があるもの」

「え……? 男女問わずに声をかけられる……現状が……ですか?」

「じゃあ聞くけれど、あなたは人間関係が無茶苦茶になってしまってオズワルドにまで逃げ込んだ。オズワルドに逃げ込まなかったら、そのあとの人間関係、あなたはどうなっていたのかしら?」

「どうなって……と言われても」


 ルーサーは考え込むように、視線を膝に落とした。アルマは脚を持ち上げて組み直すのに、彼は反射的に視線を逸らした。相変わらずストッキングに包まれた彼女の脚の形がいい。


「あくまで推論だけれど、あなたが男女ともに声をかけられるようになったのは、あなたを孤立させようとする意思が働いているように思えるのよ」

「……え、あのう。待ってください」

「なにか?」

「妖精は、僕を気に入って連れ帰ろうとしているんですよね? どうして僕に迷惑をかけるんですか? 僕を孤立させてから妖精郷に連れて行かなくても、話しかけてこればいいだけなのでは……?」

「……優しいのね」


 アルマの言葉には、皮肉の色が見え隠れした。


「残念だけれど、妖精に気を許すようでは、この学院ではやっていけないわ。妖精は基本的に、気に入った人間を愛してはいるけれど、尊重はしてくれない。取り替え子だって、気に入った人間を問答無用で連れ帰ってしまうことを差すし、一角獣は乙女以外は簡単に突き殺そうとする。人間ほどの情なんて持ち合わせてはいないのよ。あなたを孤立させようとするのもそう。あなたを尊重してないから、平気でそんなことができるの」

「それは……あの。妖精郷の影響下にある、幼馴染のラナは大丈夫なんでしょうか!?」


 ルーサーの言葉に、アルマはちらりと冷たい視線を向ける。


「それはどういう意味で?」

「あの……彼女だけなんです。僕としゃべっていても、勝手に持ち上げたり、勝手に好きになったりしないのは……だから……もし妖精がいたら、彼女に危害を加えるのではないかと……」

「……そうね」


 アルマは小さく頷くと、ポケットからなにかを出した。

 小瓶と犬笛である。小瓶は先程見せてくれたレーシーの入った小瓶ではなく、中には黒い砂が入っているように見えた。笛は銀かなにかで出来ている、小指の第一関節くらいの小さなもの。紐を通してあり首にかけられるようになっている。


「これは?」

「砂鉄と笛よ。ちなみにこの笛、うちのレーシーにしか音が聞こえないから」

「え?」

「吹いてみて」


 試しに吹いてみたが、たしかに音が聞こえない。ただアルマの持っているレーシーの入った小瓶がやけに騒がしくピカピカと光りはじめた。


【ウルサイ!】

「あなたを呼ぶための音なんだから、うるさくて当然でしょ。なにかあったらいつでも吹きなさい。誰に気付かれることもなく、レーシーが聞きつけるし、私も飛んでくるから」

「わざわざありがとうございます……あと、この砂鉄はどうすればいいんでしょうか?」

「彼女になにかあったと判断したら、振りかけてみるといいわ。妖精は鉄が嫌いだから、なんらかの反応があると思う」

「ありがとうございます……お守り、みたいなものでしょうか?」

「そんなところね。あと注意してちょうだい」


 アルマはじっとルーサーを見た。


「……妖精の呪いは、魔法使いは呪いよけを施しているけれど、まだ呪いよけの授業を受けていない普通科の生徒ではよけきるのは難しいわ。妖精は一匹だけでも妖精郷の力を引っ張り出せるから、おかしなことをおかしいと思っても、普通科の生徒では認識できない」

「それ……どう見ても僕がおかしなほど人に声をかけられても、誰も変だとわからないってことと一緒でしょうか?」

「そんなところね。呪いよけをしている人間であったら、それが異常だと気付けるけれど。あなたも、本当におかしいと思ったときは、いつでも助けを求めなさい」

「……ありがとうございます」


 ルーサーは深々とお礼を言ってから、ようやく呪いよけの部屋を出た。

 寮までふたりで淡々と歩く。既に夕方であり、校舎から出てくる生徒の数もまばらだ。


「あのう……この学院では呪われている人間って、そんなに多いんでしょうか?」

「どうして?」

「いえ、先輩がわざわざ助けてくれたので、僕がわからないだけでいくらでもいるのかなと」

「知らないわ、そんなの。その辺りは先生たちの管轄だから」

「え……? だとしたら、先輩はどうして助けてくれたんですか?」

「あなたが妖精に呪われていたからよ」


 アルマはきっぱりと言った。


「私、妖精郷に行く方法の研究をしているけれど、妖精自体とは相性が悪くてね。なかなか研究が進まないところにたまたまあなたが現れた。だから似合わないお節介を焼いた、それだけの話よ」

「……はあ」

「せいぜい頑張りなさいな」


 言いたいことだけ言って、アルマはルーサーを置き去りにして女子寮へと帰って行った。

 歩きながら、アルマは少しだけふてくされていた。


「……本当に、妖精は嫌い」


 とてもじゃないが、妖精使いの言う言葉ではない言葉を吐き出したことは、彼女以外知らない。


****


 ルーサーはもらった犬笛を、念のため首にぶら下げて、ローブの下に隠れるようにした。寮ではあちこちに呪いよけが仕掛けられているせいか、日頃あちこちから追い回されるルーサーも快適に過ごすことができた。


(いつもこうだったらいいんだけど、それだったら町にいたときと大差ないもんな)


 ルーサーはあの高圧的な先輩からもらった小瓶をズボンのポケットに突っ込んだところで「ルーサー!」と心配そうな声をかけられた。

 授業が違うために、こうして寮の食堂でまで会うことのできなかったラナである。


「ラナ」

「授業ちゃんと受けられた? さっきあなたが女の人と歩いているのを見て心配したわ……なにもなかった?」

「え……寮に帰るところを見てたの?」

「心配してあなたを探し回ったけれど、どこにも見つからなかったんですもの……今日はなにもなかったのよね?」

「いや……」


 ラナと別れてから、女子生徒たちに追いかけ回され、アルマに遭遇して呪いよけの部屋でカウンセリングを受けていた。

 なにひとつ解決してないものの、よくもまあ、ここまで一日……もない。ほとんど放課後だけの話だ……濃い時間を過ごしたものだ。

 ルーサーはラナを見た。相変わらず透き通るような肌に、光沢を放って伸びる髪は、誰もが視線を送るものの、彼女はそれを無視してただ彼を心配して見上げている。


「親切な人に、助けてもらっただけだよ」

「あら。親切な人? 先程の女の人?」

「……あの人は妖精学を研究している召喚科の先輩だよ」

「そう……あの人から、変なことされなかった?」

「されてないよ。むしろ僕がおかしなことになっている理由を、一生懸命説明してくれた。全部わかった訳じゃないけど、説明されて初めて腑に落ちたことも多いから」

「……あんまり、変なことしないでね。クチュン」


 突然、ラナはくしゃみをした。くしゃみをしても、彼女は可愛い。

 ルーサーは微笑ましいものを見る目になりながらも、「どうかした?」と心配はする。


「……なにかしら。この学院に来てからあちこちですぐくしゃみをしちゃうから困るわね」

「そう……使い魔を連れている先輩が多いからかな?」


 普通科の生徒はほとんどは魔法使いの家系ではないから、未だに馴染みは薄いが。魔法使いの家系の人間はなにかと使い魔で動物を飼っている人が多い。

 アルマのように妖精を小瓶に詰めている魔法使いだけではない。一般人でも馴染み深い動物を使い魔にしている人はここではいくらでも見かける。

 黒猫やふくろう、ハトだったらまだ可愛いものだが、中にはカラスにこうもり、大きなカエルに蛇を飼っている人もいるから、ときどき肩に乗っている使い魔に驚くことは、なにも珍しい話ではない。

 クラスメイトにもふくろうを使い魔にするのに憧れていたものの、ふくろうと遭遇するたびにくしゃみが止まらず、肌にも湿疹が出てきて諦めた者だっているのだから、ここに来て初めて合わない使い魔がいると知ったケースだって、珍しくない。


「……そうなのかもしれないわね」


 ラナはズピズピと赤くなった鼻を鳴らした。

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