第30話 崩落

 無事、受験が終わった。


 今さら試験の出来をどうこう言うことはない。




 俺にとって何よりも重要なのは……那月の自殺を止めることだ。


 あの文化祭の日から今日まで、那月に対する無視などはあったものの、酷いいじめはなかった。


 もちろん、今宵と接触した様子もない。


 これまでの高校生活よりも、那月の抱えるストレスは軽かったと思うのだが、それでも楽観はできない。 




 明日は、卒業式。


 つまり今日は……これまでの繰り返しの中で、毎回那月未来が自殺をした日だ。




 那月とは、これまでにないくらい信頼関係を築き上げることが出来た。


 ……大丈夫、これまでの俺には出来なかったことでも。


 きっと、今の俺になら・・・・・・、那月の自殺を止めることが出来る。




 いや、絶対に止めてみせる……!


 俺はそう決意して、家を出た。







 時刻は昼過ぎ、俺は学校に到着していた。


 3年生のいない校内は、どこか寂しく俺の目に映った。


 誰もいない3年生の教室を少しだけ覗いてから、俺は階段を上った。




 彼女が俺を屋上に呼び出すのは、決まって夜だった。


 昼間から屋上に向かっても、那月はそこにいないだろう。


 だけど、それこそが狙いだ。




 待ち伏せし、屋上に入ってきた那月を一度校舎内に押し返す。


 それから、ゆっくりと那月の話を聞いて、説得をする。


 彼女が屋上にいるのは、それだけでリスクが高いからだ。




 そう考えていたのに。


 当然鍵がかかっていると思っていた屋上の扉が――既に、開いていた。


 俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、扉を開いた。




 屋上には、一見誰もいないように見えた。


 だがしかし、よく見ると……制服を着た那月が、手すりの向こうで体育座りをしていた。




 こんなに早く屋上に来ているのは、予想外だった。


 俺が考えていた安全策を使うのは、難しいだろう。


 だけど、失敗が決まったわけじゃない。




 俺は屋上へと踏み入り、そして那月の傍に歩み寄った。




「こんなところにいたら、危ないぞ」




 那月にそう声を掛けてから、俺は手摺りを乗り越えて彼女の隣に座った。




「ちょっと危ないくらい、何も問題ないでしょ?」




 那月は俺の出現にも驚いた様子はなかった。


 ただ、彼女は嬉しそうに、笑っていた。




「私がここにいるって思ったの?」




 俺は、そう問いかけた那月の手を、どこにも逃がさないようにと握りしめた。




「何となくな」




 俺が答えると、彼女は俺の手をギュッと握り返してきた。




「それって、なんだか運命みたいだね」




 那月は惚けた表情で呟いた。




 俺は唇を噛みしめる。


 今日ここで死ぬのが那月の運命だと、俺は決して認めない。




「ここであんたと初めて話したあの時。私にはあんたが死にたがってるように見えた。幼馴染にフラれただけで、バカみたいって思ってたけど……今なら、その気持ちも分かる」




 両足のつま先を上下に動かしながら、無表情で那月は続ける。




「これから先、半世紀以上先の寿命が来るまで生きてたって……どうせ、良いことなんてない。努力をしたって、報われることなんてない」




 那月は淡々とした様子で言う。




「私の想像を超える出来事なんて、きっとこの先訪れない。生きるってことは、ただの確認作業。平凡以下の惨めな人生を確認して……それでお終い」




 諦観を浮かべた表情を、彼女は俺に向けてきた。




「そんな風につまらない人生を送って、よぼよぼのおばあちゃんになってから、良いことなんて何もなかったって思いながら死ぬよりかはさ。今日ここで、綺麗なうちに……大好きな人と一緒に死んだ方が良いじゃん。……ね?」




 那月はそう言って、俺に同意を求めるように、俺の手を力強く握りなおしてきた。




 彼女はそれから、立ち上がる。


 彼女に手を引かれて、俺もつられて立ち上がった。




 大きく一歩踏み出せば、即座に真下に落下する。


 そうなれば、きっと助からない。




 ――そうならないために、俺はここにいる。




「俺も、那月のことが好きだ」




 俺はそう言って、彼女を見た。




「嬉しい……幸せだよ」




 彼女は蕩けたような、幸せそうな表情をして、呟いた。


 だから、この先も一緒に生きよう、と。


 辛いことは、二人で乗り越えよう、と。




 俺は那月にそう言おうと思い、口を開こうとして……。




「もう、死んじゃおっか」




 不意に、那月が俺にキスをした。


 那月の柔らかな唇によって、俺の口は塞がれ……。


 そして、彼女は俺を抱きしめながら、身を投げた。


 不安定な足場、人一人分の体重を預けられて、バランスを取ることが出来ず……。




 俺と那月は屋上から、落ちた。




 ……え?


 ……これで死ぬのか?


 俺はまだ何も伝えてないのに……どうして、俺の話を聞いてくれないんだ?




 俺の思考を遮るように、衝撃が全身を伝う。




 薄れゆく意識の中、那月の面影が残る肉の塊・・・が視界に入った。


 それは……不明瞭な意識でも、既に手遅れだと一目見てわかった。




 理不尽な結末を迎え、無力感に苛まれた俺は……。


 決して、俺だけは言ってはいけない一言を、力なく呟く。




「そんなに死にたいなら……一人で勝手に死ねよ」











 目が覚めた。見覚えのない天井を視界に収め、その後すぐに、自分の身体の違和感に気が付いた。


 全身の感覚が全くなかったのだ。


 ……どうやら俺は、生き残ってしまったらしい。




「玄野さん、目が覚めたみたいです。先生来てください!」




 看護師のその言葉がやけに耳に響いた。




 すぐに駆け付けた医者が、俺に説明をしてくれた。


 学校に人がいる時間が幸いし、教師がすぐに救急車を呼んでくれたおかげで、俺だけは一命をとりとめたようだった。


 とても言いにくそうにしていたが……つまりは那月の身体がクッション代わりになっていたらしい。




 そして、今は麻酔の効果が身体に残っていて、意識と感覚がはっきりしないだろうが、リハビリを頑張れば、日常生活を送れるようにはなるということだった。




 その後に、家族や警察が病室に訪れた。


 事情聴取には、「自殺に巻き込まれた」と、はっきりと答えた。




 さらにしばらくしてから、今度は那月の父が現れた。


 彼は涙を浮かべてから、俺に土下座をして謝った。


 俺は何も話したくなかったから、一言も応じなかった。


 気づけば、彼は病室を後にしていた。きっと、もう二度と会うことはないだろう。




 絶対安静の入院中は、することが何もなかった。


 だからただ、ひたすら考えていた。




 全てが、どうでも良くなっていた。


 今回のことで、俺はよくわかった。


 那月は、あの日あの場所で、飛び降りる運命なのだ。




 俺に彼女は救えない。


 それが分かっただけで十分だ。


 やるだけのことはやって、救えなかったのだから、もう後悔はない。


 そして、生きる目的もなくなった。




 だけど、死のうとも思わなかった。


 自殺するには、膨大なエネルギーが必要だ。




 苦しみや悲しみや貧しさや、怒り。


 そういう『糧』がなければ、人は自発的には死ねない。




 つまり、俺は終わりを迎えるその時まで。


 何の意味もなく生きなければならなくなった。







 病院を退院し、リハビリのため通院をする毎日。


 合格をしていた志望校は、入学を辞退していた。




 俺は必死にリハビリに励んだ。


 辛いリハビリだったが、何も考えなくて良かったので、好都合だった。




「リハビリ、今日も大変だった?」




「ああ」




 俺は、車で病院への送迎をしてくれている今宵に、力なく答える。




「早く歩けるようになると良いね」




 明るくそう言った今宵に、俺は答える。




「そう言えば、なんで今宵が送迎してくれてるんだっけ?」




 時間の感覚も、記憶も、あいまいだった。




 俺の言葉に、彼女は辛そうな表情を浮かべた。


 しかし、すぐに優しい笑顔を浮かべた。




「大学の夏休みだから。帰省中、幼馴染の面倒を見てあげてるだけだよ」




「ああ、そっか」




 俺は無感動に答える。


 いつの間にか、季節は夏になっているようだった。




「……うん。明日も今日と同じ時間にリハビリだよね?」




「ああ」




 次の日も、今宵は俺を病院まで送迎してくれた。







 リハビリを開始して、長い時間が経っていた。


 ある程度の後遺症は残っているが、それでも日常生活が出来るようになった頃。


 俺は、田舎での生活に嫌気がさし、東京へと引っ越しをした。




「大学生って結構暇だからさ、気にしないで」




 俺の両親から聞いたのだろう。


 今宵は、今日から住むことになった1Kの部屋で、荷解きを手伝ってくれた。




 甲斐甲斐しく世話を焼く今宵に対し、俺は疑問が一つ浮かんだ。




「そういえば。俺と今宵って、いつ仲直りしたんだっけ?」




 俺の言葉を聞いた今宵は、気丈に微笑もうとして……そうすることが出来なくて。


 静かに、涙を流していた。




「ごめんね、暁……」




 今宵は俺に、そう謝罪をした。




「暁は、悪くないよ。いじめられていたあの子を助けてあげられなかったことを、気に病んでいるのは分かる。でもそれは……絶対に暁のせいじゃないから」




 今宵は涙を流しながら、俺を抱きしめた。




「あの子を虐めた人も、見て見ぬふりをしていた人も。みんな何事もなかったように、あの子を追い詰めたことを忘れ切って……素知らぬ顔で日常を過ごしてるの」




 彼女の温もりが伝わる。




「悪いのは暁じゃない。自殺しか考えられなかったあの子でもない。あの子を追い詰めた……あたしを含めた周囲の皆が悪いんだよ」




「……たった一人の女の子も救えない、無能な俺が悪いんだ」




 俺の言葉に、今宵は首を振ってから言う。




「お願い……、一人で抱え込まないで。あたしは、あたしだけは。あの子に対する罪を忘れないから、一緒に背負うから。傍にいさせて、支えさせてよ……」




 顔を上げ、彼女はまっすぐに俺を見つめて、言った。




「暁は幸せになって良いんだから」




 俺に、幸せになる権利なんてない。


 そんなことは、分かっているのに……。




 涙を流して、俺を案じる今宵の唇に――気づけば俺は、自らの唇を重ねていた。


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