第20話 最悪と幸運


 あれから、今宵からちょっかいを掛けられることはなかったが、不思議と視線が合うことが多くなったように思う。


 それは、俺も彼女を目で追うことが増えた、ということだろう。


 今宵は、那月に嫌がらせをしている可能性が高い、要注意人物だから。……ということ以外に、理由はない。




 そうして、平穏な日々が過ぎ。


 今日は3度目の文化祭。




「あっきー、とりあえずチュロス!」




 最初と2回目の文化祭は男友達と回っていたが、今回は約束通り、伊織と文化祭を回る。




「はいはい」




 そして、俺は2年生のやっている出店で、伊織にチュロスを買い与えた。


 受け取った伊織は、一口ほおばってから、




「うーん、美味しくはなーい!」




 と、楽しそうに言った。




「はい、あっきー残りどうぞ」




 そう言って伊織は、一口だけ食べたそれを俺に押し付けてくる。


 俺は受け取り、しぶしぶ食べる。




「……二個買わないで良かった」




 食べられなくはない。


 ただ、パサパサしてるし、無意味に重いし、伊織の言葉の通り、決して美味しくはない。


 ……普通に不味い。




「じゃあ次は、お化け屋敷いこっか!」




 伊織は俺の手を引き、3つの教室を使って作られた、今回の文化祭の最大規模のお化け屋敷へと向かった。


 少しの間並んでから、お化け屋敷の中へ案内をされる。


 最初の頃は雰囲気がそれなりに出ており、期待をしていたのだが、恐怖演出が単調で、半ばを過ぎたころには飽きて怖がることもなくなった。


 最終的に、暗いところでちょっと散歩をしているみたいな感覚だった。




「時間を無駄にしたねー」




 伊織はにっこりと笑って言い、俺も笑顔を浮かべて、無言で頷いた。




「講堂でやってるステージでも観に行く?」




「そうしようか」




 それから、俺と伊織は講堂へと向かった。







 内輪ネタばかりの寒いお笑いコンテストを、伊織は存外楽しんでいるようだった。


 俺はというと、正直飽きていた。




 何といっても3回目の文化祭だ。


 2度目は懐かしくて楽しんでいたが、今回はそれも難しい。




 俺は時計を見る。


 既に夕方、あと一時間もすれば文化祭は終わる。




 そろそろ、伊織と一緒に文化祭を回っている俺に嫉妬した今宵が、顔を出す頃合いだ。


 俺は周囲を警戒していたのだが……。


 一向に、今宵は来ない。




 ――そして、文化祭終了まで残り30分となった。


 ここにきてようやく、俺は違和感を覚えた。


 もしかして俺は、思い違いをしていたのかもしれない。




「……ごめん、伊織。ちょっと外す」




「え? あ、うん。わかった」




 漫才コンテストの結果発表を見守る伊織に一言告げてから、俺は講堂から校舎へと向かった。


 そして屋上前の扉を見て、心臓の鼓動が逸った。




 南京錠のカギが……開いていた。




 扉を開いて、屋上へと入ると、2度目の時と同じように。


 彼女は手摺りに寄りかかりながら、眼下を見下ろしていた。




 俺は深呼吸をしてから彼女の隣に並んで、声を掛ける。




「今年は文化祭、楽しめた?」




「……ああ、まあね」




 俺の声に、彼女はこちらを一瞥もせず、怠そうにそう答えるだけ。


 ……俺は、絶句する。


 那月は、今回も嫌がらせを受けてしまったのだ。




「何かあったのか? 話を聞かせてくれ」




 俺の言葉に、那月は肩をびくりと震わせた。




「……うるさい」




 俺の言葉に、那月は無感情にそう言ってから、俯いた。


 その様子を見て、思案する。




 伊織は今日一日、俺に付きっきりだった。彼女が犯人は、ありえない。


 もう一人の容疑者である今宵は、今回は那月に嫉妬をすることもないため、嫌がらせをする動機がない。




 つまり、那月に嫌がらせをした犯人は、俺が注意をしていた二人ではなかったのだ。




 回りくどいことをしていないで、那月と一緒にいるべきだった。


 いや、それは結果論か……。


 とにかく今は、那月を一人にはさせない。




「ここ、寒くない? 俺の上着で良ければ貸すけど」




「寒くない。……良いから一人にさせて」




「今の那月を一人には出来ないだろ」




 俺の言葉に、那月は顔を上げる。


 それから彼女は、俺を赤く泣き腫らした目で、睨みつけた。




「……うるっさい、私が一人が良いって言ってるんだから、一人にさせてよ」




 前回の俺は、彼女のためにできることは何もないと、屋上を後にした。


 だけど今回は、違う。




 彼女の死の運命を、俺は変えたい。




「分かった、もう何も話さない。だから、傍にいるくらい良いだろ?」




 俺の言葉を聞いて、彼女は拳を固く握った。




「あんたの顔なんて見たくないっ、さっさと私の前から消えろよっ!」




 俺は無言のまま、彼女の視線を受ける。




「黙ってないで、何か言えよぉ……」




 弱々しく呟き、縋るような視線を送る那月。




「傍にいるって、言ってるだろ」




 俺の言葉を聞いて、那月はまっすぐに、こちらを見つめる。


 それから、俺の制服の裾を、ギュッと握りしめてから、声を振り絞るように言う。




「はやく、どこか行って……」




 その言葉とは裏腹に、俺の制服を掴む彼女の手には、強い力が込められていた。


 彼女の胸の内に隠した本心が、痛いくらい伝わってくる。




 俺は那月のその手に、自らの手を重ねた。




「……嘘。どこにも行かないで、このまま一緒にいて」




 震える声で、那月は呟く。




「傍にいるから、心配すんな」




 俺が答えると、彼女は俺の胸に飛び込んできた。




「……心の中でずっと、あんたに『助けて』って叫んでた」




 深い悲しみが、彼女の声と体温を通して俺に伝わってくる。




「来るのが遅いのよ。もっと早く来てよ、バカ……」




 そう呟いてから、那月は嗚咽を押し殺す。


 俺は、彼女の肩を抱いて言う。




「一人にして、ごめん」




「もう、一人にしないで……」




「うん、一緒にいる」




 泣き止まない那月を宥めるように肩を叩き、俺は問う。




「誰に、何を言われたんだ? 那月を傷つけた奴を、俺は許せない」




 自分が思っている以上に、俺は怒っていたようだ。


 怒気を孕んだ声音に、那月はビクリと肩を震わせ、怯えたように俺の表情を覗き込んできた。




「言いたくない。もう、あんた以外の誰とも、関わりたくない……」




 そう言って、那月は俯いた。


 那月は弱り切っていた。


 ……今の彼女に、誰に何を言われたのか、思い出させたくもない。




 俺は、心底自分が情けなくなった。


 普段は強気に振る舞っている那月だけど、俺が見て見ぬふりをしていた内に、ここまで追い詰められていたのだ。




 ――彼女を追い詰めた全てを、台無しにしてやりたいとさえ思った。




「明日、一緒に文化祭を回ろう」




「……え?」




 俺の言葉に、那月は呆然とした様子だった。




「那月は今日、最悪な文化祭だって思っただろ? だから明日は改めて、最悪な文化祭だってことを、二人で確認しよう」




「でも……」




 答えを悩んでいる様子の那月。


『私は見世物になるつもりはないから』


 彼女の言葉を思い出し、俺は問いかける。




「祭りなんだし、見世物が一個増えるくらい構わないだろ?」




「……見世物?」




 戸惑ったように、那月は言った。


 そうだ、これは前回の記憶。


 今目の前にいる那月とは、この会話をしていない――。




 俺は、「なんでもない」と呟いてから、続けて言う。




「パッサパサのクソ不味いチュロス、内輪ネタだけの笑えない漫才、青春ごっこのコピーバンドは聞くに堪えない。この町と同じで、那月が好きになる要素なんて一つもない、クソみたいな文化祭だったって、いつか未来で思い出した時に胸を張って言えるように――」




 俺は、彼女に手を差し伸べてから、言う。




「明日は、俺と一緒に文化祭を回ろう」




「……うん、良いよ」




 那月は頷き、差し出した俺の手を、握り返して微笑んだ――。







 そして、翌日。


 初日の熱を持ち越した文化祭の2日目は、どうやら大盛り上がりをしているようだが……。


 俺と那月には、そんなこと関係なかった。




「これが我が校自慢のチュロスだ」




「うわ、ほんとにマッズ」








「漫才コンテストの決勝に進んだ漫才はどうだ?」




「どこで笑えば良いか分かんないっ」








「モテたいってだけでやってるお遊びコピーバンドが盛り上がってるみたいだけど、那月も盛り上がってる?」




「クッソ萎える!」








 俺と那月は、互いに笑顔を浮かべて悪口を言った。


 周囲の人間は、気分を害したように俺たちを睨んできたが、関係なかった。




 最初に那月を害してきたのは、お前たちの方だ。




 クソみたいな学校の、クソみたいな文化祭。


 しかも、俺は3度も繰り返している。




 退屈で、最低な気分になると思っていた。




 だけど、これまでで一番楽しいと思えたのは――なぜだろう。







 文化祭2日目が、あっという間に終わった。




 明日から……いや、今日の夜にはもう、3年生は受験勉強に集中することになる。




 だけど、俺と那月は帰ることなく、二人で屋上に来ていた。


 いつもは那月が開ける南京錠を、彼女にやり方を教えてもらいながら、俺が開けた。


 やってみたら意外と簡単で、だけど那月は「私の教え方が上手いから」なんて得意げに言っていた。




 日は既に落ちていて、夜空には少しずつ星が瞬き始めていた。




「やっぱ、つまらない文化祭だったろ?」




 俺は那月の隣に並び立ち、夜空を見上げながら問いかける。




「うん、クソみたいな文化祭だった」




「クソみたいな生徒と教師しかいないんだから、当然なんだけどな。クソの代表格である俺が言うんだから、間違いない」




 その言葉に、那月は答えない。


 彼女は、無言で俺の横顔を見ているようだ。




「こんな学校に来るなんて、運がなかったな」




 俺は苦笑して、那月を見た。


 彼女は、プイと視線を逸らした。




「そんなことない」




 俺の言葉を即座に否定した那月。


 どうしたのだろうかと思い、俺は那月の様子を見守る。


 彼女は、逡巡した様子だったが、俺が無言でいると、深呼吸をしてから口を開いた。




「文化祭はつまらなかったし、この学校には最低な奴ばっかりだけど――それでも、この学校に来たことを不運だったと嘆くことは、私にはもう出来ないから」




「……なんで?」




 俺の言葉に、那月は「これ、言わなきゃダメなの……?」と不満そうに呟いていた。




「いや、言いたくないなら、無理には言わなくていいんだけど……」




 俺の言葉に、那月は「はぁ~」と大きな溜め息を吐いた。


 恨めしそうに俺を睨みつけてから、まっすぐに伸ばした指先で俺の胸を強く3度突いた。




「私はあんたと……玄野暁と出会えた幸運まで、否定したくはない」




 上目遣いで俺を見た那月は、反応を窺っていた。


 こんなことを言われるとは思っていなかった俺は、すぐに反応が出来なかった。




「黙るな! ……それで、私にこんなことを言われた感想は?」




 目には見えないマイクを俺に向けた那月に、




「これからも、俺と出会えて幸運だったと思ってもらえるようにしたい」




 2度目の高校生活で、那月が俺と出会ったのは、紛れもなく不運だったろう。


 でも、今回は違うのだと、俺は自分に言い聞かせる。




「……あっそ」




 照れ隠しのように、那月はそう言い。


 俺の視線から逃れるように、プイと顔を背けた。


 

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