第19話 関係
伊織を駅まで見送り、それから家に帰る。
携帯を見ると、那月からメールが入っていた。
『あんた、どんな勉強したわけ?』
俺が夏休み中バイトをしていたにもかかわらず、学年2位という好成績を残したことに、興味があるのだろう。
『学年一位の才女に勉強を見てもらえばこのくらい余裕(^^)v』
俺がメールを送ると、間髪入れずに返信が届く。
『うざ』
顔文字も絵文字もない、たったの二文字。
それだけなのに、彼女の嫌がる表情が想像できた。
『ヤマが当たっただけ』
『それでも私には勝てなかったね』
「……わざわざ勝利宣言とか、負けず嫌いだな、こいつ」
俺は那月から来たメールを見て、呟いた。
それから、続けて彼女からのメールが届いた。
『でも、頑張ったね』
……きっと彼女は、この言葉を俺に言うために、メールをしてくれたのだろう。
『ありがとう』
俺の送ったメールに、返信はなかった。
☆
その後、那月とは学校で積極的に関わることはなかった。
ただ、ファミレスで一緒に勉強をすることはあったし、ちょっとしたことで電話やメールのやりとりをすることもあった。
つまりは、相変わらずの……それなりに良好な関係を続けていた。
そうして、2学期も1か月ほどが経過した頃。
「あのさ……最近トワちゃんと仲良くない?」
2周目と同じように、制服姿の今宵が突然俺の部屋に訪れた。
彼女は、俺のベッドの上に腰かけ、椅子に座る俺に対し、そう問いかけた。
「ああ、そうだな」
今宵の問いかけを俺は肯定する。
学校にいる時は、特に伊織と一緒にいる時間が増えた。
世間話をするのはもちろん、休み時間中に彼女の勉強を見てあげることも増えた。
それもこれも、こうして今宵の嫉妬心を、伊織に向けるためだった。
「ふーん、開き直るんだ?」
だけど、今宵の様子が俺の想像と違った。
彼女の表情には、どこか余裕を感じさせた。
「開き直る、ってわけじゃないけど……」
「けど?」
彼女は、俺の言葉の先を促す。
どういうことだろうかと思いつつ、俺は言う。
「休みの日には、二人きりで遊びに行くことも多い。水族館とか、カラオケとか……」
今宵は俺の言葉を聞いて、クスリと笑った。
「お互いに志望校に合格したら、付き合おうってあたしと約束したよね? なのに暁は他の女の子と遊び惚けてる。……どういうことなのかな、これって?」
前回は硬い声音で憤慨していたのに。
今日は、俺の答えを聞くのを楽しんでいるように見える。
このギャップは、何なんだ……?
「別に、伊織とは付き合ってるわけじゃない。ただ、話してみたら思いのほかウマが合って、一緒にいることが増えただけだ」
俺が言うと、今宵は「ふーん?」とニヤニヤしながら、俺を見た。
それから、手招きをして、
「こっち来て、隣に座って」
と自分の隣に座れと言ってくる。
俺は今宵を警戒しつつ、彼女の隣に腰かけた。
「何ビクビクしてるの? 浮気されたと思ったあたしが、暁を怒鳴るとでも思ってる?」
「まあ……、そうだな」
俺の言葉に、今宵は微笑む。
そして、意外なことに彼女は、俺の肩にもたれかかってきた。
「暁は変わったよね。一回あたしにフラれてから」
「……そんなことないだろ」
俺がタイムリープをしていることを、今宵は気づいてはいないだろう。
それでも、思わずどきりとするようなことを、彼女は言ってきた。
「あたしは暁のこと、何でも知ってるから。隠し事なんて出来ないよ?」
「隠し事なんて、していない」
「隠すつもりがないってことかな? ……暁、わざとあたしがトワちゃんに嫉妬するようにしてるでしょ?」
その言葉に、俺はびくりと肩を震わせてしまった。
どうやら今宵は、思っていた以上に俺のことを理解しているようだった。
「図星だったね。暁の考えてることくらい、お見通しだよ? トワちゃんに嫉妬させて、あたしの気持ちを煽ってる。……二人が合格する約束の日まで、待てないから」
しかし、伊織に嫉妬を向けさせている理由については、理解できていないみたいだった。
「暁は、あたしに振り向いてほしくて必死なだけなんだよね? ……可愛い」
揶揄うように言う今宵に、俺はつい油断をして、気を抜いていた。
「……今日だけだよ?」
そう言ってから今宵は、俺の肩を掴んで思いっきり押し倒してきた。
ベッドの上に、仰向けに倒された俺の身体に、今宵は自らの身体を重ねた。
脈打つ鼓動が伝わり、吐息が肌を撫でる。
「今日だけ――今だけ。暁のしたいこと、してほしいこと……なんだってしてあげる」
今宵は、俺の耳元で囁いた。
そして、彼女はゆっくりと、俺の太股を指先でなぞる。
「……っ」
突然の快楽に、俺の口から意図せず声が漏れた。
それを聞いた今宵の表情が、嗜虐的に歪んだ。
何も知らない、初心な田舎娘の表情ではない。
男を溺れさせる、女の顔をしていた。
……このまま、彼女を抱くのも悪くはないのかもしれない。
一度抱けば、きっと今宵はこれまで以上に俺に入れ込む。
今日だけ、なんて言葉はすぐに忘れ、肉欲に溺れる日々を過ごすことになるだろう。
そうして、身も心も、俺なしではいられなくすれば。
言うことを聞かせるのも容易だろう。
「……どいてくれ」
だけど俺は、そう言って今宵の身体を押し返す。
「悪いけど、そういうつもりじゃないから」
ベッドの上で起き上がり、向かい合う俺と今宵。
「……強情だね」
今宵は呆れたように呟いてから、俺の胸に額を押し付けた。
「でも、我慢できて偉いね」
そう呟いてから顔を上げ、慈しむように俺を見つめてから……首筋に口づけをしてきた。
その後、今宵は立ち上がった。
皺になった制服を手で叩いて伸ばす。
それから、ベッドに腰かけた俺を見下ろして、彼女は今しがた口づけした首筋に指を這わせながら、尋ねてくる。
「暁は、あたしのこと好き?」
「愛してるよ」
彼女の問いに、俺は悩む間もなく即答する。
俺の口から放たれた、空虚な響きの偽りの言葉を。
今宵は妖艶な笑みを浮かべて聞いていた。
「あたしも愛してるよ」
そう言って、今宵は俺の部屋から出て行った。
どっと疲れが出た俺は、一つ溜め息を吐いてベッドの上で仰向けになった。
俺の思惑とは少し違った形だが、今宵は今、那月へ嫉妬を向けてはいないようだった。
ふと、シーツから今宵の残した甘い香りが漂い、鼻腔をくすぐる。
つい先ほど、その香りを機に、今宵に押し倒されたことを思い出した。
彼女を抱くことに、良心の呵責があったわけではない。
ああいう女を抱いても面倒ばかりでろくなことにならないことを、経験則で知っていただけだ。
俺は自分にそう言い聞かせる。
未だに胸の鼓動が収まらないのを、自覚しながら――。
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