第19話 関係

 伊織を駅まで見送り、それから家に帰る。


 携帯を見ると、那月からメールが入っていた。




『あんた、どんな勉強したわけ?』




 俺が夏休み中バイトをしていたにもかかわらず、学年2位という好成績を残したことに、興味があるのだろう。




『学年一位の才女に勉強を見てもらえばこのくらい余裕(^^)v』




 俺がメールを送ると、間髪入れずに返信が届く。




『うざ』




 顔文字も絵文字もない、たったの二文字。


 それだけなのに、彼女の嫌がる表情が想像できた。




『ヤマが当たっただけ』




『それでも私には勝てなかったね』




「……わざわざ勝利宣言とか、負けず嫌いだな、こいつ」




 俺は那月から来たメールを見て、呟いた。


 それから、続けて彼女からのメールが届いた。




『でも、頑張ったね』




 ……きっと彼女は、この言葉を俺に言うために、メールをしてくれたのだろう。




『ありがとう』




 俺の送ったメールに、返信はなかった。







 その後、那月とは学校で積極的に関わることはなかった。


 ただ、ファミレスで一緒に勉強をすることはあったし、ちょっとしたことで電話やメールのやりとりをすることもあった。


 つまりは、相変わらずの……それなりに良好な関係を続けていた。




 そうして、2学期も1か月ほどが経過した頃。




「あのさ……最近トワちゃんと仲良くない?」




 2周目と同じように、制服姿の今宵が突然俺の部屋に訪れた。


 彼女は、俺のベッドの上に腰かけ、椅子に座る俺に対し、そう問いかけた。




「ああ、そうだな」




 今宵の問いかけを俺は肯定する。


 学校にいる時は、特に伊織と一緒にいる時間が増えた。


 世間話をするのはもちろん、休み時間中に彼女の勉強を見てあげることも増えた。


 それもこれも、こうして今宵の嫉妬心を、伊織に向けるためだった。




「ふーん、開き直るんだ?」




 だけど、今宵の様子が俺の想像と違った。


 彼女の表情には、どこか余裕を感じさせた。




「開き直る、ってわけじゃないけど……」




「けど?」




 彼女は、俺の言葉の先を促す。


 どういうことだろうかと思いつつ、俺は言う。




「休みの日には、二人きりで遊びに行くことも多い。水族館とか、カラオケとか……」




 今宵は俺の言葉を聞いて、クスリと笑った。




「お互いに志望校に合格したら、付き合おうってあたしと約束したよね? なのに暁は他の女の子と遊び惚けてる。……どういうことなのかな、これって?」




 前回は硬い声音で憤慨していたのに。


 今日は、俺の答えを聞くのを楽しんでいるように見える。


 このギャップは、何なんだ……?




「別に、伊織とは付き合ってるわけじゃない。ただ、話してみたら思いのほかウマが合って、一緒にいることが増えただけだ」




 俺が言うと、今宵は「ふーん?」とニヤニヤしながら、俺を見た。


 それから、手招きをして、




「こっち来て、隣に座って」




 と自分の隣に座れと言ってくる。


 俺は今宵を警戒しつつ、彼女の隣に腰かけた。




「何ビクビクしてるの? 浮気されたと思ったあたしが、暁を怒鳴るとでも思ってる?」




「まあ……、そうだな」




 俺の言葉に、今宵は微笑む。


 そして、意外なことに彼女は、俺の肩にもたれかかってきた。




「暁は変わったよね。一回あたしにフラれてから」




「……そんなことないだろ」




 俺がタイムリープをしていることを、今宵は気づいてはいないだろう。


 それでも、思わずどきりとするようなことを、彼女は言ってきた。




「あたしは暁のこと、何でも知ってるから。隠し事なんて出来ないよ?」




「隠し事なんて、していない」




「隠すつもりがないってことかな? ……暁、わざとあたしがトワちゃんに嫉妬するようにしてるでしょ?」




 その言葉に、俺はびくりと肩を震わせてしまった。


 どうやら今宵は、思っていた以上に俺のことを理解しているようだった。




「図星だったね。暁の考えてることくらい、お見通しだよ? トワちゃんに嫉妬させて、あたしの気持ちを煽ってる。……二人が合格する約束の日まで、待てないから」




 しかし、伊織に嫉妬を向けさせている理由については、理解できていないみたいだった。




「暁は、あたしに振り向いてほしくて必死なだけなんだよね? ……可愛い」




 揶揄うように言う今宵に、俺はつい油断をして、気を抜いていた。




「……今日だけだよ?」




 そう言ってから今宵は、俺の肩を掴んで思いっきり押し倒してきた。


 ベッドの上に、仰向けに倒された俺の身体に、今宵は自らの身体を重ねた。


 脈打つ鼓動が伝わり、吐息が肌を撫でる。




「今日だけ――今だけ。暁のしたいこと、してほしいこと……なんだってしてあげる」




 今宵は、俺の耳元で囁いた。


 そして、彼女はゆっくりと、俺の太股を指先でなぞる。




「……っ」




 突然の快楽に、俺の口から意図せず声が漏れた。


 それを聞いた今宵の表情が、嗜虐的に歪んだ。




 何も知らない、初心な田舎娘の表情ではない。


 男を溺れさせる、女の顔をしていた。




 ……このまま、彼女を抱くのも悪くはないのかもしれない。


 一度抱けば、きっと今宵はこれまで以上に俺に入れ込む。


 今日だけ、なんて言葉はすぐに忘れ、肉欲に溺れる日々を過ごすことになるだろう。




 そうして、身も心も、俺なしではいられなくすれば。


 言うことを聞かせるのも容易だろう。






「……どいてくれ」




 だけど俺は、そう言って今宵の身体を押し返す。




「悪いけど、そういうつもりじゃないから」




 ベッドの上で起き上がり、向かい合う俺と今宵。




「……強情だね」




 今宵は呆れたように呟いてから、俺の胸に額を押し付けた。




「でも、我慢できて偉いね」




 そう呟いてから顔を上げ、慈しむように俺を見つめてから……首筋に口づけをしてきた。




 その後、今宵は立ち上がった。


 皺になった制服を手で叩いて伸ばす。




 それから、ベッドに腰かけた俺を見下ろして、彼女は今しがた口づけした首筋に指を這わせながら、尋ねてくる。




「暁は、あたしのこと好き?」




「愛してるよ」




 彼女の問いに、俺は悩む間もなく即答する。


 俺の口から放たれた、空虚な響きの偽りの言葉を。


 今宵は妖艶な笑みを浮かべて聞いていた。




「あたしも愛してるよ」




 そう言って、今宵は俺の部屋から出て行った。


 どっと疲れが出た俺は、一つ溜め息を吐いてベッドの上で仰向けになった。




 俺の思惑とは少し違った形だが、今宵は今、那月へ嫉妬を向けてはいないようだった。




 ふと、シーツから今宵の残した甘い香りが漂い、鼻腔をくすぐる。


 つい先ほど、その香りを機に、今宵に押し倒されたことを思い出した。




 彼女を抱くことに、良心の呵責があったわけではない。


 ああいう女を抱いても面倒ばかりでろくなことにならないことを、経験則で知っていただけだ。




 俺は自分にそう言い聞かせる。


 未だに胸の鼓動が収まらないのを、自覚しながら――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る