第102話 悪役令嬢と神官長~sideクラリス~
「神官長様、お初にお目に掛かります。クラリス=シャーレットと申します」
「……これは。あなたはお母様によく似てらっしゃる」
「母、ですか?」
まさか母親のことを言われるとは思わなくて、私は目を見張った。
信心深かった母は、よく神殿を訪れジュリ神に祈りを捧げていたらしいから、神官長が知っていても、おかしくはないわね。
「あなたのお母様は大公令嬢で、とても気高く美しい方でした。当時王太子だった先王の婚約者候補として真っ先にその名前が挙がりましたが、彼女は広大な領地を持つシャーレット家に嫁ぐことになりました」
恐らくその時はまだシャーレット家の祖父がまともな領地経営をしていた筈だったから、財力もあったのだと思う。当時の大公は娘が豊かに暮らせるよう、良かれと思ってシャーレット家に嫁がせたのだろうけど、今のお父様に代が変わってから、財産は食い潰される一方だった。
お母様は病で倒れてから、自身の遺産を夫が手出しできないよう、銀行にあずけることにしたのだ。
お父様は私が成人になったら、銀行から大金を引き出させ自分のものにしようと目論んでいたみたいだけど、王子殺人未遂の現行犯として、投獄されている今はもう、お金どころじゃないわよね。
「未だに何故、あんな美しく気高いお方が、あのような愚かしい男に嫁ぐことになったのか……考えれば考えるほど口惜しくて仕方がありません」
「……」
その点に付いては否定しないけれど、望んでいなかったとはいえ二人が結婚したお陰で私が生まれたので、全てを否定することも出来ない。
神官長は真剣な眼差しを私に向けて言った。
「クラリス様には同じような道を歩んで欲しくはありません。これは神託だと思ってきいてください。愚かなエディアルド=ハーディン殿下との結婚を取り下げなさい。そして、アーノルド様の元へ嫁ぐのです」
「その件に関しましては謹んでお断り申し上げます」
神官長のお言葉を、私は即、打ち返した。もうプロテニスプレーヤー並のスピードで打ち返したわよ。
あまりの即答に神官長は目をまん丸にする。私の反応がそんなに信じがたいのか、震えた声で言った。
「何故ですか? 賢いあなたであれば、どちらの王子が優勢なのか分かる筈」
「私とエディアルド様の結婚は、既に王室の決定事項。覆すことはできません」
「ご心配には及びません。私たちも後押ししますし」
心配もしていないし、あんたらの後押しもいらないわよ。
いい加減しつこいわね。
苛ついている私の気持ちなどおかまいなく、神官長はさらにとんでもないこと言った。
「いざとなれば婚約破棄をせざるを得ない状況を作ればよいのです」
「……どういうことですか?」
「エディアルド殿下が罪人になれば、心置きなく婚約破棄できます」
「――――」
私はこの時初めて、人に対して殺意というものを抱いた。
この神官長、最悪最低だわ。
エディアルド様に冤罪でも着せようというわけ? そんなことしたら、私があんたを殺してやるわよ。
この人は私が嫌々エディアルド様と婚約している、と思い込んでいるのね。
こんな話を平然とするなんて。
「先ほども申し上げました通り、その件につきましては、断じてお断りいたします」
もう謹んでという言葉もつけたくない。
断固として拒否する構えとることにしたわ。
神官長の額にいくつもの青筋が立つ。
「私は、たった今、神託だと思って聞いて下さいと申し上げました。神託を何と心得るのですか!!」
「しかし神託ではありません。神官長ともあろうお方が、まさかジュリ神に成り代わるつもりですか?」
「な、成り代わるつもりではない。私は神の代理人だ」
「よくもジュリ神の前でそのようなことが言えましたね。神官長が聞いて呆れます」
「何と愚かな……王妃様は常に私の言葉に真摯に耳を傾けてくださった。そして常に私の言うことに従順だった」
「では王妃様と違い従順ではない愚かな私は余計に、貴方の言う聡明なアーノルド殿下の元に嫁ぐわけにはまいりませんね」
「いや、それは」
「アーノルド様には既に運命の聖女様がいらっしゃるではありませんか」
「聖女様にはすべき事があるのです。王妃としての仕事をこなすことは不可能です。ですから、あなたのような方が必要なのです!」
……あ、神官長もミミリアがとてもじゃないけれど、王妃としての務めを果たすことは出来ないと踏んでいるのね。
だから王妃の業務を全部私に押しつけたいわけね。
「それは神託ではなく、神官長様の都合でしょう?」
「何を……」
「とにかく私がエディアルド様の結婚を取り下げるつもりはありません。例え国中が反対しても私はあの方と結婚します」
「ど……どうなっても知らんぞ」
神官長は唸るような声を漏らし上目遣いで私を睨んだ。
先ほどまで穏やかな顔をしていたのが嘘のよう。まるで悪魔のようだわ。
思い通りにならず苛立っている心情が手に取るように分かった。
神殿は完全にアーノルド殿下側の人間なのね。確かこの人、テレス妃の伯父になるんだっけ?
恐らく姪からも私を説得するように言われたのだろうな。
だけど平然と神の代理人を名乗るなんて、神官長はジュリ神に対して畏敬の念というものがないのかしら?
神殿の長がこれではジュリ神もさぞお嘆きでしょうね。
私は神官長に軽くお辞儀をしてから身を翻し、礼拝堂を後にした。
来月から、参拝じゃなくて、遙拝じゃ駄目かしら?
神殿に来る度に、神官長に会わなきゃいけないのかと思うと面倒すぎる。
◇◆◇
神殿から外に出た時には、空は黄金色に染まっていた。
馬車の車体に設置された椅子の上にはブランケットが置いてある。多分、エルダが置いてくれたのだろう。
私は椅子に座り、ブランケットを膝の上にかけた。
馬車は安全運転を心がけ、ゆったりとしたペースで走り出す。
麓にたどり着いた時には、とっぷり日が暮れていた。街中ではないので窓から見える景色も暗くて何も見えなかった。
馬車の揺れは妙に心地が良く、私が少しうとうとしかけていた時、馬の嘶きが響きわったったと同時に車内が大きく揺れた。
な、何が起こったの!?
窓から顔を出すと、道の行く手に……何? 山賊? あ、でも山中じゃないから強盗?
とにかく粗末な衣服の上に、武装をした集団が行く手を阻んでいた。
男の一人が剣を持つ手を挙げ、声高に言った。
「我らが聖女の為に」
「「「我らが聖女の為にっっ!!」」
音頭を取る男に続き、大勢の男達が声をそろえて言う。
な、何なの……我らが聖女って、まさかミミリアのこと?
そういえば聖女を無条件に狂信する人たちがいるって話を聞いたことがある。
「悪しき令嬢の首をこの手に!!」
「「「悪しき令嬢の首をこの手に!!」」」
悪しき令嬢、というのは私のこと……だよね。
この人達は私の首を狙っているということ?
一体何故? 私はミミリアと敵対しているわけじゃないのに。
「クラリス様は馬車から出ないようお願いします」
イヴァンが落ち着き払った声で私に言った。
物語に登場する主人公の守護者、四守護士の内二人がいるのは心強いけれど、信者の数が多すぎる。
私は首を横に振った。
「私も後方支援します」
「お待ちください。貴方が白紫の魔女と呼ばれている程優れた方であることは認めますが、この人数を相手にするのはあまりにも危険です」
「イヴァン、それはあなたにも言えることです。私が戦いに参加する方が、犠牲を最小限に抑えられる筈です」
「しかし――――」
「あなたたちはここで死なせるわけにはいきません。この国を守る為にも」
私は馬車から降りると、聖女の信者たちを見回す。
剣や槍を持っている人もいるけれど、鍬や鎌などの農機具を持っている人もいる。見るからに烏合の衆だ。
私は相手方には聞こえぬよう小声で、騎士たちに命じる。
「閃光魔術を使います。全員目を閉じてください」
騎士たちが目を閉じるのを確認してから、私は呪文を唱えた。
「ギガ=フラッシュ」
呪文を唱えた瞬間、信者たちは眩しい光を浴びることになる。
閃光魔術の呪文を唱えることで、目を閉じている私たちの目が眩むことはないけど、信者たちの目は眩む。
急に視界を奪われた信者たちはうろたえ、周りをキョロキョロさせたり、目を擦ったり、反射的に落とした武器を探したりする。
それでも何人かの信者たちは、目を閉じることで閃光を免れ、まるで獣のような咆哮をあげてこちらに走り寄ってきた。
すぐさまイヴァンが先頭をきって走り寄って来た信者たちを切り伏せる。一度に四、五人がぐにゃりと崩れるようにして倒れる。
続けて飛びかかってきた聖女の信者たちを薙ぎ払ったのは、槍を使うエルダだ。
まるで舞うようにターンをして、飛びかかってくる人間達を切り裂く。
さすが四守護士ね。
他の騎士たちは一人ずつ着実に倒しているけど数が多すぎてなかなか埒があかないわね。
このままでは……。
「しねぇぇぇ、悪女めっっっ!!」
騎士達の隙をついて一人が斧を振り上げ、私に走り寄ってくる。
守ってくれる騎士は私の周りにはいない。
「クラリス様ぁぁぁ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます