第82話 無実を主張するなら、毒味をすればいい①~sideクラリス~
「じゃあ、君がこのスープ毒味してくれる?」
「え……?」
「俺も出来れば君を疑いたくはない。疑いを晴らす為には、このスープが毒入りじゃないことを君が証明すれば良い。とても簡単なことだよ」
エディアルド様の口調は穏やかだが、口元は冷笑を浮かべている。
悪役王子そのものの顔ね。
でもそれがまた、何とも言えない色気を醸し出しているのよ。悪役ならではの凄みもあって、ぞくぞくしてしまう。
カーラはガタガタ震えながらも、必死になって首を横に振った。
「ひ、ひどい……毒味だなんて、私を疑っているじゃないですか」
「何故毒味が非道いんだ? 毒が入っていないと言い張るのであれば、そのスープを飲んでも問題はないだろう?」
「わ、私は、ずっと、クラリス様の我が儘に振り回されて……そ、それでも誠心誠意お仕えしていたのですよ!?」
「話をすり替えるな。第一王子として命じる。お前は今すぐこの場で毒味をしろ」
「――――」
研ぎ澄まされた氷の刃を思わせる冷ややかな声。
そこには容赦もないし、慈悲を見出すのも不可能だ。
コーネット先輩がスプーンを手に取り、青く染まったスープを掬う。ふっと笑みを浮かべてカーラに口を開けるように促す。
「さ、この中に毒が無いと言い張れるのであれば、これを食べることはできるよね?」
「……っっっ!!」
近づいてくる青いスープにカーラは思わず顔を背け、そのまま膝を着いて土下座をした。
「お、お許しください……ど、毒は私ではなく、料理長が入れたものです。私はただここに運ぶように命じられただけで」
毒が入っていると分かっていて、ここに運んでいる時点で既に同罪だけど、カーラは自分が助かりたいために、全ての責任を料理長になすりつけようとしていた。
目に涙を浮かべ、なんとか同情を買おうとコーネット先輩を見詰めているが、恐怖で顔が引きつっているせいか、泣きながらも笑ったような顔になっている。
エディアルド様は少し思案するように言った。
「ふむ。ああ、あの虫サラダが得意な料理長か。いつか話をしてみたかったんだよね、こっちへ呼んで来てくれない?」
カーラはこくこくと頷き、這々の体で部屋から出て行った。
あの料理長、素直にここに来るだろうか? いくらお義母さまのイエスマンだからといって、さすがにこの国の第一王子の命令を無碍にはできないわよね。
ぱたぱたと足音がしたから料理長が慌てて来たのかと思ったけれど、やってきたのは執事のトレッドだ。
しかもノックもなく飛び込んできたので、エディアルド様とコーネット先輩はその時点で行儀の悪い執事に軽蔑の眼差しを送っていた。
「で、殿下、今日は面会謝絶だと申し上げた筈ですが」
「私が招き入れたの。エディアルド様にどうしても会いたかったから。あ、こちらは侯爵令息のコーネット=ウィリアム卿です」
私は涼しい顔で理由を述べ、コーネット先輩のことも紹介しておいた。もちろんウチよりも財力が上のウィリアム家の令息をトレッドが知らないわけがない。
トレッドは顔を真っ赤にして私を怒鳴りつけた。
「お、お嬢様勝手な真似をされたら困ります!」
「ごめんなさい。でも雨の中、殿下を帰すのも失礼かと思ったもので」
「ら、来客を通すときは必ず私の許可を得てからでないと困ります!」
「ふうん? 何が困るの? 許可がいるって……いつから執事は侯爵令嬢より偉くなったんだ?」
エディアルド様が皮肉っぽい口調で尋ねる。
たちまち執事の顔が真っ赤な顔から真っ青な顔に変わった。そして慌てて、首を横に振る。
「あ、いえ。別に困るようなことは。ただ、私はお嬢様の身を案じて……」
「よく言うよ。あんな粗末な部屋に住まわせ、しかも毒入りのスープを用意したくせに」
「そ、それは……」
エディアルド様の言葉にトレッドの顔が蒼白になる。頭を下げ、額に流れる汗をハンカチで何度も拭く。
「で、料理長はまだ来ないの?」
「い、いえ……殿下をこのようなむさ苦しい場所に置いておくわけにはまいりませんので。是非、客室の方へ」
そのむさ苦しい場所に、私が住んでいるんですけどね。
エディアルド様の凍てついた視線を感じているのか、トレッドはびくびくしながら、客室に案内をした。私も久々に見るけれど相変わらず豪華な部屋だ。
有名画家の絵が飾られ、シャンデリアも一流の職人が作り上げた作品で、キラキラと輝いている。
ここの物はまだ売られていないのね……まぁ、このままの生活だったらこの部屋が廃れるのも時間の問題だろうけど。
「とてもコンパクトな客室ですね」
と呟くコーネット先輩の呟きは聞かなかったことにする。うん、分かっていた。クロノム家の客室もここの倍くらい広かったから。
高価な茶器には上等な紅茶、パティシエが精魂込めて作ったお菓子もおいてある。
見るからに美味しそう……思わず手を出したくなるけど、さっきの毒入りスープのことを考えたら、食べるわけにはいかない。
ほどなくして、見たこともないくらい腰を低くしているお父様が現れた。
何、倒れたって嘘だったわけ!?
一ミリでもこの人に父親の情を抱いていた自分が間違っていたわ。
おかげで私は帰って来たくもない実家に帰って来ることになった上に、殺されそうになった。
もう、この人の為に胸を痛めるようなことはないわね。
「この度はわが娘、クラリスの見舞いに来て下さってありがとうございます」
「うん、執事には追い返されたけどね。クラリスが招いてくれたから」
お父様、こっち睨まないでよ、後ろめたいことやっているあんたらが悪いんでしょ。
もうこの人達に気を遣うのもバカバカしいと思っているので、私はぷいっとそっぽ向いた。
「シャーレット侯爵、俺はあんたと話しに来たわけじゃなくて、料理長と話がしたいんだけど?」
「料理長は夕食の支度を終えたらこちらに参りますので、しばらくの間はお茶でも飲んでお待ちください」
お父様は引きつった笑顔を浮かべ、エディアルド様にお茶を勧めてきた。
エディアルド様は一つ頷いてから、上着の胸のポケットから小さな瓶を取り出した。
瓶の中には透明な液体が入っている。
彼はコルクの蓋を抜くと紅茶の中に一滴、透明な液体を垂らした。
すると紅茶は見たこともないくらい真っ青な色に変わった。
お父様はその色を見てびっくりしたようにエディアルド様の方を見る。
「殿下……これは?」
「シャーレット侯爵、まさかだけど俺を毒殺しようとした?」
「は……そのような恐ろしいこと……」
お父様はとんでもない、と首を横に振る。鳩が豆鉄砲をくらったような顔からして、お父様は本当に知らなかったみたい。この人、演技が下手だから、嘘のリアクションは出来ないのよね。
「でもこの紅茶には毒が入っているよ? このミールの水はね、毒に反応するんだ。一滴垂らしただけで、毒入りの飲食が青く変化する」
「そ、そんな……」
お父様はハッと目を見開く。毒を入れた人物に心当たりがあるのかもしれないわね。
まぁ、私も心当たりがあるけど。
すると部屋をノックし、二人の人物が入って来る。
継母であるベルミーラ=シャーレットお義母様と料理長が部屋に入って来たのだ。
料理長は部屋に入るが否や、部屋の隅っこの方で縮こまるように控え、上目遣いで私たちの方を見ている。
ベルミーラお義母様はいつになく胸元があいたドレスを着ている。そして私がお母様から頂いたペンダントを、まるで見せつけるかのように身につけていた。
……形見も、最初から返すつもりはなかったのね。母親の手紙がある、というのも嘘だったのだろう。
「まぁ、殿下。まだ紅茶をお飲みになっていらっしゃらないのですか? この紅茶は珍しい茶葉で、是非殿下にも味わって頂きたくお出ししました」
「いや、俺は遠慮しておく」
「どうか騙されたと思って飲んでみてくださいませ」
「騙されたくないので飲みません」
きっぱり断るエディアルド様にベルミーラは目を剥く。
さらに何かを言おうと口を開きかけた時、お父様が震える声で尋ねる。
「ベルミーラ……この紅茶に何かを混ぜてはいないか?」
「な……何を仰るの!?」
思わずひっくり返ったような声を上げるお義母さま、さらに分かりやすいリアクションをしているのは料理長で、額の冷や汗を肩に掛けているタオルで拭き始める。
「今、殿下が毒素に反応する液体を入れたら、お前が勧める紅茶に反応したんだ」
「ど、毒なんて入れてないわよっっ!! そんなことしたら私たちがタダではすまないじゃない!?」
普通に考えれば、ここで王子を毒殺したところでシャーレット家には何のメリットもない。
だけど此処に居る人たちって、常識というものが理解出来ていない人が多いのよね。
ふと料理長と目が合うと、彼は首をぶんぶん横に振る。そんな縋るような目で見ないでよ。普段から随分と酷い料理を作って、私に食べさせていたくせに。
コーネット先輩は軽く肩をすくめて言った。
「毒にも色々ありますよ。身体を痺れさせる毒もあるし、高熱を引き起こす毒もある。あと、惚れ薬もまた毒薬の一種ではありますよね」
「……っっ!!」
お義母さまがびくんっっと身体を震わせたその時、派手なドレスに身を包んだナタリーが客間に入ってきた。
彼女はエディアルド様に熱い眼差しを向け、すり寄ってくる。
「エディアルド様ぁ」
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