本編

35話 一戦(1)

 6月上旬のとある休日。

 今朝から降りしきる梅雨の雨は、街の騒音をすっかり吸い込んで、森の草木を楽器に使ったフリーダムなBGMを奏でている。


 文明の雑音から切り離してくれる雨の日は嫌いじゃない。

 けれど、夏を目前にした京都の梅雨は好きじゃない。


 ……なんたって、蒸れた空気が肌にまとわりついてうざったいたらありゃしない。


 京都は山々に囲まれた盆地。

 そのため暑さも湿気も溜まりやすく、言うなれば街全体が巨大な蒸釜なのだ。


 初夏ですら風通しを良くしないと耐え難い暑さなのに、ここ数年は神様の加熱調理スキルがめきめき上達している気がする。……今からもう今年の夏が心配だ。


 神様、私の声が聞こえてますか?

 水を差してから火を起こすのは完全に餃子の焼き方なんですよ、まじで勘弁してください。



 ――そんな梅雨の昼下り。シェアハウスのリビングにて。

 俺は大自然のヒーリング効果とヒーティング効果を同時に味わいながら、

 

『Leady Fight!!』


 思う存分に、文明の利器テレビゲームに勤しんでいた。


 画面の中では、桃色のボールから手足が生えたキャラクターと、青いマントが特徴的な剣士の青年が対峙している。

 それぞれ異なるゲームタイトルから参戦しているキャラクターで、まさにオールスター戦と冠するのがふさわしいスマッシュ格闘ゲームだ。


 俺が手元のコントローラーでボタンをカタカタッと押すと、画面の中で性別不詳の丸ピンクちゃんがソードやらハンマーやらをどこからともなく取り出しブンブンと振り回す。


 対して相手のオサレさわやかイケメン剣士は、鮮やかにこちらの攻撃をかわしつつ、細身のサーベルをしなやかに振りかざして牽制する。


 よくよく思えばスマッシュどころか殴ってすらいねぇな。

 いっそ大乱闘異種混合格闘ゲームって名乗ったほうがよいのでは? 


 そんな益体もないことに思考を割いていたものの、勝負は無事に俺の勝利で決着した。

 今回の相手は初心者向けのレベル設定だったからな。これで負けたら流石にヘコむ。


 やがて勝利のファンファーレが高らかと鳴り、丸ピンクちゃんが可愛くポーズを決める。

 それとほぼ同時のタイミングだった。


 「あ……」


 と、後ろから声がした。

 振り返るとリビングの入口に立っていたのは河原万智。


 初夏らしく白い薄手の半袖ブラウスに、足首のくびれが映える少し短めジーンズを履いたコーデは、見ているだけでも涼やかな気分になる。


 やっぱり河原は抜け目がない。

 これがもし桃山南だとしたら、キャミソール1枚でシェアハウス内を闊歩していそうなもんだからな……。


 その点シンプルとはいえバッチリ決めている河原は、これから出かける用事でもあるんだろうか?

 なんて想像を膨らませていると、思いの外、河原は無言のままに背を向けて引き返そうとしはじめた。


 その予想外の反応に引っかかりを覚えて、俺はほぼ脊髄反射で口を開く。


「テレビ使うのか?」

「べつに、大丈夫」

「あ……そう」


 そう言われてしまった以上、こちらが食い下がっても仕方がない。

 脳裏にもやがかかったような感覚があるものの、次のバトル開始の掛け声に意識がゲームに引き戻される。

 合図に急かされるように、俺は雑念を頭の片隅に追いやって画面に集中した。





 次はどうやらボス戦だったらしく、なかなかの苦戦だった。

 最後の最後はギリギリの闘いでなんとか決着。

 

 すっかり没頭していたせいか、勝利のファンファーレが流れると同時に肩の力がふっと抜け、画面の中だけにあった意識が3次元に戻ってきた。


 ……その3次元から、なにやら視線を感じるんだが?


 まさかと思って恐るおそる振り返る――と、やっぱり人がいた。

 正体は、ドア枠に背中を預けて立っている河原万智。

 目と目がバッチリぶつかってしまう痛恨の一撃!


 まさかと予想はしていたが、まさかと思っただけで何も言葉を用意していない。要するにめちゃくちゃ気まずい。


 相手はトップオブリア充、陽キャの女帝、河原万智。

 彼女の素顔を何も知らなかった頃の俺なら、ゲームプレイ中の姿を馬鹿にされるのかも、なんて被害妄想を掻き立てていただろう。

 

 けれど、このシェアハウスで同居を初めてそろそろ2ヶ月も過ぎる。

 少しは彼女のことを理解できてきた証拠なのか、ふと俺の中にある可能性が浮かんだ。


「えっと……、一戦やる? ていうかできる?」


 ――そう。

 つまり、単にゲームで遊びたいだけなんじゃね? って話だ。


 河原はその大きな瞳を斜め下にそらし、手を口元に当ててなにやら思案顔を浮かべる。

   

 そして数秒の沈黙が続いた後、


「じゃあ一戦だけ」


 河原はリビングのほうへやってくると、テレビ横の箱からコントローラーを漁り始めた。


 うん、自分で提案しておいてなんだがな。

 ……マジか、本当にやりたかったのか。

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