奇妙な風景【短編・ショートショート小説集】
丘野景介
第1話 ヤゴ
もう日暮れが近い。
水田が宿した夕陽は色味を失い始めていた。
「もういいんじゃないの」
母校のチャイムを聞き終えると、僕は黙々とヤゴ採集を続ける所田に声をかけた。
「いや、もうちょっと」
所田はヤゴを捕るのに必死なようで、背を向けたまま言葉を返してきた。
僕は大げさなため息をつくと、ヤゴの入っているバケツの横に座り込んだ。
バケツを覗き込むと、彼らは相も変わらず沈黙を守っていた。
バケツの水面に指を差し入れると、冷たい水が心地よかった。そのまま、手首まで突っ込んでヤゴに触れてみるが、彼らは微動だにしない。つまんでみても、やわらかい弾力が返ってくるだけだ。申し訳程度に足を揺らしているのは、自力なのかバケツの中の水流のせいか分からなかった。
その姿は、これからの運命を諦めているようでも、この絶望的な状況に耐えているようでもあり、哀愁を誘った。
「お前らに羽があればなぁ」
思わず僕は、そう洩らした。
するとその時、所田の僕を呼ぶ声が聞こえ、顔を上げた。
その瞬間、目の前を一筋の光が掠めていった。その後を、所田がバタバタと走り抜ける。
はっとして所田が走っている方向を見やると、金色に輝くトンボが一匹、空を舞っていた。
トンボは所田をからかうかのように、悠々とした調子で逃げる速度を緩めたり早めたりしている。所田は叫び声をあげながら、トンボをとらえようと腕を振り回している。僕もあわてて駆け寄ろうとした瞬間、所田はしびれを切らしたのか、速度を落としたトンボへと身を躍らせ手を伸ばした。
あたりが静まり、時が止まったような感じがした。
しかし、所田が水田に落ちた大きな水音で、その静寂は破られた。
水田からゆっくりと起き上がった所田は、無残な姿に成り果てていて、飛び去った金色のトンボを、もう一度追いかけれそうにもなかった。
僕は呻く所田を尻目にバケツの中に笑いかけた。
しかし、バケツの中は泥水が入っているだけのもぬけの殻になっていて、僕はヤゴの影も形も見つけることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます