第465話


 陸雄達が昼の練習を始める前の時間。

 去年の兵庫県の春と夏の甲子園連続出場校である芝原咲高校(しばはらさきこうこう)は昼休憩をしていた。

 レギュラーの乾もマネージャー達からスポーツドリンクと用意された昼飯を食べていた。

 乾たちもまた五回戦への準備を進めていた。

 紫崎の兄である健之も乾の隣に座る。


「乾。夏の大会―――今回もベスト16にはなったな」


 紫崎兄がそう話す。

 

「うちの高校じゃ悪くても決勝敗退だろ? 名門と呼ばれる強豪校なんだし、今年も甲子園行くぞ」


 乾がそう言って、スポーツドリンクを飲む。


「乾。ニュースで話題になってるぜ。ネットでもな」


 スポーツドリンクを飲み終えた乾がその会話に返答する。


「マスコミも飽きねぇなぁ。優勝旗を手に入れたのは八年前だってのにな。いっそ俺らの代で完全試合で決勝勝つか?」


 乾がハッと笑う。


「それだけじゃない。大森高校もネットニュースで話題になってる。最弱校がベスト16になったのだから―――大騒ぎさ」


 紫崎兄の言葉に乾は黙り込む。


「まぁ、お前があの岸田陸雄とかいう投手に宣戦布告したしな。お前の選手を見る目は確かだということが解ったよ」


「…………」


 黙り込む乾に紫崎兄は話題を変える。


「今日はお前の親父さんの練習終わりのソウルフードの日だな。部のみんなが送ってくれる焼肉で士気を挙げているしな」


 乾がその話題に口を開ける。


「親父は単にここの卒業生で精肉会社の経営者なだけだよ。強化合宿の時と同じように他のOBと一緒に焼肉を出してるだけさ」


「いつも助かってる。俺からもお前の親父とお前に礼を言いたいくらいだ」


「噂をすれば、トラックが来たぞ」


 紫崎兄がそう言って、グラウンドのフェンス越しのトラックを指差す。


「今度のトラックは二台も来てるな」


「兵庫本店の古川さんが社長になった昇進祝いと九州支店の新設で景気よくなってんだよ。ああ見えて、今は忙しいんだとよ」


 乾が説明して、立ち上がる。


「古川? どこかで聞いたような」 


「ほら古川さん昔プロ野球選手だったからさ。投手の古川選手だよ。俺らが小学生の頃に引退してたろ?」


 その乾の説明に紫崎兄が納得する。


「ああ、あの事件の父親か―――」


「健之(けんし)、そういう覚え方良くないぜ」


 乾が紫崎兄に注意する。


「すまない。―――話を戻すがお前は肉屋の株式会社の会長の息子だものな。入部初日にスポンサーの一人だから監督に贔屓は無しとお前から頼んで監督が深く頷いてみんなが笑ったことは覚えてるぞ」


 そう言って、紫崎兄も立ち上がる。


「懐かしい話すんなっつーの。ノスタルジーになるだろ。―――卒業生で経営学ぶために大学行ったスポンサーの親父は今は会長で忙しいしさ」


「前々から聞きたかったが―――親父さんとは家でも会えるのになんで寮生になったんだ?」


「ああ、それな。実は株式会社同士の社長や会長の談合だがパーティーだかで家にあまり来なくてよ」


「ほう―――飲食業界は夏も稼ぎ時なんだな」


 紫崎兄が腕を組んで納得する。


「ああ―――だから俺が一日くらい家に帰っても親父いねーし、暇だしで母さん気を遣うし気まずいんだよ。地元だけど寮生にしてるのはそれが理由さ。もうそういうこと聞くなよな。詮索は余計だからすんなよ」


「お前も色々あるんだな。なら、話を変えよう―――聞けばお前が岸田陸雄を野球に誘ったそうじゃないか?」


 乾がピタリと止まって、ゆっくりと口を開く。


「…………小学校時代のお前との練習試合の後だよ。次の日に公園で泣き声が聞こえたから―――そいついじめられてて何もねーつーんで、なんとなくで野球誘ったんだよ」


「フフッ、懐かしいな。お前とのあの試合は覚えてるぜ。その後に出会ったのか―――今日の空もあの時の俺達の試合と同じ夏の青空だな」


 紫崎が遠くを見るように青空を見る。

 青空は綺麗な飛行機雲といくつかの雲が青空に浮かぶ。

 乾は少しだけ笑顔になり、話を続ける。


「あいつを野球に誘った夜に―――家でそのことに親父に話したら『ほとんど同じ年とは言え、見知らぬ困っている人に生きがいを持たせるのは良い事だ。少年時代の友人は大切にしろ』って褒められて珍しく上手い肉ご馳走されたんだよ」


「美談だな。過去に試合をして、今こうしてお前と同じチームでレギュラーなのが俺も誇らしいよ」


 乾がそれを聞いて、照れくさそうに微笑む。


「バッカ。青春してんなよ。それだけじゃねぇよ。親父はさ―――」


「―――親父は?」


「―――あの時に嬉しそうに馬鹿笑いして、珍しく家でお酒飲んでた親父の笑顔が忘れられないだけさ」


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