第307話


「―――両校グラウンド整備の時間です」


 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。

 錦が立ち上がると控えの二年達が止めに入る。


「錦さん。今回も俺らだけでやりますから―――」


 そう言って、駒島と大城以外の二年達がトンボを貰いにグラウンドに出ていく。

 淳爛高等学校のメンバーも何名かトンボを取りに―――グラウンド整備を始めようとしていた。


「お前達―――風が途中で止み始めるころだ。向こうも風により一部の変化球の影響を受けなくなる」


 ベンチの中野監督がメンバーに話す。

 メンバーは黙って聞く。


「優勢の時こそ劣勢の相手は冷静かつ必死になる。だからこそ―――こちらも今まで以上に冷静に対処するぞ」


「…………」


 メンバーが黙り込む。

 それぞれが真伊已のパームボールの攻略に考えているようだった。


「お前達―――野球は好きか?」


 中野監督の突然の言葉にメンバーが驚く。


「そりゃあ、好きだから野球してるし―――当り前じゃないですか?」


 陸雄がそう答える。


「岸田―――解ってないな。野球が本当に好きなのは勝つことだけじゃない。後悔の無いプレイをするということだ」


「―――後悔の無いプレイ?」


 陸雄がキョトンとする。

 中野監督が説明を続ける。


「あの時ああしておけば良かったというのは―――呪いのようなものでな。捨てるべき概念なんだ」


 その言葉に今日の試合でそういうことを言った何名かは考え込む。


「細かいミスばかり気にしては、野球本来の本質を見失う。好きなものが無意識に嫌いになっていくんだ。監督に怒られるから、チームに責められるから―――そんなことで野球しているわけじゃないだろう?」


 中野監督の言葉にメンバーの眼に光が宿る。


「好きだからこそ―――最高のプレイをするんだろう? 勝ちたいか? 勝ちたいのは仮定に付いてくるおまけのようなものだ。仮定の中で価値のあるプレイを積み上げろ。それが悔いのない最高のプレイに繋がり、反省を越えて、成長に繋がる」


 ―――風が止む。


「チームワークと個々のプレイで最高の過程を積み上げろ。―――いいな?」


 グラウンド整備が終わり、試合が再開される。

 メンバーが守備道具を着け終える。


「よし、守備をしっかりとこなすんだぞ! 好きだからこそ―――今のお前達の最高のプレイを見せろ! そうしたら本当に野球が好きになる」


「「はいっ!」」


 メンバーがベンチから出ていく。


「中野監督―――名演説です」


 古川がスコアブックを書く準備をして、話す。


「演説というよりも―――ただのアドバイスだ。あいつらが野球以外にも必要なものを試合で手に入れれば―――監督として本望だ」


 ベンチの松渡がジト目でニヤリとする。


(本当にいいチームになってるなぁ~。野球人生の最後の大会としても―――みんなは僕の記憶に生き続けるだろうなぁ~)



 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。


「試合再開です―――六回の表―――淳爛高等学校の攻撃です。一番―――ショート―――張元君―――」


 守備位置に着いたメンバーが―――打席に入った張元を見る。

 左打席に張元が構える。

 事前にサインをしていたのか、ベンチを見ない。


「―――プレイ!」


 審判が宣言する。

 

「ハインきゅん! 俺っちは君に対して―――ライクユーじゃなくて、ラブユーなんだよ。氷のように冷たい君の目を愛で溶かしてあげるよ」


「…………」


 ハインが無視して、サインを送る。

 陸雄が頷く。

 セットポジションで投げ込む。

 指先からボールが離れる。

 外角高めにボールが飛んでいく。

 張元が見送る。

 ハインのミットにボールが収まる。


「―――ボール!」


 球審が宣言する。

 スコアボードに133キロの球速が表示される。


(早めの外角の誘い球を振ってこないか―――リクオ、次入れるぞ)


 ハインが返球する。



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