第305話


「紫崎~おかえり~。追加点ありがとうね~」


 松渡がベンチから立ち上がり、ニッコリと笑顔を見せる。


「フッ、やはりアウト一つで済まされなかったな」


 紫崎の言うことはごもっともである。

 ホームベースに投げて、間に合わなければ満塁のままアウトが一つだけで済んでしまう。

 真伊已達は満塁のこの状況において―――進塁義務とフォースアウトをショートの張元付近の二、三塁に集中させた。

 結果としてゲッツーとなり、ランナーを一塁の陸雄だけに絞ったのだ。


「思った方向に打球が飛んだっていう博打に勝ったしね~。本当に野球って、バランスよくルール出来てますよね~」


 ベンチの松渡が椅子に腰かけて、楽し気に三人に話す。


「松渡―――他の二校との違いはここにあったんだ。同じ満塁の状況があっただろう?」


「ええ、覚えてますよ~。満塁だった場面それなりにありましたもんね~。でも、今回は低く打って、長打にならないから成立出来たってことですよね~?」


「そういう意味では―――今後陸雄君が長打にしないと厳しくなりますね」


 古川がそう言った頃に九衛と錦がベンチに戻ってくる。


「中野監督。チェリーの馬鹿だけ残しちまいましたね」


 九衛が毒を吐く。


「チェリー? 朋也様―――チェリーとは誰のことだ?」


「中野。陸雄のことだよ。じゃあ俺ネクストバッターサークル行くから―――」


 灰田が中野監督にそう言って、ベンチからバットを持って離れる。


「ああ、岸田のこと言っているのか? なぁに―――今回のことは些細なことだ。星川が次の打席だが、ここでアウトになると次の攻撃に響く。低めはおそらく来ないだろう」


 打席に移動した星川に―――中野監督がサインを送る。

 錦が無言でベンチにゆっくりと座って、グラウンドを全体を見る。

 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。


「大森高校―――ファースト―――六番、星川君―――」


 左打席に星川が立つ。


「ツーアウトですが、ここは真伊已さんと勝負がしたいですね!」


 星川が中野監督のサインを見る。


(―――それなら低めはアレをして―――捨てていきますかね)


 星川がヘルメットに指を当てる。

 ボールを持った真伊已が構える。

 捕手がサインを送る。

 真伊已が頷いて、セットポジションで投げ込む。

 指先からボールが離れる。

 内角低めにボールが飛んでいく。


(ここは―――わざと―――)


 星川が早めにスイングする。

 打者手前でボールが風により―――若干右に曲がりながら落ちていく。

 ボール球のコースにミットで捕球する。


「―――ストライク!」


 球審が宣言する。

 スコアボードに122キロの球速が表示される。


(初球のカーブを振ってきましたね。なら、落ち着いて対処できますね)


 真伊已がホッとする。

 ワザとスイングした星川が声を出す。


「あれ~? おっかしいなぁ~? 今のストレートに見えたですけどねー」


 星川がそう言って、キョトンとする。

 ベンチの紫崎が声を殺して、腹を抱えながら笑う。


「紫崎、お前そんな笑い方―――不気味だからやめとけよ」


 九衛がニヤニヤしながら、紫崎の肩に手を当てる。


「フッ、いや星川も芝居が露骨だなっと―――フフッ」


 打席の星川が構え直す。


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