第144話


 捕手がサインを送る。

 戸枝が頷いて、投球モーションに入る。

 指先からボールが離れる。

 内角と真ん中の中間やや低めににボールが飛ぶ。


(―――来たかっ!)


 ハインがタイミングを合わせてフルスイングする。

 打者手前でボールが左に曲がりながら深く沈む。

 シンカーだった。

 ハインがバットの芯で捉える。


「シンカーだぞ! ゴロ球に出来る!」


 戸枝が声を漏らす。

 ハインが力で打球を引っ張る。

 カキンッと言う金属音と共にボールが高く飛ぶ。

 ボールが左方向に飛んでいく。


「あれを打つのかよ? どんなバッテイングセンスしてやがる!」


 戸枝が後ろを振り向く。

 レフトが高く飛んだボールを追っていく。

 ボールが白線を越えようとする。


「切れろ! 切れてくれ!」


 戸枝が後ろを見て、懇願する。

 ハインはバットを捨てて、走っていた。

 ファールポールにボールが当たる。

 この瞬間―――ホームランとなった。

 観客席が騒ぐ。

 戸枝がぎこちなく捕手の方向に振り返る。

 捕手がマスクを上げて、立ち尽くしている。

 二人とも嫌な汗を流していた。

 その光景が信じられないかのように、ただただ立ち尽くす。

 ハインが走るのを遅めて、ランニングする。


(この打席の配球―――オレには全部読めていた)


 大森高校のベンチの一年達が騒ぐ。


「や、やった! は、ハイン君が点をくれた!」


 坂崎が星川と顔を合わせて喜ぶ。


「ええ! やりましたよ! ハイン君がホームランですよ! このまま行けば、もしかしたらもしかしますよ! 松渡君、見たでしょ? ハイン君があんな低いコースから打ち上げたんですよー! わははっあぁー!」


 一番はしゃいでいる星川が松渡を後ろから嬉しそうに抱き着く。


「う~ん、身体揺らさないで~。星川君~。嬉しいのは解るけど、僕まだ投げるから肩に体重かけないで~」


 松渡がやや気だるげにユサユサ揺らしている星川に軽く注意する。


「紫崎、金髪に続けよ! あいつに打ててお前に打てないってことは絶っ対に無いからな!」


「……強面野郎。お前こういう時くらい素直にハインの活躍を喜んでやれよ。友達の友達の誕生会に呼ばれて、そいつ嫌いみたいなこと間接的に言うなよ」


 灰田が九衞の言葉に横で呆れた顔で話す。

 古川が淡々とスコアブックを書き、本塁に帰ってくるハインをジッと見る。


(ハイン君。あえてシンカーに的を絞って、戸枝君の変化球を今後出させなくしたんのかな? 私が打席練習で投げたシンカーはハイン君にそれほど投げていないはずだけど―――試合を通して目が慣れたのかしら?)


 ハインがホームベースを踏む。

 大森高校に9点目が入る。

 西晋高校の捕手が戸枝に三本の指を向ける。

 それは監督との約束で決めた上位打者の敬遠策の実行の合図。


「くっ……!?」


 戸枝が下唇を噛んで俯く。


「フッ、今日のMVPにでもなるつもりか? そうさせない手ごわい先輩がいるぞ?」


 ネクストバッターサークルから移動した紫崎がハインに話しかける。


「ケンシ。この回のツヨシはもう低めにシンカーが投げれなくなるはずだ。一時的だがな」


「ほう、良い事を聞いたな。フッ、それを見据えてのホームランか―――よくやった。後は任せろ」


「―――頼む」


 ハインがベンチに戻って来る。

 みんながハインに喜びの言葉を浴びせる前に―――ハインは中野監督の前で帽子を脱ぐ。


「サインを無視してすみません。後で罰は受けます」


 ハインはそう言って頭を下げる。

 ベンチの皆が黙る。

 中野監督が腕を組んで、ハインに頭を上げろっと言って―――言葉を続ける。


「私は結果オーライをあまり良しとはしないが、野球は一人でやるものじゃない。お前なりに根拠があってプレーしたのだろう? ここはプロ野球じゃないが、私の指示には極力従え。事前に提案をしてくれれば私だって考えを変えるんだから―――少しは私を信頼しろ」


「はい―――もちろんそのつもりです」


 中野監督がため息をついて、ハインに座れという。


「もういい―――過ぎてしまった事は仕方がない。この試合が終わったら、朋也様と一緒に三回戦まで朝練で他のメンバーより多めにグラウンドを二週しろ。罰はそれくらいにしてやる」


「……えっ? 中野。今の流れでなんで俺も走るの?」


 灰田が慌てて、中野監督に質問する。


「さっき私に怒った顔も結構可愛いなどと言った罰だ。女心が解らない朋也様への私のささやかな怒りだ」


「はぁ!? それ、どうみても俺とばっちりじゃないっすかぁ! こんな理不尽な罰―――俺どの野球部でも聞いたことないってばよっ! どこの世界に監督に結構可愛いって言ったら、罰でグラウンド走らされる野球部があんだよっ! 言ってみ? 言ってみ? どこにもねぇべよ?」


 灰田の妙な九州訛りが言葉に出て、焦っている。

 ハインが灰田の肩に手を乗せる。


「落ち着け、トモヤ。オレも一緒に走るから気にするな」


「いやいやいや、ハイン。お前が怒られてんだからな? なんで俺を慰める方向に言ってんだよ!」


 二人のやり取りに一年達のベンチがドッと笑う。

 先ほどまでの緊張がほぐれたようだ。




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