第132話


 先輩捕手が座り込み、サインを送る。

 戸枝が頷いて、投球モーションに入る。

 九衞がジッと観察する。

 指先からボールが離れる。

 内角やや低めにボールが飛ぶ。

 九衞がバントの構えからバットを引く。

 

「―――何っ!? スクイズじゃない!」


 戸枝が声を漏らす。

 九衞がそのままボールを見送る。

 打者手前でボールが左に曲がりながら落ちていく。

 ボール球のシンカーだった。

 ミットにボールが収まる。


「―――ボール!」


 球審が宣言する。

 捕手が二塁に向かって、ボールを投げようとするが中断する。


(エバースだが、盗塁じゃないのか―――念のため前進守備を維持しよう)


 そう思った捕手が戸枝に返球する。

 戸枝が安堵して、ボールを受け取る。

 九衞がまたバントの構えを取る。


(なんだ、さっきのエバースはフェイクで結局スクイズか―――バント処理させて、ホームにも投げれば良い。浅はかなサインを出す監督もいたもんだな)


 捕手がホッとして、サインを送る。

 戸枝が頷いて、投球モーションに入る。

 九衞がジッと観察する。

 指先からボールが離れた時―――。

 九衞がバットを引く。


(また、エバース?)


 戸枝が投げ終えて、ふと気づく。

 ボールが中央高めに飛ぶ。

 相手の捕手が違うことに気付く。


(いや、違う。こいつは―――)


 ボールが左に曲がりながら落ちていく。

 九衞がそのシンカーをバットでフルスイングする。

 ボールがバットの芯に当たる。

 エバースではなくバスターだった。

 カキンッと言う金属音と共にボールがライト線に高く飛ぶ。

 九衞が一塁に走る。


「しまった! ライトも前面に守備してる!? ライト! ひとつだ!」


 相手の捕手が叫んで、立ち上がる。

 ライトの上空をボールが越えて、定位置からやや離れた箇所にボールが落ちる。

 三塁から走ったハインが帰還する。

 大森高校に6点目が入る。

 ライトがボールを握って、一塁に返球する。

 その間に紫崎は二塁を踏む。

 九衞が一塁を走り越える。

 

「―――セーフ!」


 塁審が宣言する。

 ファーストがミットにボールが入る頃には―――既に一塁を踏んだ九衞が塁に戻っていた。

 中野監督がフッと意地の悪い笑みを浮かべる。


「古典的な手だが、実戦ではよく効く。見事にハマったな」


 相手ベンチの監督が苦い顔をする。


「選手もそうだが、相手は元兵庫四強の一校である名将・中野砂夜―――心のどこかで侮っていた」


「大森高校―――四番、レフト―――錦君―――」


 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。

 ハッとした相手校の監督は捕手にサインを送る。

 サインの意味を知った捕手は前面守備を解除させ、戸枝にサインを送る。


「―――えっ? そんな屈辱的な戦法を取れって言うんですか?」


 戸枝が聞こえないようにぼそりと呟く。

 監督を見ると捕手のサインどうりにしろと言う頷きを見せていた。

 戸枝が帽子を深く被って、表情を隠す。

 座り込んだ先輩捕手が切なげな表情を見せた。

 錦が右打席に立つ。

 

「―――プレイ!」


 審判が宣言する。

 それと同時に捕手が立ち上がり、左に移動する。

 周りの敵味方含めたメンバーが気づく。


(―――敬遠!?)




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