第96話


 真伊已が言った頼りになる選手五人―――。

 その中に自分も含めて―――星川、灰田、坂崎の名前は上げられなかった。

 真伊已は注意する気も失せたのか、そのまま話す。


「彼は海を越えた外国人なのか、日本での中学野球のデータが無い。だが、あの錦と同じ本塁打を一回戦で叩き出している」


 ハインは真伊已達も一目置いているのか、警戒しているようだった。

 そしてジト目で陸雄を見る。


「それに貴方みたいな投手とバッテリーを組むのが惜しまれるほどに優秀な捕手みたいですしね」


 その視線のままつまらなそうにそう答えた。


「こいつッ! 俺や灰田や星川にみんなと同じくらい一生懸命練習してる坂崎も弱いって言いたいのかよ!?」


 陸雄が怒りの為か声を荒げる。

 真伊已は対照的に冷静に答える。


「ええ、彼らのおかげで一回戦の勝ちを拾った。他はゴミを除いて、せいぜい平凡っといった選手ですね」


「甘く見るな! 俺は乾を倒すんだ。開会式で背中を向けたあいつを俺に振り向かせて、越えてやるんだ!」


「―――そう思っているのは貴方だけでは無いですよ。兵庫県中の高校野球部が倒したがっている。同じ高校のあの投手も含めて、ね」


「あの投手? 乾の高校に凄い投手がいるのか?」


 乾は兵庫県内で注目される目標。

 その中に含みのある言葉が陸雄は気になった。

 あの投手。

 真伊已は余計な事を言ったなっという表情ではぐらかす。


「何はともあれ―――彼らのいる芝原咲高校(しばはらさきこうこう)に決勝で勝つのは俺達の野球部―――淳爛高等学校(じゅんらんこうとうがっこう)ですよ。まぁ、あなた方より現実的な目標だと思いますね」


「さっきから舐めた事言いやがって―――!」


「まだ解ってないのですか? エースの背番号と同じくらいの偏差値しかない本物の馬鹿みたいですね。話していても堂々巡りですよ」


「……くッ!」


 ただの一回戦突破の弱小校と伝統ある高校。

 その事実に陸雄は言い返せないでいた。


(まだ一回戦を勝っただけ。こいつと当たるのは三回戦―――ぜってーに勝つ!)


 真伊已は深いため息をついて、肩の力を抜く。


「ふぅ、時間の無駄だったようですね。乾もこんな特筆すべき武器を持たぬ投手に何を思っているのやら―――。それでは三回戦で負けることを確信して、その日まで生まれたての小鹿のように弱小らしく震えて下さい」


 話すことが無くなったのか、真伊已は最後についでのように言葉を添える。


「ランニングコースは変えておきますよ。また出会うことになったら、その無様に負ける貴方の顔など見ていても気味が悪いだけですからね。それでは―――」


 見下す顔で、その後に背中を向ける。

 そして無言でそのまま走っていった

 黙りこくった陸雄が歯をギリギリと鳴らす。


「―――強くなってやる。誰もが認める兵庫代表の投手として―――乾と同じ甲子園に行ってやる! あんな奴らに勝つだけじゃない、全部の試合に勝ってやる!」


 陸雄が吼えるが、真伊已は消えていった後だった。


(くそっ! この場にいても腹立つだけだ。今日の事忘れるくらい全力で走ってやる!)


 帰り道のコースを勢いを付けて、陸雄は走る。

 綺麗な星空とは対照的に苛立つ顔の走る陸雄。

 夜風の涼しささえも熱くなっている彼には冷やせなかった。



 陸雄が帰り道を走っている時間。

 松渡は祖父達に夕食を作り終えて、風呂から上がっていた。


「さてと、やることやって―――今日も遅めだけど、寝るかな~」


 タオルで髪を拭き終えて、身体を拭く。

 野球で鍛え上げられた無駄のない投手独特の体を隅々まで拭く。


「あれ、メール来てる~? こんな時間に誰だろう~?」


 下着に着替えて、寝巻に着替えた松渡がスマホを見る。

 メールの相手は中学時代の女子同級生からだった。

 松渡がメールを読む。


『松渡君、久しぶり! 新しい高校生活もう慣れた? 中学で松渡君が他の県に行くって言ってから、だいぶ経つよね。みんなは高校別々だけど、コミュニティでたまに松渡君のこと話すんだよ』


「あ~、紫藤さんか~。懐かしいなぁ~」


 松渡は中学時代の凛々しい彼女の顔を思い出す。

 昔を懐かしみながら、パジャマに着替えてスマホを見る。


『もし野球続けてたら、みんなで応援するって決めてたから―――迷惑じゃなければ、言ってくれると嬉しいな。卒業の時に私がした告白の事は、もう忘れてるから平気だよ。ごめんね、あんなこと言って……野球してた松渡君すごくカッコ良かったからさ』


 松渡は卒業前に告白されたことを覚えているが、離婚騒動のショックであまり思い出したくなかった。

 全額免除の埼玉スポーツ高校からの誘いも思い出していた。

 離婚の事が公に言えず、断ったスカウト校から『人として不義理だ、野球選手としてなっていない』などど陰口を叩かれていた苦い日々も思い出していた。

 オーストラリアで再婚した母が残した金額は一般の高校まで生活できる費用だった。

 そんな自分が野球を続けるとは夢にも思わなかった。

 陸雄の顔とあの時の言葉を思い出す。


『俺らでてっぺん目指そうぜ! 俺とはじめんが投げて、紫崎と灰田が点を取って守れば―――甲子園に行ける!』


 冷蔵庫を開けて、コーヒー牛乳を取り出す。


「ウチの一番投手(エース)は夢見すぎだよな~。付き合う僕も僕だけどさ~。なーんで、あの時サウスポーしてるって言っちゃったんだろう~?」


 松渡が少しだけ寂しそうでいて、どこか吹っ切れたような表情になる。

 グビグビと腰に手を当てて、コーヒー牛乳を飲む。

 中学時代のクラスメイトの紫藤の言葉も思い返す。


『私、野球してる松渡君が好き! 大好き! 遠距離恋愛でも良いから、この思いだけは伝えたかったの。一年の時からずっと好きでした。第二ボタン下さい!』


 松渡はそんな卒業式後の彼女の告白にすら、家庭事情で断っていた。

 あの時の紫藤の悲しい泣き顔が忘れられなかった。

 美人である紫藤のことが好きな男子がいることも知っていた。

 松渡の友人も彼女の事が好きな事も、自分が経済事情で付き合えないのも―――断る理由に挙げられていた。


(経済無くして、恋愛成立せずって言うもんな~。紫藤さんには悪いことしたな~。友達にも詳しいことが話せなくて辛かったけど、みんな何だかんだで応援してくれるのか~)


 なんだかんだで生活が出来るようになった安心感からか、中学時代を振りかえっていた。

 松渡はノスタルジックな気分になる。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る