第63話

 ベンチの中野監督が腕を組む。


「予想通りの展開になったな―――後は朋也様なら、あの球速なら辛うじて打てる」


 捕手の指示で野手達が定位置に戻っていく。

 前進守備はしない様子だった。

 灰田がバットを短く持って―――構える。

 横田がサードから投げられたボールをキャッチする。


(こいつに遊び球は投げられない。二球目で確信した。俺のボールが見えていない。次の回までそれを利用するためにも―――)


 捕手のサインに頷く。

 横田が投球モーションに入る。


(―――ここで抑える!)


 指先からボールが離れる。

 打者手前にボールが飛ぶ。


(真ん中高め―――ここだ!)


 灰田がフルスイングする。

 カットボールがバットの先端に当たる。


(やべっ! 変なところに当たった!)


 ボールが高く上がる。

 陸雄がホームベースに走る。


(次はないんだ。どの道アウトになるなら―――ここで走るしかない!)


 星川も二塁に向かって走る。

 灰田が舌打ちして、一塁に走る。

 投手の横田がセカンドとセンターの間に浮いたボールを追う。

 セカンドとセンターが走る。

 セカンド手前で力のないボールが落ちる。

 ポテンヒットだった。


「よっつだ! 早く拾え!」


 横田が指示をする。


「よっしゃー! 五点目!」


 その間に―――陸雄がホームベースを踏む。

 センターがボールを拾って、戸惑う。

 慌ててセカンドに投げる。

 二塁のカバーに入ったショートに投げるも―――星川がスライディングした後だった。

 投げたボールをショートが捕球する。


「セーフ!」


 塁審が宣言する。


「上手くいったみたいですね。中野監督、名采配です」


 星川が立ち上り、関心する。

 ベンチの中野監督が一息つく。


「朋也様はポテンヒットか―――まぁ、守備で三倍働くんだ。このくらい目を瞑っても、お釣りがくるな」


 一塁を通過した灰田が塁に戻る。


「まぐれも実力の内と言いたいけど、三年間のブランクが痛いぜ」


 灰田がぼそりと呟く。


(俺の九州の秀才投手時代の過去は捨てよう。このチームで一番成長しなきゃならねぇのは俺だ。打者、控え投手、外野手二人分のカバーがある―――中野…………任せろよ)


 ランナーは灰田が一塁。

 星川は二塁。

 未だにノーアウトの状態。

 観客は興奮と歓喜で騒ぎ出していた。

 ネクストバッターの大城が―――打席に移動してバットを構える。

 ウグイス嬢が放送を流す。


「八番。サード大城君―――」


「メンソーレ! 監督の指示には従わないサー。ありのままの俺が選球眼を解放すれば、振ることもなく楽勝サー」


 大城が腰を振りながら、バットを上下に動かす。

 中野監督のバントのサインを無視して、大城は打席に集中する。


「あのバカ。六点目が入るという状況で―――」


 拳を振り上げた中野監督は俯く。

 錦以外の二年生が話し合う。


「ワンナウト確定だな」


「いつものだな」


 その話を聞いていた陸雄が呆れる。


「そんなひでぇのかよ」


 ネクストバッターの駒島は―――冷却スプレーを意味もなくバットにかけている。


「あのバカ二人は錦先輩と俺様でカバーするから―――ちょうど良いんじゃねぇの?」


 九衞が陸雄にそう話す。


「そんなもんかね。古川さん、大城先輩と駒島先輩の今までの打率って―――どれくらいなんですか?」


 陸雄は―――中野監督の隣でスコアブックを書いている古川を見る。


「この二年間で全て三振しかないよ」


 古川が陸雄を見て、きっぱりと答える。


「…………そりゃまた半端ねぇ酷さっすね。泣けてきた」


 陸雄ががっくりとベンチに座り込む。


「メンソーレ! ピッチャー、ビビってるサー!」


「君。試合中だぞ!」


 大城が球審に怒られて、黙って構える。

 横田が捕手のサインに首を振る。

 二度目のサインで投球モーションに入る。


(こいつ―――貧弱な体しってけど一球だけ様子を見るか)


 指から離したカットボールが―――外角低めに飛ぶ。


「ボール!」


 球審が宣言する。

 大城がミットの音で、ピクッと捕手を見る。


「あれって、球速はだいたい110キロだぞ。それを目で追えねぇとか―――小学生の草野球レベルじゃねぇか!」


 一塁の灰田が膝に手を当てる。


「盗塁したいけど、出来ないですね。監督が思いっきり首振ってますし」


 二塁の星川が苦笑いする。

 横田が捕手からボールを捕球する。


(こいつ微動だにしなかったな。なんだ雑魚じゃねぇか)


 横田が捕手のサインに頷く。


「ストライク!」


 真ん中高めのストレート。


「ストライク!」


 真ん中低めのストレート。


「ストライク! バッターアウト!」


 最後に真ん中にストレートを投げ込み―――大城はアウトになる。

 ベンチのメンバーが唖然とする。

 観客席が少し静まる。


「あ、あっという間に終わったね」


 坂崎ががっかりした声で、ベンチからジッと打席を見る。


「メンソーレ! 次の打席に全てをかけるサー」


 打席にいる大城はそう言って、ベンチに戻っていく。


「うわぁ…………ないわー」


 陸雄が眼を細めて、ため息をつく。

 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。


「九番―――ライト駒島君」


 左打席に駒島が立つ。


「ワシが打者としての真骨頂を見せてやろう!」


 駒島はバットを高らかに上げて、ホームラン予告をする。


「おい、あいつの頭ハッピーセットかよ?」


 九衞がドン引き気味な表情をする。


「フッ、いつまでも打順が永遠に回って来るものでもないしな。諦めろ」


「なんで左打席に立ったんだろうね~?」


「ストライク!」


 松渡が言い終わった後に球審の宣言が聞こえた。


「おいおい。ど真ん中だぜ? あのキモデブ。マジヤバすぎだろ…………」


 一塁の灰田が呆れる。

 ネクストバッターのハインが投手を観察する。


「ストライク!」


 続いて真ん中やや低めのストレート。


「ストライク! バッターアウト!」


 105キロの真ん中のストレートで―――駒島がアウトになる。


「ふん! 運が良かったな! ワシが右打席だったら打たれてたぞ!」


「君っ! 遅延行為になるから早く戻りなさい!」


「ぬぅん!」


 球審に注意され、駒島はベンチに戻っていく。


「中野監督。サイン出しませんでしたね?」


 スコアブックを書き終えた古川が―――中野監督を見る。


「…………出しても無駄だと悟った」


 中野監督は厳しい顔をして、目を瞑った。


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