第43話

「灰田~。カーブ以外にこのナックルボールを練習していれば、打者的に打ちにくいから有利にもなるよ~」


 松渡の言うことは一理ある。

 野球において、捕るのが困難なボールは―――打者としても打つのが困難である。

 ナックルボールの弱点はリスクが大きい。

 中野監督はそれを知った上で、灰田にナックルボールを薦める。


「朋也様。ナックルボールを使えるようになれば、非常に強力なボールになる。ただし、投げるのが難しく、さらに捕るのも難しいという、扱いが大変な球種だがな」


 ナックルボールに限り、不規則な変化のために緻密なコントロールは不可能である。

 相手の欠点をつく投球、状況に応じた配球というのは難しいことなどが挙げられる。

 捕手側としても配球指示に置いて、ストライクかボールどちらかの丁半博打とも言える。


「確かに強力かもしんねーけどよ。はじめん、そんな投げてねぇぜ?」


「松渡は一日の練習に数回だけ、ナックルボールを投げている。朋也様の言う通り、そう簡単に何度も投げれる球種ではない。その為松渡は他の変化球を磨くことに専念していた」


 灰田がため息をつく。

 松渡が話題にされつつも、あることに嫌々諦めかけていた。


(っていうか―――関係ないけど、中野監督も僕の事はじめんって覚えてるのナチュラルにアダ名定着しちゃってるな~。中野監督は名字で呼んでるから良いけどさ~)


 うなだれる松渡に、捕手の坂崎が立ち上がると松渡は手を振る。

 別に問題ないっという合図だった。

 坂崎が座り込む。


「中野。それなら他の変化球覚えた方がマシじゃねーか?」


「公式試合までの残り少ない期間で―――中学時代までに磨き続けた変化球を持つ投手たちを相手に、今から他の新しい変化球を覚えるのでは遅い。それこそ付け焼刃だ。使い物にならないだろう?」


「けど、ナックルボールだって、モノになるかどうか分かんねーんだろ?」


「モノにさせた上で、練習でも試合でも―――カーブとストレート中心に鍛えて投げろ。切り札のナックルボールは一日の投球練習終わりで十球だけだ。それ以上は負担がかかるから、試合でもそんなに投げさせない。いいな?」


「―――ってことは俺は、投手として完全試合は出来ないってことか?」

 

 中野監督は目を瞑って、話す。


「…………登板後は野手として交代する。ナックルボールの多様で、野手としての送球が逸れてしまうのは避けたいからな。それも含めて、朋也様だ」


 その言葉は灰田の答えを肯定していた。

 目を開けた中野監督は、少し寂し気で複雑な表情だった。

 それは考え抜いた上での、辛い決断。

 そう思わせる雰囲気がそこにあった。

 灰田がそんな中野監督を見て、ボールを持つ手を強く握る。


「……一試合で最大十球だけの切り札か―――球速の遅い俺しか出来ねぇ技で、博打に近い球……か」


「ナックルボールを投げ始めたら、十球目を過ぎたら交代させる―――どんな状況でもだ。その為、朋也様は先発か中継ぎになってもらう」


「ナックルボールを使って、三球三振が続くとは思えねぇ。ボール球を含めた五十球だとしても、最高でも三イニング抑えれば上出来ってことか」


「一年の九月後からは指の状態を見て、他の球種を二年の公式大会までに覚えさせる。ナックルボールは使う機会が減るように配慮する―――約束する。その時には―――それまでの試合から覚えるべき変化球を判断して、その球種を持つ投手を呼んで教えさせる」


 中野監督はそう言って、灰田をジッと見た。

 一年次にケガをさせないように―――彼女なりに気遣っていたのだろう。

 灰田は大会までに握り方だけでも、練習以外で硬球を買って覚えることを決意する。

 全ては今年甲子園に行くチームの為だった。


「―――わかった。じゃあ、はじめん握り方から教えてくれ」


 坂崎から返球で―――ボールを捕球した松渡が振り向く。


「いいよ~。毎日の練習終わりに十球だけだから、まだ後でね~」


「ナックルボールは習得するまでに、かなりかかるだろう。朋也様、公式試合の四回戦まで使うな。いいな?」


「四回戦までって、その間に陸雄とはじめんで大丈夫かよ?」


「杞憂だな。試合では二人が抑えてくれるから、第三の投手である朋也様は四回戦の事から考えておけ」


 中野監督は松渡に「頼む」と一言残して、他の部員のノックなどの練習に戻っていく。

 一部始終盗み聞きしていた陸雄は、ハインからボールをキャッチするとウキウキしていた。


「おおっ! はじめんと中野監督が灰田の熱い必殺技習得イベント展開に―――! 古川さん、是非俺にもはじめんや灰田も使っているナックルボールを……」


「セットポジションの投球を重視してるんだし―――岸田君は制球重視だから、それを無視するナックルボールは絶対ダメ。練習時間外でやったら、スタメンから外すように中野監督に言うからね。解った?」


 古川は無表情で陸雄のフォームを手を使って、肩や肘を修正させた。


「……はい。今あるピッチングでエースとして頑張ります」


 陸雄はしょんぼりとした表情でハインに向かって、カーブを投げる。


「リクオ。さっきのカーブはキレが弱い。打たれるぞ」


 ハインがそう言って、返球する。


「ううっ、俺にも灰田みたいに新球種を会得する熱い展開があっても良いじゃないか……」


「陸雄~。贅沢言わないで集中、集中~! 一人で野球してる訳じゃないんだよ~。一人一人がチームの主人公なんだから~」


「お、おう! 俺も主人公! つーか、大森高校のエースだから―――真の主人公として頑張んねぇと!」


(陸雄って、こういうところは単純なんだな~)


「岸田君、あと変化球を八球投げたら、灰田君と交代して、野手練習してね」


「わかりました! 今日も丁寧に投げますね! 野手としても打者としても俺は頑張んねーといけねぇっすからね!」


「うん。わかったから、ちゃんとコントロール正確にね」


 灰田がタオルを人差し指と中指で掴んでシャドーピッチングしている。

 ボールの代わりにして、投球練習をするタオルシャドーである。


(俺の……俺しか投げれねぇナックルボール! 今年だけしか使えねぇ代わりに、甲子園に行くの為の切り札。ナックルボールが勝利へのチケットなら―――必ずモノにしてやる!)


 練習中の灰田の目に、静かな闘志が宿る。

 松渡が灰田の熱に笑顔になる。


(だんだん味が出てきて、良いチームになってきたな~。僕が最後の野球をするのに相応しい場所かもな~。陸雄には全てが終わったら、感謝しないとな~)



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