第42話

 時は流れて、五月。

 中間テストの試験がまだ先の日。

 陸雄達はゴールデンウイークの合宿前日を迎えていた。


「朋也様。ストレートの制球は肩も出来上がってきて、中々いいな。野球部を辞めても、個人練習していたのか?」


 灰田に投球練習がメニューに加わってから一週間後―――。

 坂崎とハインに交代で捕球している時に、中野監督は灰田の肩を叩く。


「まぁ、暇つぶしにチマチマやってたしな。投手としての実力は、小学生のころに比べれば―――かなり落ちたけどよ」


 事実、スピードガンで計測した灰田の最大球速は121キロだった。

 陸雄や松渡に比べれば、遅い球である。

 松渡ほど正確な制球でない。

 そして古川の指導により上がっていく陸雄よりも早い球速でもなかった。

 兵庫県内で見れば平凡というよりはやや弱めの投手だった。


「気にするな。球速は走り込みとフォームである程度は上がる。そしてコントロールは努力で補える。では、そろそろ新しい球種を教えてやる」


 ハインが捕球している中で、陸雄が聞き耳を立てる。

 松渡が手の空いた坂崎に、投球練習をする。

 二人が中野監督に指定された球数を投げている間に、灰田の手が空く。

 灰田が中野監督を見て、腰に手を当てる。


「新しい球種って何だよ? 言っとくけど、俺は中学の頃にこっそり練習してたカーブとストレートしか投げれねぇぜ?」


 他の部員がベースランニングや素振り、キャッチボールをしている間に中野監督は話を続ける。


「ストレートとカーブだけでも捕手次第で、ある程度はリード出来るだろう。だが甲子園に行くとなると、もう一球種必要だな。その一球種を甲子園までに実戦も含めて、鍛えないとな」


「何だよ? そんな簡単に新しい球種覚えられても、一回戦で付け焼刃の球じゃ打たれるぜ?」


 中野監督は真剣な表情で、灰田の顔を覗き込む。


「朋也様。その球種を覚える前に聞きたいが―――プロ選手になる気は無いな?」


「い、いや、高校で野球終わらせるつもりだし、中学時代に野球部辞めてる俺の実力じゃ今更無理ってもんだろ?」


「―――なる気は無いんだな?」


 中野監督がずいっと灰田に顔を近づける。

 灰田が照れながら、本音を言う。


「あ、ああ―――まず、ならない」


「本当か? 後で後悔しないな?」


「な、何だよ! 俺がプロにならないのと、新しい球種が関係あるのかよ?」


「ああ、大いにある。その球種はプロ野球選手で多用することは、まず国内でほぼ無いからな」


「そんな球種あるのか? 強い変化球なんだよな?」


 坂崎から投げたボールを捕球した松渡の手が止まる。

 松渡が中野監督を見ると、中野監督は頷く。

 陸雄がハインからボールを捕球して、同じく聞き耳を立てる。


「岸田君―――他人のことより自分の投球に集中する!」


「あっ、すいません。古川さん!」


 古川が陸雄の肩を叩いて、ハッとした陸雄は投球練習に戻る。

 松渡は何かを察していたのか、鼻を鳴らす。


(なるほどね~。中野監督も随分大胆な賭けに出たな~。まぁ、確かにアレなら練習次第で出来上がっていくかな~)


 坂崎に合図を送り、松渡は変化球を投げ始める。

 その間に中野監督は、不安がる灰田にゆっくりと答える。


「安心しろ。投げた自分にさえ不規則なコースに飛ぶ球種―――上位打者とそれなりにやり合える球だ」


「そんなんあるのかよ。試しに投げてみっから、教えてくれよ! 俺にも武器が欲しい!」


 捕手たちも聞いていたのか、返球しつつ―――中野監督の言葉を聞く。


「多用すると指を痛めるから、あまり使うなよ。―――切り札として使え」


「今の俺が上位打者と互角にやり合えるって―――どんな変化球だよ?」


 中野監督が灰田の手からボールを貰う。

 やがてボールに、その変化球の握り方を見せる。

 その握りは人差し指、中指、薬指を曲げて―――三本の指の第二関節から爪まで、親指と小指の平でボールを握っていた。


「この―――ナックルボールだ」


「ナックルボールッ!?」


 灰田が驚く。

 松渡が微笑む。


(やっぱりか~。灰田に僕がナックルボール教えることになるんだな~。これで投手の差別化が、三人分出来たって事かな~?)


 ナックルボール。

 中野監督が今握っている状態で、三本の指で押し出すように投げる球種。

 特徴としては回転がかからず、不規則に落ちるので打ちにくいボールである。

 本来ナックルボールは二通りの投げ方が挙げられる。

 先ほどの指の押し出しともう一パターンの投球。

 三本の指の爪をボールの表面に立てて、はじくように投げる方法である。

 ナックルボールを時々投げる松渡は―――前者の指で押し出す投球を行っている。 


「中野。ナックルボールって、確か難しい球種じゃねぇか? 結構限られた条件じゃねぇと投手は投げれねぇぞ?」


 灰田の言う通りだった。

 ナックルボールを使わない投手がいる訳ではなく、事実使えない投手が多い。

 第一に握力が要る。

 第二に肩肘に負担がかかる投げ方ということだ。

 多用すると、肩肘が痛んで投手生命が縮む。


「多用はしないようにする。五十球投げる場面なら多くても十球ぐらいにさせる」


 ナックルボールはまず投げるのが難しいボールだ。

 失敗するとただの遅い球になってしまう。

 だが、灰田の球速は元々遅い。

 つまり相手の打者は、遅いストレートかナックルボールかの判別が付きにくい。

 初見では、見破るのは厳しいだろう。

 中野監督はその灰田の遅い球速と、元々持っている握力の強さからナックルボールを覚えさせることにした。


「ナックルボールは松渡に教えてもらえ。古川マネージャーは陸雄の投球指導で忙しい。片手間じゃ覚えられない」


「はじめんでも練習中に、時々見せたナックルボールを失敗する事があったぜ? 俺なんかが完璧に投げれんのかよ?」


 ナックルボールは正確に投げられたとしても、様々な問題が起こる。

 まず自然現象の影響を強く受ける。

 回転を極力少なくするため、風などの影響が他の球よりも大きくなってしまう。

 練習中の松渡は―――風の強い日にはナックルボールは失敗することが多かった。

 そしてナックルボールは変化は不規則なため、投げた後はどこに行くのかわからない。

 ナックルボールは基本的にボールが揺れている。

 揺れた結果―――真ん中にはいることもある。

 ストライクゾーンに入らないこともよくある。

 投手だけでなく、捕球する捕手にも負担がかかる。

 変化が不規則な部分はキャッチングにも影響する。

 ナックルボールを捕れるキャッチャーは限られてしまう。

 ナックルボール専用のグローブなどを用意する捕手もいる。

 捕手を始めたばかりの坂崎ではまず捕球は厳しいだろう。

 見方を変えれば、打者のバットを振らせる誘い球でもある。


「ナックルボールはハインの時のみ投げろ。練習後に話を聞いたら―――ハインはアメリカにいた頃にナックルボーラーとバッテリーを組んだ経験がある。ナックルボールを投げるかどうかは朋也様ではなく、ハインが判断して決めることだ」


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