第38話

 夜中になる頃には、一度帰って後から来た二年生達がグラウンド整備を行う。

 打席練習もした陸雄は、練習終わりに息を切らしていた。


(きっつ~! 朝練が軽めに思えるぜ。清香の勉強寝落ちにならないかなー? 練習について来たのがやっとだったぜ)


 中野監督もノックなどの疲れからか―――肩で息をしながら、汗を流す。


「よし、今日の練習は終わりだ。地方大会の抽選会が始まるまではこのメニューをこなす。ゴールデンウイークは合宿を行う」


 古川が選手たちの人数分にプラスチック製のコップに水を入れる。

 そしてコップを選手一人一人に渡して、中野監督の代わりに説明する


「ウチの野球部は予算が無いから―――合宿は校内で許可を貰って、練習することになります。朝五時集合です」


「ええっ! 僕の家からだと、その時間電車無いですよ~」


 中野監督が目を瞑って、話す。


「鉄山先生に部員全員の住所を聞いてあるので、心配するな。遠出の者は学校付近に住んでいる者の住宅に泊まり込むように―――父兄からは私が許可を貰っておく」


「部員の家に五日間も泊まり込むのか……知らない人のご飯って遠慮しちゃうんだよな……」


 陸雄が肩で息をしながら、座りこんだまま半笑いになる。

 古川が事務的に話す。


「電車無しで登校できる家は錦君。松渡君、九衞君。そして一人暮らしの灰田君のアパートです」


「各自泊まり込む部屋を決める事。合宿の練習終わり時刻は午後七時だ。終わったら真っ直ぐ泊まり込む家に帰るように、問題だけは起こすなよ」


「はじめんの家に泊まっても良いか?」


 陸雄が眼が合った松渡に問いかける。


「一人だけならお祖母ちゃんも許してくれると思うよ~。買い物手伝ってね~」


「ああ、サンキュ! ……ってかお祖母ちゃん?」


「―――家の事情詮索しないで、黙っててくれるなら追い出さないからね~」


「お、おう。路上で寝るのは嫌だから黙秘するぜ! 住所不定の浮浪者高校生補導されるってネットニュースになりたくねぇしさ」


 陸雄は松渡の家に住む事が決まり、古川がスマホでメモをする。


「俺様の親戚の家は二人までなら泊められる。ただし、金髪、テメーは駄目だ! 鹿児島チンピラのアパートで寝ろ!」


 ハインがちょっとだけピクッとする。


(あっ、あれは怒っている時のハインだ。小学生のころからだけど、冷静にキレるんだよなー。しかも根に持つから、よく乾と一緒に謝ってたっけ。変わんないな)


 陸雄がちょっと懐かしみながら、その後のことを想像したのか慌てる。


「フッ、ハインも嫌われたものだな。なら、俺は九衞の家に泊まることにする。構わないか?」


「近くのコンビニで合宿中に、俺様の為にアイス買って来るなら許してやるよ。ハーゲンダッツではなく、チョコレートアイスかモナ王にしろよー。間違ってもスイカバーは買うなよ?」


 紫崎が静かに笑む。

 肯定の意味を見せていた。


「僕も九衞君の家で打者について学びたいです。合宿期間は是非泊まらせてください!」


「まぁ、大物選手の俺様が住んでいる親戚の家だからっといって―――緊張することは無いぞ。星川はプッチンプリンかクリームプリンを合宿中に必ず俺様に献上するように!」


「わかりました! ありがとうございます!」


 星川はニッコリと笑顔を見せる。

 古川がスマホで、星川と紫崎の泊まり込み先をメモする。

 灰田がハインの肩に手を乗せる。


「ハイン。同じ捕手の坂崎と一緒に捕手としての講義も必要だろ? 俺のアパート狭いけど、そこでなら講義できるから泊まってくれ。布団予備含めて二つあるから使ってくれ」


「―――わかった。すまない」


「良いって、気にすんなよ。近くにスーパーあるから―――そこで揚げ物か、弁当買えば問題ないしな。あっ、俺一応自炊できるから、炊飯器あるぜ。湯沸かし器もあるから味噌汁と米食い放題にしてやるよ。坂崎は寝袋持って来いよ」


「う、うん。ぼ、僕は寝袋持ってくるね。は、ハイン君。ほ、捕手についてこれからも色々教えて…………」


 坂崎は友人の家に遊んだことが無いので、ウキウキしていた。

 錦は立ち上がり、一人寂しくスイングしていた。

 それを見たメンバーが思わず「あっ!」と声を漏らす。

 古川がスマホで、最後のメンバーを入力する。


「監督。合宿のメンバーの宿舎先がこれで決まりました。メール送りますね」


「よしっ! 各自帰りにこの事を父兄に連絡すること。家からの電話は今日の八時まで鉄山先生か私に連絡しろ。今日は寄り道せずに帰る事。解散!」


「「お疲れ様でした!」」


 メンバーが立ち上がり帽子を脱いで一礼する。

 古川から鍵を渡された陸雄は、ブレザーに着替えるためにメンバーと一緒に部室に向かう。

 グラウンド整備を終えた私服姿の二年生達は、挨拶もせずに帰っていった。

 メンバーが居なくなった後に、中野監督が古川に話しかける。


「古川。こんな夜中に一人で帰るのは良くないだろう。私の車で送ってやる」


「ありがとうございます、中野監督。ボール磨きがまだ残っていますので……」


「手伝おう。途中で私の車で寝ていても構わないぞ。鍵を渡す。車は学内の駐車場にある青のインプレッサだ」


「監督、僕も手伝います」


 錦がユニフォーム姿で残っていた。


「選手は休め。ボール二百球くらい私でなんとかする」


「おじいちゃんの家は歩いてすぐなので、遅くなっても大丈夫です。それに―――」


「……それに? なんだ?」


「―――球あればこその野球です。感謝を込めて磨きたいです」


 錦の言葉に中野監督は少しだけ、優しい表情を見せる。


「わかった。毎日とは言わないが球磨きに参加しろ。一年達のスタミナじゃ、まだ磨く余裕もないだろうからな」


「錦君。ありがとう。私も手伝うからね」


 古川はあまり表情を見せずに、感謝する。

 彼女なりの精一杯の感情表現なのだろう。

 一年から同じクラスの錦は頷いて、ボールの籠に向かう。


「ああ、こんな遅くまで居たんですね。今日の練習お疲れ様です」


 鉄山先生が今日のデスクワークを終えたのか、グラウンドにやってきた。


「どうですウチの一年達は? 私に手伝えることがあれば言ってくださいね」


 中野監督が大きく伸びをする。


「そのことについては四人でボール磨きをしながら話しましょう。一人五十球なので、早く終わらせましょう」


「―――わかりました」


 グラウンドの外側から陸雄達の声が聞こえる。


「お疲れ様でしたー!」


「寄り道をするなよ!」


 中野監督がそう言うと、陸雄達は手を振る。


「はーい!」


 ブレザーに着替えた陸雄達が帰っていく中で、四人はボール磨きを始める。


「中野監督。練習試合の予約はしますか?」


 鉄山先生の言葉で―――中野監督はタオルでボールを磨きながら答える。


「錦目当てで挑んでくる高校はあると思いますが、練習試合は無しで公式試合で成果を見せましょう」


「わかりました。実は今日の電話を含めて、いくつか五月中に試合を組みたいという県外の高校があったのですが―――保留という形を取っています。そういうことでしたら、明日キャンセルしておきますね」


「助かります。当時監督実績の無かった私を他校に推薦状を出してくれた校長と先生方には感謝しています」


「いいんですよ。強豪校で有名になった中野監督を二年間だけとはいえ、うちの高校に無理を言って頼んだのは他ならぬ私ですから―――向こうの高校でも他の監督が契約していますが、二年だけの約束なので、中野監督には元の高校に監督として戻れますから……結果は重視してないとのことですから、気軽に行ってください……」


 タオルで球を磨きながら、中野監督は淡々と答える。


「鉄山先生。私は彼らを甲子園に行かせますよ。強豪校はレギュラーの取り合いばかりで、レギュラーを取ったら安心してしまう選手がいました。だが彼らは違う。少数だからこそ連携を取ろうと助け合っているのが、練習で多く見られました」


「ははっ、肩に力が入っているようですね。二年間ありますから、無駄な期間かもしれませんが指導お願いしますね」


「先生。初めは恩義で大森高校野球部の監督になりましたが、今日の練習を通して選手たちの気持ちが痛いほど伝わりました。錦と一年生達はしっかりしている。私もここで彼らを通して、学ぶことは多々あると思います」


 古川と錦はそれを聞きながら、無言でボールを磨く。

 錦を見ながら、古川が優しい笑顔を向ける。

 表情には見せていないが、錦が今以上に本気で取り組んでいて嬉しそうだったからだ。






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