第8章 暗雲

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「あれ、シノ、何やってるの?」


 宿舎の食堂。片隅のパソコンに向かってキーボードをタイプしているしのぶに、巧也が声をかける。


 かつて譲がジョイスティックとスロットルの操作に慣れるための練習用だったパソコンは、今やすっかりしのぶのものとなっていた。特に最近、彼女がパソコンに向かっている時間がずいぶん長くなっているようだ。


「あ、タク」振り返ったしのぶが笑顔になる。「今まで戦ってきた敵のデータを整理して……分析しているの」


「へえ、すごいな、シノ。そんなにパソコン使えるんだ」


 そう言う巧也も、もちろんパソコンはそれなりに使える。だけど、ネットするならスマホやタブレットの方がやりやすいし、文字を打ち込むのだってフリック入力する方がよっぽど早い。だけどしのぶはタッチタイピング――キーボードを見ずにタイプすることができるのだ。おそらく文字の入力速度は巧也がフリック入力するのと同じか、それよりも速いだろう。


「うん……家に、パソコンあるから……」


「もしかして、シノはDFはパソコンでやってたの?」


「うん。だけど、あんまりお金ないから……お父さんのお下がりのパーツとか、中古の格安のパーツとかを集めて、自分で作ったの。ゲーミングパソコン……」


「ゲーミングパソコン!? 自分で作ったの?」


 思わず巧也は大声になる。ゲーミングパソコンがかなり高価なものであることは彼も知っていた。だけど、それを自分で作ったなんて……というか、パソコンって 自分で作れるものなのか。そうだとしても、少なくとも彼には作れそうになかった。


「うん。作るのはそんなに難しくないよ」あっけらかんとしのぶは応える。「ハンダ付けとかするわけじゃないし。ドライバー一本あれば誰でも作れるよ」


「……」


 巧也は言葉を失う。ドライバーを握りしめてパソコンを作っているしのぶ……その姿はとても想像できなかった。だけど、実際に彼女はそれを成しとげているのだ。


「すごいな、シノ。パソコン作っちゃうなんて……ぼくは作り方知らないから、絶対無理だなぁ」


「そ、そんなことないよ。タク、もしよかったら……パソコンの作り方、教えようか?」


「え、どうやって?」


「このパソコン分解して、また組み立てればいいよ」


 しのぶは自分が使っているミドルタワー型のパソコンを指さす。


「ええー!」


 ずいぶん大胆なことを言うものだ。どうやら自分の知らないしのぶの一面が、まだまだたくさんありそうだな、と巧也は思う。


「これ、たぶんBTOモデルだから」と、しのぶ。


「BTO?」


「ビルド・トゥ・オーダー。メーカー品だけど、注文するときに部品単位でカスタマイズできるの。だから、中身は自作パソコンとほとんど一緒。簡単に分解できるよ」


「い、いや、ちょっと待って……」巧也は両手で押しとどめる仕草をする。「勝手に分解なんかしたら、町田二尉に怒られるんじゃない?」


「大丈夫だと思う。元通りに組み立て直せばね」


「で、でも……ぼく、元通りに組み立て直す自信ないよ……」


「わたしは組み立て直せるから。タクが分からなくなっても大丈夫だよ」


「そっか……シノ、すごいな……」


 巧也が褒めると、しのぶは顔を赤らめる。


「う、ううん……たまたまお父さんがシステムエンジニアだったから……生まれたときから家にパソコンあったし、子どもの時からパソコンをおもちゃにして遊んでたから……」


「へぇ……」


 巧也は心の中で二日前のバラージ・ジャミング事件を振り返る。あの時のしのぶはすっかりスーパーハッカーだった。言われてみれば、DFでペアを組んでいた頃から彼女は電子戦、情報戦に強かった。その理由を巧也は垣間かいま見た気がした。しのぶは電子機器の扱いについて父親譲りのセンスを備えていたのだ。


「それじゃ、シノにとってパソコンは親友みたいなものなんだね」


 そう巧也が言うと、しのぶは少し首をかしげる。


「うーん……親友というよりは……使い慣れた道具、って感じかなあ……」


「……」


 意外にドライな関係だった。思い入れというものがないのだろうか。巧也はしのぶという女の子がますます分からなくなった。だけど……


 最近、少ししのぶのことが気になり始めている。そういう自覚が彼にはあった。特にあのジャミング事件で二人っきりになった時から、その気持ちが強まったように感じられる。

 だが、自分は絵里香が好きだったはずだ。その気持ちは変わっていない、とも思う。でも……


 絵里香は巧也に対しては常にそっけない態度だった。ただ、あのリーダー交代の一件の後、少しだけ巧也に向ける彼女の表情が柔らかくなったようにも思える。あの件でてっきり絵里香に嫌われてしまったと思っていた巧也にとっては嬉しいことだった。だが、それ以上の進展はない。それよりも……


 最近やけに絵里香が譲と一緒にいるように彼は感じていた。もちろん、ペアを組んでいるのだから当然ではあるのだが……


 エリーはジョーが好きなんだろうか。だとしたら、自分はとてもかなわない、と巧也は思う。どう考えても譲の方がかっこいいし、一対一ならたぶん空中戦の実力は自分よりも彼の方が上だ。だけど……


 譲の好みのタイプは絵里香ではなく、しのぶなのだ。出会った日に巧也は彼自身から直接そう聞いていた。たぶん彼の気持ちもその時から変わってはいないだろう。


 しかし……


 巧也はなんとなく感じていた。ひょっとしたら……シノはぼくのことが好きなんじゃないだろうか。彼女とはペアを組んでいるのだから一緒に過ごす時間も長くなる。特に、あのジャミング事件の日に地下の教室で二人っきりになった時に感じた、あの甘酸っぱい雰囲気……思い出すと、どうにも胸が苦しくなってくる。


 巧也から見ても、しのぶはかわいいし十分魅力的な女の子だ。だけど……彼が彼女に求めているのは、恋人というよりも親友の”ノブ”なのだ。


 出撃すると、しのぶは”ノブ”になる。空で戦う時はそちらの方がやりやすいらしい。巧也にしても”ノブ”が相手であれば、DFと同じようにお互い気心の知れあったペアとして戦うことができる。


 だけど、地上に戻るとしのぶは女の子の”シノ”に戻る。ジャミング事件の時、ハッキングに夢中になっていた彼女は巧也の前でも”ノブ”モードになっていたが、それ以来彼女が巧也の前で”ノブ”になることはなかった。やはりどうしても恥ずかしいらしい。


 巧也にとって意外だったのは、絵里香が”ノブ”の熱烈なファンになってしまったことだった。四人で出撃した際に時折しのぶが見せる”ノブ”のキャラに、彼女はすっかり心を奪われてしまったのだ。彼女もしのぶに「ねぇ、”ノブ”になってよ~」と宿舎の自分たちの部屋でしきりに迫っているらしいのだが、これも頑なに拒まれているという。


 そんな”ノブ”の存在が、しのぶを巧也が純粋に女の子としてみなすことを阻んでいたのだ。


 それでも……


 恋愛対象に選ぶなら、やっぱり自分「が」好きな女の子よりも、自分「を」好きでいてくれる女の子なんだろうか。そんな風に思いながら、ついつい巧也はしのぶを見つめ続けていた。


「ど、どうしたの……?」


 いつの間にかしのぶも、顔を赤らめて上目遣いに巧也を見つめている。


「!」


 いけない。少しボーっとし過ぎたようだ。巧也は慌ててしのぶから顔を逸らす。


「ご、ごめん! なんでもないよ」


「そう……」


「まあ、どっちにしても」巧也は首をすくめる。「シノがパソコンが好きなのはよくわかったよ。だから最近毎日のように使っているわけか」


「あ、うん……そうね……」


 なぜかしのぶの言葉は歯切れが悪かった。


「……どうしたの?」と、巧也。


「うん……ちょっとね、気になることがあって……」


「気になること?」


「うん。だけど、まだ全然はっきりしてなくて……だから、もっとはっきりしたら教えるね」


「あ、ああ……」


 あまり納得できていなかったが、巧也は無理やりうなずいてみせた。


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