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 ”いったい、どうなっちまったんだ……?”


 譲は混乱していた。


 アルファ空域、高度一万メートル。一五四○時。


 彼と絵里香は実機による空戦ACM訓練を行っていた。ACM訓練では誤射を防ぐため本物の武器を積むことはない。しかし、万一敵機と遭遇した時に丸腰では危険すぎる。そのため、巧也としのぶのペアがそのような事態に備えて地上で警戒待機アラートについていた。


 最近はこのように、二機が訓練で空に上がり残りの二機が地上で待機する、というパターンが多くなっていた。この二機は必ずしもいつも組んでいるペアと同じとは限らない。同じ相手とばかり訓練するより毎回相手が違う方が緊張感が続くだろう、と宇治原三佐が判断したため、譲も巧也やしのぶと組んで訓練したり待機したりしていたのだ。その日絵里香がペアの相手だったのは本当にたまたまだった。


 実力がほぼ互角の絵里香との勝負は、なかなか決着がつかなかった。何度か引き分けスティルメイトになった後、もう一度仕切り直そうと互いに離れた、その時。


「!」


 いきなりヘッドフォンに強烈な雑音ノイズが入る。反射的に譲は無線のチャンネルを変えるが、どのチャンネルも雑音であふれていた。とうとう譲は無線のスイッチを切ってしまう。


 続いて警告音。レーダー警報だ。ロックオンはされていないが、どこかからレーダーの電波がこちらに向けられている。


「アイ、どうした、何が起きたんだ?」


「レーダー受信機が激しく反応していますが、敵機の方向が特定できません。GPSが受信できません。現在位置、ロストしました」


「なにぃ!?」譲は仰天する。


 自分がいる位置が分からないなんて……今までこんなことは一度もなかった。


「そうだ、電波標識は?」


VORDMEヴォルデメTACANタカン、全て電波が受信できません」


「……どういうことなんだ?」


「不明です。基地とのデータリンクもロストしました」


 アイの応答には、なぜか抑揚が無くなっていた。


「アイ、教えてくれ、何が起こってるんだ?」


「質問の意味が分かりません」


「……!」


 ダメだ。アイまでおかしくなっちまった。譲は背筋に冷たいものを感じる。


 エリーははぐれたまま無線も通じないから頼りにできない。あ、でも、レーダーを使えば彼女を探すことはできるか。レーダーのスイッチを入れた譲は、思わず悲鳴を上げる。


「うわっ……」


 レーダースクリーンが真っ白なノイズで埋め尽くされていた。レーダーも使えなくなっているとは……


 こうなったら、頼りになるのは自分だけだ。何が起こっているのか自分で判断しなくては。だけど……


 考えることが苦手な彼にとってそれはとても辛いことだった。それでもやるしかない。彼は必死に考える。


 ふと、譲は町田二尉の言葉を思い出した。


 ”まずは、何が分からないのかを明らかにすることね”


 そうだ。今自分は何が分かっていないのか。まずそれから考えよう。


 それは、このような状態になった原因だ。このような状態とは……まず、無線が通じなくなったこと。そして、GPSも電波標識も使えなくて、現在位置も分からない。レーダーもレーダー受信機もダメで、基地とのデータリンクも切れている。


 まず考えられるのは、故障だ。だが……


 これだけたくさんのシステムが同時に故障する、なんてことがあり得るのだろうか。そもそも電気系が全部故障したのなら、操縦系統にも何か影響が出るはず。それなのに操縦には全く問題ないようだ。操縦桿もスロットルもラダーペダルも正しく動作している。HMDに表示されている方位計もピッチ計(機首の上下の向きを示す計器)も、正しく動いているように見える。


 だとすれば……いったい何が原因なんだろう。考え続けた譲の脳内に、突然閃きが走る。


 今不具合が起きているのは、無線、レーダー受信機、GPS、電波標識、レーダー、データリンク、アイ。この内、アイを除く6つには一つの共通点がある。どれも電波を使うものなのだ。


 もしかして……故障じゃなくて、敵に電波妨害ジャミングされているんじゃないのか?


 そう考えると全てつじつまが合う。アイがおかしくなった原因は分からないが……いや、そう言えばアイは常にデータリンクで基地のコンピュータと接続しているんだった。それが切れたからおかしくなってしまったのかもしれない。


 そして。


 もしこれが敵の妨害だとすると、この後どこからか敵が自分を直接攻撃してくるかもしれないのだ。


 そこまで考えてゾクリとした譲は、あわてて周囲を見渡す。空は良く晴れており、見える範囲に敵らしい機影はなかった。絵里香の機体が見つかるか、と期待したがそれも空しかった。


 こうなったら一刻も早く基地に帰らなくてはならない。無線が使えなければ基地に助けも呼べないし、機体には全く武器がないのだから、敵に出くわしてもやられるだけだ。しかし、今自分がいる位置は不明で、基地の方向も分からない。


 とにかくまずは自分の位置を把握しなくては。方位計は動いているから機首の方向は分かる。後は自分の位置さえ分かれば基地に向かって飛べばいい。ただ、どちらにしてもA空域は千歳の東側だ。自分たちはA空域にいたはずだから、とりあえず西に向かえば間違いはない。


 譲は機体を旋回させ、磁方位270……真西に機首を向けた。そして地上を見下ろし、何か目印になるようなものがないか探す。


 現在高度は八千メートル。右手前方に緑の山脈が続いていて、左側には海岸線が緩やかなカーブを描いている。左主翼の真下の海沿いに市街地が見えた。


「アイ、しばらく操縦を任せる。このまま高度を保って直進してくれ。ユーハブ」


「I have」


 アイの応答を確認して譲は操縦桿から手を離し、右ひざのマップポケットに入っている北海道の地図を取り出してしげしげと眺める。たぶん、右側の山脈は大雪山系。そして、左後ろに見える市街地は釧路だろう。とすると……このまま行けば正面に帯広の街が見えるはず。その方向にまっすぐ飛べば千歳だ。確かまだ燃料切れビンゴにはなっていないはず。だからこのまま普通に飛べば、千歳に帰れるだろう。


 しかし……


 今はいつ敵に襲われるかわからない状況。できるだけ早く帰らなくてはならない。だが、そうなると燃料を多く消費することになる。千歳までたどり着けなくなってしまうかもしれない。そうなるギリギリの、最適な速度で飛ばなくては。


「アイ、この状態であと何分くらい飛べるんだ?」


「質問の意味が分かりません」


 全く感情のこもらない声で、アイは繰り返した。


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