18

 翌朝。


 朝食の席に絵里香がついていた。それを見た巧也は安心する。だが、


「お、おはよ……」巧也がそう声をかけても、


「……」


 絵里香は何の反応も示さない。それでも、部屋から出て一緒にご飯を食べてくれるようになっただけで十分だ。巧也はそう思うことにした。


---


 午後の訓練飛行。1番機と3番機のパイロット交代でそれぞれのアイの設定を少し変更しなくてはならなかったので、それが終わった後、巧也と絵里香は他の二人よりもやや遅れて装備室に入った。ちなみに2番機と4番機の交代はない。だから巧也はしのぶと、絵里香は譲とペアを組むことになる。


 譲もしのぶも、もうそこにはいなかった。絵里香と巧也の二人きりだ。あまりにも気まずい空気がその場に張りつめていた。


「……」


「……」


 二人とも全く会話することなく、淡々と装備を身に着けていく。やがて、装備を付け終わった絵里香が装備室のドアに向かって歩き始めた。その背中に、巧也が声を投げかける。


「エリー!」


 それは、巧也にとって一つの賭けだった。絵里香が足を止めるか、止めないか。たぶん止めないだろうな。ぼくの声も聞きたくない、って言ってたくらいなんだから。彼はそう予想していた。


 ところが。


 絵里香の足が、ピタリと止まった。


「!」


 すかさず巧也は言葉をつなごうとする。だけど、こうなった時に何を言うかはあまり考えていなかった。彼はただ、とにかく今の素直な気持ちを彼女に伝えたかったのだ。


「ぼ、ぼくのこと……嫌いだったら、嫌いでもいいよ……だけど……君が、どんなにぼくのこと、嫌いでも……ぼくは必ず……君を守るから……ぼくのできる限り……」


 言ってしまってから、それがあまりにもクサいセリフであることに気付き、巧也は顔がほてるのを感じる。


 ”しまった……ぼくは、なんてことを言っちまったんだ……”


「……」


 全くの無反応。やがて絵里香は、巧也を振り向くことなく再び歩き出すと、ドアを開けて速足で出ていく。バタン、とドアが閉まった。


「……」


 装備室に一人取り残された巧也は、がっくりと肩を落とす。


 ”やっぱ、ハズしちゃったか……”


 彼は気づいていなかった。走り去る絵里香が涙ぐんでいたことに。


---


 3番機のコクピットに収まるまでは何とか我慢出来た。だが、もう限界だった。


 自分がなぜ泣いているのか、わからない。ただ、間違いなく言えるのは、私は心底自分に嫌気がさしている、ということだ。あふれる涙を絵里香はフライトグローブで拭う。


 本当は巧也に謝りたかった。ひどいこと言って、ごめん、と。だけど、変にプライドが邪魔をして彼女にそれをさせようとしない。さらにそれに追い打ちをかけるように、巧也は彼女に対して ”必ず、君を守るから” と言ったのだ。それが嘘や口先だけの言葉では無いことは、彼女にも十分伝わっていた。


 ひどいことを言って謝ろうともしない相手に対して、そんなことが言えるものだろうか。少なくとも自分には無理だ。巧也に比べて、自分はなんてちっぽけな人間なんだろう。そう思い知らされた絵里香は、涙を止めることができなかった。


 だが。


 絵里香は疑問に思う。はたして、自分が泣いている理由はそれだけだろうか。


 というのも、心の中になんとなく暖かいものが湧き上がってくる気がしているからだ。


 やはり、素直に嬉しかったのだ。巧也に「君を守る」と言われたことが。


 以前の絵里香なら、巧也にそんなことを言われたら「バカにしないでよ! 君なんかに守られるほど落ちぶれてないよ!」などと反発したかもしれない。彼を見下していた頃の彼女なら。


 だが、今の彼女は巧也を自分と対等、もしくはそれ以上の存在とみなしている。だから彼の言葉も以前より素直に受け止められる。そして……それは不器用ながら、確実に彼女の心を動かした。


 やっぱりかなわないな、と絵里香は思う。リーダーとなる人間はまさにこうあるべきなのだ。その地位を彼に譲ったのは正解だった。だけど……


 私だからこそできることだって、必ずあるはず。とりあえずそれを探していこう。絵里香は心に誓った。


---


 1番機に搭乗しエンジンを始動してからも、巧也は落ち込んだままだった。昨日のフライト前の高揚感が、今日は全く沸き起こってこない。それどころか気が重くてしかたない。しかし、今や彼が小隊全体のリーダーなのだ。それなのに、出てくるのはやる気ではなくため息ばかりだった。


『何やってんのよ、タク! 早く点呼取りなさいよ!』


 いきなり彼は怒鳴られる。その声の主は……絵里香だった。データリンク経由の1対1プライベート音声通信モード。


「え、エリー?」


 信じられなかった。今の今まで無視され続けていたというのに。


『全くもう、頼りないんだから……そんなんじゃ、私がリーダーやった方がよっぽどマシだったかもね』


「……」


 正直、絵里香の言うとおりだ、と巧也は思う。自分だって別にリーダーをやりたかったわけじゃない。こんなウジウジした自分よりも、はっきりしている彼女がリーダーの方がずっとマシなんじゃないだろうか。


『だけど、今はあなたがリーダーなんだからね。しっかりしなさいよ! あなたがそんな調子じゃ、みんな撃墜されちゃうよ?』


「う、うん……ごめん」


 巧也の両目に涙が浮かぶ。嬉しかった。絵里香の方から話しかけてくれるとは思っていなかった。まだ完全じゃないかもしれないけど、ようやく、いつものエリーが少しだけ帰ってきてくれたんだ……


『ほら、分かったら、点呼! 早くね!』


「了解」


 巧也は無線を小隊共通チャンネルに合わせ、送信ボタンを押す。


「スカルボ01フライト、チェック」

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