第6話 もう知るか



 ユイトが異常事態を察したのは、空模様が急に悪くなってきたせいだった。


「これは……一雨来るな」


 雨が降り続けると地崩れに巻き込まれる恐れがある。

 幸い何度も通った道で地形データはすべて入力済だ。本日はこのあたりで車両を止めて車中泊となるだろう。星空の下でテントを広げるのも好きなんだがなー、とぼやいていると養父トバが青い顔をして、運転席へとやってきた。


「ユイト! わしを狙って追手が来ている……お前は逃げろ」

「追手? ……いまさら?」


 十年前に『上』から地上へと追放されたユイトと父だが、追っ手が来るならもっと早く来るはずだ。

 だが養父の蒼ざめた顔色と切羽詰まった声から危険が迫っているとわかる。ユイトはレインコートを手早く羽織り、緊急時の生存リュックを背負った。

 準備をしていると、トバはPCが格納された専用の鞄を手渡す。

 小型ながらも『上』で手に入れた超高性能品であり、このトレーラーでも一番の貴重品になる。だがそれ以上に重要なのはこれが生体強化学の論文が入っている代物だ。彼にとっては命の次に大事な代物で、ユイトの命よりも大切なはずだ。

 

「こいつを持っていけ。生体強化学に理解があり、知性溢れる大天才に渡せ。いいな」

「……ほんとに大ごとなんだな。親父がこれを渡すなんて。あんた自身はどうする」


 ユイトは運搬用に使用していた背負子(しょいこ)に手早く鞄を固定して背中に括りつける。これでどんな激しい運動をしようとも落ちることはない。

 トバは窓の外で浮かぶ黒雲を見上げ、忌々し気に吐き捨てた。


「来るのはレイジだ」

「兄さんが?」

嵐の騎手ストームライダーはお前の完璧な上位互換。けた外れの雷撃能力(ボルトキネシス)を持つ超能力者だ。電気を操る能力を持つ奴には絶対に歯が立つまい。……適当に話を合わせて時間を稼ぐ」

「……それだけ聞くと我が子を助けるために命を張る父親の鏡みたいだな……気色悪い」


 ユイトは養父トバの言葉に……反射的に嫌悪感を壁に浮かべて後ずさった。

 今まで自分を夢の道具とした男がいきなり良心に目覚めたなどとは思っていない。だがユイトの冷淡な拒絶にトバは全く気を悪くした様子がなかった。


「そうだ。わしはわし自身の夢のために命を張る。お前の命などはどうでもいいが、半生をかけて作り上げた論文が日の目を見ぬまま朽ち果てるのは、ただ死ぬだけよりもよほど恐ろしいのだ」


 ユイトは腰に下げた刀の重みを確かめる。一瞬、養父の目の前でこのPCを真っ二つにしてやったらどうなるんだろうと、危険な想像が思い浮かんだ。

 だが、想像は楽しむだけにする。車両を自動操縦モードに切り替え、トレーラーの中にある格納庫へと駆け降りる。

 ユイトとトバの二人は、悪所を走破する際は格納庫に収めている三輪バイクトライクを愛用している。

 バッテリーの残存電力がフルになっているのを確かめ、ユイトはトライクにまたがる。そばのスイッチを押して格納庫のシャッターを開けば……外はすでに薄暗くなっている。

 嵐の騎手ストームライダーの権能なのだろう。レイジ=トールマンは己が異能を最も行使しやすい状況を無意識に生み出す力があった。

 黒雲が日光を覆い隠し、すでに深夜のごとき暗がりが広がりつつある。

 付け加えるならば、兄は自らの意志で落雷の位置さえコントロールできるはずだ。じきに雨粒が豪雨となって肌身に叩きつけるように降り注ぐだろう。


「……兄さんの狙いが俺だったらどうするんだ。このトライクがどれだけ早くても、電光の速度とは勝負できないぞ」


 ユイトの愚痴を受け、トバは困った顔……ではなく、実に不気味なことに満面の笑顔を浮かべた。


「……ユイトよ。わしがなぜ……あの風車の向こう側にある未完成の空中都市艦を探していたのかわかるか?」

「なぜって……空中都市艦だぞ。宝の山だ。億万長者だ。手に入れるのは普通だろう」

「違う」


 やはりバカを見るような軽蔑の眼差しを向けてくるトバに、ユイトは首をひねった。


「空中都市艦は当然ながら常時浮遊するために膨大な電力を有する。内蔵しているエンジンも極めて強大なものだ」

「……まぁ、そうなるよな」

「それに対してユイト……お前は強大な電撃能力を持つ兄の双子の弟として生まれながら何ら力を持たない」


 ユイトは目を伏せた。

 ……幼い頃、自分と兄レイジはほとんど同格の丁重な扱いを受けていた。

 養父トバによって生体強化学を用い、人為的に生み出された電撃能力者。自分も優秀な兄と同じく、空中都市艦の第二のメインエンジンと称されるほどの力に目覚めたかった。

 ……いや。欲しいのはあのこぎれいなスーツに身を包んだ選良どもの賞賛の言葉ではない。 

 自分を夢を叶えるための道具としか見ていない養父の誉め言葉でもない。


『あなたのことをお守りいたします』


 自分のことを守ると言ってくれたヴァルキリーのアウラ……彼女にそばにいてほしかった。名前を呼んでほしかったのだ。

 けれども望まれるような電撃能力は結局覚醒せず。出来損ないとして地上に追いやられたのだ。


「それが……なんだよ」

「わしが作りたかったのはな、レイジではなくお前なのだ。生まれながら電撃に対する高度な耐性を備えつつ、常人と変わらぬ能力。

 お前ならば――雷に撃たれても朽ちぬ生身の肉体を持つお前ならば……わしの論文が正しいと証明できるのだ。

 いいか、教えた通り経絡を運行せよ。雷を浴びたならその雷をおのが気脈に導いて大周天を成せ。やり方は教えたはずだ。それを実現するために、失われたはずの空中都市艦を……その内部にあるはずの膨大な電力を生むエンジンを探していたのだからな」

「……その、空中都市艦のエンジンで発電した電気を、俺に流す予定だったのか」

「ああ。だから安心しろ。お前がレイジの雷で撃たれようとも、それをわがものにする術理はすでにお前の中にある。しくじれば死ぬが」


 まったく平気な顔で答える養父。

 ユイトは半ば唖然とした。

 経絡に気を通し、身体機能を強化する。それが生体強化学の基礎であるのは分かる。

 その力をさらに倍加させるために外部から力を導こうというのも理解はできた。だがその手段が感電死間違いなしの命を軽んじた手段などとは聞いていない。


「……」

「ん? なんだ」


 ユイトは腹が立ってきた。

 この男が自分で設計した武術に自信を持っているのは分かる。

 その効果の程は実感しているから、まったくの的外れでもないだろう。


 だが、こいつの夢のために死亡必至の人体実験に使われるとなると話は別だ。

 空中都市艦の膨大な電気を、生体強化学のさらなる発展のために自分の肉体に流す。

 兄と違い電撃を発生させる力はないが耐性は確かにあるだろう……だが、だがしかし……こんなバカげた実験にどうして付き合わねばならないのか。

 ユイトはアクセルを激しく吹かしながら――そのまま父のどてっぱらを蹴り飛ばした。


「ぐええぇっ……! き、貴様。何をするっ!」

「うっせばーか!!」

 

 ユイトは罵倒しながらバイクのアクセルを全開にし、車中から雷雨とどろく山中を駆け出した。

 走り去りながら親指を下に向ける。

 もう知るか、勝手に死に腐れ。

 慣れ親しんだ家であるトレーラーを後にし、ユイトは一人、深い山中の奥へと疾走していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る