第3話 眠れそうにない

 背中が痛い。

 寝起き直後の朦朧とした意識のまま目を開けば、見慣れた天井の見慣れた明かりがある。

 自分の家ともいえるトレーラー内のベッドだ。


「起きたか」

「……親父。……どれくらい寝てた」

「四時間ほどだ。顛末は聞いた。お前の武功も少しは使えるようになったな」


 目を覚ませば、トレーラー内のベッドでユイトは目を覚ました。

 筋骨隆々の長身に作業服。いつも気難しげに顰められた額。その知性を疑ったことは一度もないが、ただの一度も笑顔を見せない義父は何を楽しみに生きているのだろうか。

 ユイトの義父であり師であるトバ=トールマンは、相変わらずいつもの不機嫌そうな面だったが、息子にしかわからない微妙な機微で確かに喜びの感情を見せている。これは実に珍しい。


「強化スーツを使えんお前でも、我が生体強化学を用いれば勝てる。これなら空中都市の連中も少しは考えを改めるだろう」

「……親父。ところで村長との話はどうなったんだ。すぐにケーブルが敷設させる訳じゃないけど、来年にはここに来れなくなるんだろ?」

「そんな些細な事などどうでもいいがな」


 どうでもいいって……とユイトは絶句する。

 10年近くこのトレーラーを我が住処とし、都市と周囲の村々をめぐって生計を立ててきた。その中でも蓄電コンデンサの輸送業務は収入の三割から四割を占める重要な業務だ。

 一年後は収入が大幅に減るとわかっているのに、どうしてそうなんだ……ユイトは金を稼ぐことに熱心ではない父トバの言葉に頭を抱える。

 

「そんなことより内功の鍛錬は終えたのか」

「……親父の代わりに自動機銃ガンタレットのメンテナンスをやっててそんな暇ないよ」


 ユイトの言葉に対するトバの返答は拳骨だった。頭を殴りつけられ痛みで顔をしかめる。

 強化スーツの着用者に腹を蹴られ、今の今まで気絶していた相手にする行為ではない。だが、義父はこういうやつだ。


「ならさっさと始めろ!」

「……あいよ」


 父は素晴らしい技術者だ。

 尊敬できる面は多い……だが、ユイトは彼のことを好いているとは到底言い難い。

 自分と一緒に空中都市を追放されたが、メンテナンスノートも失われた旧時代の機械さえも鼻歌交じりに修理してのける、能力のある父。彼がいなければ地上で生きていけなかっただろう。

 だが彼が何よりも大切にしているのは、自分の研究論文が詰まったパソコンであり……その研究を用いてユイトを鍛え上げ、理論が正しかったと実証すること。


 自分など養父は道具にしか見ていないいないだろう。



 

 養父、トバが一番力を注いでいる研究は『生体強化学』という。

 肉体の一部を機械部品で代替し、優れた能力を発揮するサイボーグ技術だが、すべての人間が恩恵を受けられる訳ではない。

 金属アレルギーなどに代表されるように、機械部品に激しい拒絶反応を起こす場合がある。

 対して生身の人間を生身のまま、サイボーグや強化スーツに匹敵する超人へと強化する学問。

 ただしこれらの学問はゼロから始まったわけではなかった。


 古代より伝わる武術……銃器の発達によって徒手空拳の格闘技など完全に廃れていた中、奥義書などに記される内容。

 それを科学的見地によって解き明かすことで、これまでフィクションだと言われてきた『氣』『オーラ』と称されるものが実在すると認められたのだ。

 それらの武芸書を紐解き、理解を深めれば最終的には強化スーツやサイボーグに勝るとも劣らない超人が誕生するという。


「……いや、無理だろ」


 父の持論を思い出しながら、ユイトは一人呟く。

 体内にあるという経絡チャクラサーキットを意識し、体の中にある熱を循環させる。

 中腰の姿勢で足に強い負荷を与え続けることで、ユイトの肉体は硬く引き締まり、猫科の猛獣のようにしなやかな手足の動きを会得できる。

 それが終われば刀を用いた型稽古へと移っていく。


 鍛錬を続ける間、疑問が沸く。こんなもの本当に役に立つのか?

 強化スーツを身に纏い、大きな銃を抱えたハンターなら自分など鼻歌交じりに射殺してのけるだろう。

 さっきユイトは我が身を白兵戦の危険な距離に晒し、ギリギリ生き残ったに過ぎない。生身の人間としてはなかなかやる、とほめてもいい。

 しかしそれよりは商売に精を出して、金で腕のいいハンターを雇ったほうがはるかに簡単だ。


 

 ああ。しかしそんな心は最初の数分だけのこと。

 刀を構え、トバ=トールマンが古い文献から再生したという型稽古の練習を積み重ねる時間は実はけっこう悪くない。

 一心不乱に構え通り体を動かし、肉体の中にある経絡を意識し、丹田の中を流れる力を感じるたび、自然と雑念は飛び散り清浄無為の心に至る。

 人間が銃器を手にし、刀が戦闘の主力武器から退いて何百年が過ぎただろう。

 義父が研究している生体強化学の基礎となった、古代の武術書に至っては1000年どころではない。大昔息絶えた武学は遥か後世、遠い異国でこうして緩やかにまた芽吹いていた。



 汗をシャワーで洗い流し、車の中に戻ると――義父は三次元投影装置で近隣の地図を空間に表示していた。


「明日からの工程だ。車両はここで停車させ、ここからは三輪バイクトライクと空撮ドローンでの調査を行うぞ」

「調査って。何を」


 俺たちは運び屋であって探検者ではない。

 だがそういう意見など義父は求めていないだろう。

 トバ=トールマンは息子の言葉に、何かを思い出したかのように答えた。


「……そういえば伝えていなかったな。私がこの山奥のクソ田舎で好きでもない運び屋をやっていたのは、この山中にあるという『空中都市艦』を発掘するためだ」

「は……はぁ?!」


 ユイトが唖然と声を張り上げるのも無理はない。

 


 空中都市艦。

 破局以前に建造され、旧時代の高度なテクノロジーがそのまま生きている代物。『上』から地上を間接的に支配する浮遊物体はまさに権威の象徴といっていい。


 そんな世界のパワーバランスを覆す代物が、この山中付近に眠っている?

 大変な話だ――同時に疑念も沸く。空中都市艦は全長数十キロという巨大な建築物だ。当然建造ドックも非常に巨大な代物になる。

 ここまで巨大な建築物となると、旧時代であろうとも多少なりと噂や手掛かりが残されていて、必ず権力を持った誰かが掘り起こしているはずだ。

 だから義父の言葉は信じるに値しない……そのはずだ。


 だがユイトの内心を見抜いたように父は頷いた。

 窓へと視線を向ける。……夜風を浴び、静かに回転を続ける巨大風車が月光を浴びてわずかにきらめくさまが見えた。


「あの風車だが……計算してみると本来得られる電力より、三割ほど発電量が少ない」

「……多いな、それが?」


 意味が分からずユイトは聞き返す。


「以前、地下を潜って確認してみたが……あの数基の風車の地下にはどこに繋がっているかわからない電力を引くケーブルがあった」

「……盗電されてたのか?」

「そのいい方は正しくないな。あのケーブルに繋がっている向こう側に電力を供給するのが、巨大風車の本来の用途だったはずだ。そういう意味では盗電しているのは村の連中だろう」

「風車は気候に影響される。単に三割の増減は天候不順じゃ」

「……それはない」


 彼はバカを見るような目で息子に一瞥をくれたあと、ノートを放り投げた。

 巨大風車の発電量を記したグラフだとわかる。問題は……一番最初に記録をつけ始めたのが、この小村に足を運ぶようになった最初の年の十年前からだということ。

 ……つまり義父は、あの風車が生み出す電力が、何者かに三割近く電力を吸われていると十年近く村の人に黙っていたのだ。


「なんで……村の人に黙ってたんだ、親父」


 ユイトにとってはあの村は子供の頃からよく立ち寄り、お世話になっていた第二の故郷だった。

 嫌な思い出もあったが、それ以上にやさしくしてもらった記憶が多い。そんな彼らの生活を支える大事な電気資源が盗まれていたのだと思うと腹が立った。

 義父の話から察しはつく。

 旧時代に設計された生産機械は一度入力された命令を忠実に実行する。その地下から組みだされていた電力は空中都市艦の生産に利用されてきたのだろう。

 だが、それがなんだという。

 大昔の機械に使うより、今を生きる村人の生活のために使うほうが正しい道ではないのか。


「……お前は分からんところで激高するな、ユイト」


 そして、父の氷のように冷静な瞳を見るほどに……自分と彼との間には隔絶した感覚の差があると打ちのめされる。

 ユイトはそれでも義父に意見を発した。


「……それだけの余剰電力が十年分あれば、村の人はもっといい生活ができたじゃないか」 

「私の推論が正しくて、あのケーブルがつながった向こう側で空中都市艦が生産されていたなら。

 奴らは偉大な建築事業の足を引っ張る寄生虫ではないか。……まったく。モンスターでも自動機械でも使って寄生虫を始末し、作業の効率化を図ればいいものを。あのケーブルの向こうの連中も律儀なことだ」

「あんたっ!」


 生きている人をさげずむ義父の言葉にユイトは激高し拳骨を握り固めて殴りかかろうとする。

 だが義父、トバ=トールマンは息子の激高も予想していたような完璧な対応と反撃だった。半身に構え、手のひらで打撃を反らし、そのまま腕関節を決めながら床にねじりふせる。


「ぐ、がっ?!」

「まったく……無念だ。こんなにも頭が悪く、短絡的な出来底ないにしか我が夢を託せないとは。

 運がよかったな、息子よ。『上』にいた頃ならためらわずにお前を始末していただろうに」

「な、ぜ、だっ」


 極められながらも息子の意外そうな叫びにトバは首を傾げる。


「生体強化学を……完成させたいなら、自分でやればいいっ! あんただって自分で内功やら外功やらをやってるはずだ……。

 さっきの動きだって俺以上なのに、どうして自分でやらないっ!」

「……痛みで少しは頭が回ってきたか。まぁ、そうだ。私では……できないからだ。

 そして、お前の兄では、逆に優秀すぎて意味がない。お前しか……私の研究の正しさを証明できないのだ。腹立たしいがな」

「なに?」


 兄さん? 『上』の空中都市艦に残ったままのあの人が、どうして関わってくる? そう疑問を投げかけようとしたが、義父は拘束を解くとそのまま自分用の部屋に向かっていく。


「明日からは調査のための野宿だ。きちんとしたベッドで寝れるのはしばらく無くなる。休んでおけ」


 そう言い捨て、部屋の中からカギをかける。


「きちんとしたベッドだって?」


 それほど生活空間に余剰のないトレーラーの唯一の寝台は義父一人の独占物で、ユイトは常に来客用のソファを寝床にしていた。

 頭脳は切れ者でも人品の卑しい彼の言葉に青筋を立てながらもユイトはソファの上で横になる。

 目を閉じ、深く呼吸をする。


 義父の知識や指導は的確で素晴らしかったから、これまでは敬意を払っていた。

 だが裏で村人たちをさげずみ、生活の糧が失われていたのを隠していたことには腹を立てていた。


 ユイトは血がかっかと沸くのを自覚してため息を吐いた。

 義父に対する軽蔑ではらわたが煮えくり返り、容易に眠れそうにない。

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