第3話 邂逅

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 アルの興味とアリエルの要望の擦り合わせとなった。


「セシリー殿については、様子を確認するだけで?」

「……えぇ。今はまだクレア殿と決定的に対立する訳にはいきません。アルバート殿の流儀に反するかも知れませんが……ここは抑えて頂けませんか?」

「……まぁ善処しましょう。ただ、明確に襲撃を受ければその限りではありませんよ?」

「それは勿論です。アルバート殿に己の身の防衛を放棄しろなどと……私が言える筈もありません」


 流石に襲い掛かって来る者を相手に手加減をするつもりはアルには無い。既に女神の力すら制御して隠し通せようになったが、気配はともかく、連中に目視で確認されれば襲われるのは変わらない。ただ、それがクレアの指示なのか、人外の兵連中の暴走なのかは判別が難しいところ。


 アリエルに対しての襲撃には、明確な意図のようなモノを感じているが、自分に向かってくる人外の兵は、どこか制御を外れているような印象をアルは抱いている。


 せめてビクターと同じように会話が成り立つなら殺さないやりようもある……と、アルは考えているが、自分のミスからの開き直りでビクターを殺した上、まともに情報を収集も出来なかったということは、既に彼の頭から抜け落ちている。脳筋の証明。……ビクター。


「アル様。どうしますか? あの人外の兵に関しては私の方が近付けそうですが……?」

「いや、ヴェーラには守りを任せるよ。アリエル様のご指名ってだけじゃなく、僕も君が後ろに居てくれる方が安心する。あと、ヴェーラのことを信じていない訳じゃないけど……有象無象ならともかく、今回の仮想敵はやっぱり不味い。情報が漏れているとはいえ、まだ僕一人の方がいざという時に逃げられる可能性が高い」


 冷静に適材適所を考えてしまう。その上でアルはどこかで『最悪、死ぬなら自分』という思いがある。あくまでも戦いという一点においては、アリエル一行もヴェーラも守る側だと。力在る者は力無き者を援けるの精神が、悪い方に発露している状況。


 勿論、ヴェーラもそれを感じ取ってはいるが、アルに能力のことを出されると引かざるを得ない。瞬間的に危機を脱するには、やはりアル一人の方が有利というのは確かな事実。忸怩たる思いがほんのりとヴェーラの中に香る。


「ま、無理そうなら引きます。追手が掛かるなら僕は一人で離れます。そうなればここには戻って来れない。敢えてアリエル様一行の今後の具体的な旅程も聞かないでおきますよ。勝手に追います」

「……私たちは準備が出来次第、出立しても良いと? ……では一つだけ。いまの予定であれば、四日後には出ることになると思います」


 アルは連中に見つかることを想定している。そして人外の兵たちはしつこい。それを見越しての単独行。


「一応聞いてはおきますが、その予定を早める場合も気にしないで下さい。僕が戻らなければ、ヴェーラはそのままアリエル様の護衛として付いてて」

「承知致しました。アリエル様の護衛として付き従います」


 出る。イベントに対して気負いのない自然体なアル。もちろん、本質的には彼は何も変わりはしないが、心情的な気安さが増した。ただ、それは誰にとっての福音であり、誰にとっての凶報なのか。



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 ……

 …………

 ………………



「神子セシリー様。いつビーリー子爵の領事館へ向かいますかな?」


 慇懃無礼な態度のウォレスだが、セシリーも流石に慣れた。彼は力に酔っており、それを見せびらかしたいのだと考えれば、ウォレスへの隔意も薄れる。

 与えられた力に振り回される姿が哀れだと。セシリーは自らの状況を踏まえて、勝手にウォレスと傷を舐め合った気にもなる。所詮は皆が人形劇を繰り広げているだけだと。


「……ことが始まればウォレス卿に頼ることになります。貴殿の良いようなタイミングで構いません」

「ほほ。そうですか。……では……明日にでも正面からビーリー子爵にご挨拶に伺いましょう。なぁに、私共には聖堂騎士の身分があり、教会が正規に発した神子セシリー様のお立場を保障する免状もあります故、突然の訪問であっても彼の方は断ることは出来ぬでしょう。……くくく」


 茶番に過ぎない。力を振りかざしたくて仕方のないというウォレス。無駄に波風を立てる方法を取る。もっとも、目的がビーリー子爵の粛清である以上、どうやっても波風は立ち、場が荒れるのは確実だが。


「(……力は感じるが俗物であり小物。皮肉な話だ。聖堂騎士として、自らの力と足で立っていた時のウォレス殿は、まるで巌のような強大さと安定感があったというのに……いまの彼は余りにも軽薄。吹けば飛ぶような軽さ。……そんな彼に抗えない私も同じだが……)」


 セシリーは流されるままに消耗し続けている。心が摩耗していく。そして、そんな自分の状況を、恐らくクレアは望んでいるのだろうという不穏の影も感じてはいる。ただ、どうしても心が動かない。状況を脱しようという意欲が湧いてこない。

 ダリルとの距離がセシリーを蝕む。いまだに何故? どうして? が彼女の中を巡っている。


「……ウォレス卿。それでは、私は少し外へ出ても良いでしょうか? 補給物資を調整しておきます」

「そうですな。ではヨエル殿にお任せ致しましょう。あぁ勿論、私の部下をとして付けましょうぞ」


 にやにやと嗤うウォレスがいちいち癇に障るが、ヨエルも既に気にはしない。今さら虜囚の身であることを嘆いたところでどうにもならない。ある程度の行動の自由は許されているが、檻の中に居ることは自覚している。


「ありがとうございます。……セシリー殿もどうですか? 僭越ですが……余りにも覇気がない。少しは気分転換でも……」

「……ヨエル殿。気分転換と言ってもな……いや、そうだな。少し外へ出てみるか……」


 ヨエルとしては、本当に気晴らし程度の提案。このまま見張りを撒いて脱するなどと考えている訳ではなかった。相手はウォレスの部下……人外の兵だけではない。領都に入ってからは尚のこと気配を感知できなくなったが、東方の悪魔と呼ばれる精鋭……ルーサム家に連なる者が周りに配置されていることをヨエル達も知っている。


 そして、そんなヨエルとセシリーをラウノはじっと観察していた。



 ……

 …………

 ………………



「……ヨエル殿はまだ諦めていないのですか?」

「セシリー殿。あまりそういう話は……」


 買い出しという体で町へ出たが、実のところ、補給物資等については既にウォレス達が手配している。それを承知でヨエルは外へ出た。

 それがクレアの指示かは不明だが、ウォレスはセシリーやヨエル達の激発を待っている気がする。敢えて遊ばせているとも言える。見張りとして付けられた人外の兵も何ら反応はない。


「はは。ヨエル殿。今さらだろう。見張りはこいつ等だけじゃないし、連中は私たちが自棄になるのを待っている。そうじゃないのか?」

「……あくまで、それがウォレス卿の個人の判断なのか、クレア様の意思なのかは不明です。それに、いくら反応がないとは言え、彼等が見聞きしたモノはウォレス卿に筒抜けでしょう」


 セシリーも諸々の状況を把握はしているが、その上で、もう半分以上自暴自棄に流れている。どうとでもなれと。


「(……危うい。もう既にセシリー殿はまずい所まで来ている。もし最後の一押しが私たちの命だとしたら……楽には死なせて貰えないかもな。いざとなれば速やかに死ねるようにラウノに符丁を出すか? ……いや、そうなればラウノもそれどころじゃないかも知れないか……)」


 セシリーとはまたモノと理由が違うが、ヨエルも半分以上は諦めている。彼の場合は自身の命をだ。

 には、せめてセシリーの負担にならぬように速やかに死ぬ。それすらも彼女の負担にはなると知りつつも、王家の影由来の拷問を受ける姿は、流石にセシリーには見せる訳にもいかないだろうと。

 そして、そんないざという判断に迫られる時が、そう遠くない内に訪れるだろうこともヨエルは予感している。


 彼の見立てでは、ラウノと二人で命を懸ける覚悟を持てば、ウォレスとその部下となった人外の兵たちは何とか出来る。ただ、そこまでが限界。ルーサム家の囲いを脱することまでは命が届かない。

 そもそもセシリーにその意思がないことの方が問題となっている。彼女は、もう流されることを望んでしまっている。


「(何か一つ。せめてあと一つ何かが欲しい。ビーリー子爵家の粛清の際、戦闘になれば……せめて相手の抵抗が激しいことを期待するだけだな)」


 ヨエルは、買い出しの体裁を取る為に、嗜好品となる酒や食べ物をそれとなく見繕い、町をぶらつく。セシリーと見張りはただついてくるだけ。もはや自分達の独力で出来る事は少ない。何かしらの外部からの介入のどさくさに紛れるしか手がないという、いわば神頼み。情けないが待つことしかできない。


「……ヨエル殿。私は少し疲れたから、そこの広場で待っているよ」

「……ええ。分かりました。私はあと少し買い出しをしてから戻ってきます」


 寂れた教会の前にあるちょっとした広場。セシリーは久しぶりに人の流れがある町を歩き、疲労を感じたのは事実だが、本心では諦めないヨエルを見るのが辛かった。自分はもう諦めてしまっているのをどうしても自覚してしまう。


 ぼこぼこした石畳に枯れた噴水。魔道具の不調で水の循環ができなくなり、放置されたままになっている様子。ただ、寂れた風情ではあるが、古くからの場所なのか町には自然に馴染んでいる。

 セシリーに限らず、喧騒を離れることを望む人も多いのか、チラホラと枯れた噴水に腰を掛けてぼんやりとしている者も居た。

 元・聖堂騎士であり現・人外の兵が無言で傍らに控えているが、それを無視する形でセシリーは空いている場所を目掛けて、枯れた噴水に腰掛ける。


「(ヨエル殿は凄いな。まだ抵抗することを諦めていない。私にはそんな強さはない。自分がこんなにもダリルに依存していたとは……こんなにも弱かったとは……)」


 自らの弱さを見つめるセシリー。

 奇しくも、同じく自らの弱さを知る者は他にも居た。その上でセシリーに……正確には傍らに控える人外の兵に反応する。



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 ……

 …………



「(ベナークたちの気配とは違うが……アレは間違いなく死と闇の眷属。もう一人は魔道士か?)」


 ナイナ。自暴自棄な糸の切れた操り人形。

 死と闇の属性を根源とする黒いマナ。それらを転用して創造されたシグネの“人形”達を操る戦士“もどき”。戦う力はあれど、その心は戦士に非ず。ただ、死を遠ざける為に惰性で動いていただけ。既に自らに避けられない死が差し迫っていることも肌で感じていた。


 そんな惰性で流されただけではあるものの、彼女は“人形”を操ることにより、黒いマナとの親和性が強まっている。彼女は気付く。セシリーの傍らに控える人外の兵の異質な気配……黒いマナの源流たる死と闇の属性。邂逅。


「(……味方ではないか……もしかすると、アイツ等が私の終着点か? ふっ。もうどうでも良いか)」


 ナイナは、自らの歩む道がどこにも繋がっていない袋小路だと気付いている。

 どこで間違えたのか? 何が悪かったのか? なぜ、自分はこんなところに居るのか? 堂々巡りの思考の末。


『ただただ、自分が愚かだった』……という一つの答えに辿り着いた。そして、もう遅い。改心にも後悔にも懺悔にも意味はない。


 帰りたくても、もう帰る場所は無い。ヴィンスの下でエイダとして過ごしてた日々。あの日々がどれほどに恵まれていたのか、自分がどれだけ甘ったれだったのか。すべては幻。どれだけ焦がれても、もう二度と戻らない日々。決して辿り着かない砂上の楼閣。


 そんな彼女を、何が突き動かしたのかは分からない。


 ただ、気付けばナイナはセシリーの前に立っていた。


「……? ……何か?」

「なぁ。アンタは……コイツの飼い主か? この死と闇の眷属の……?」

「……ッ!?」



 ……

 …………



 セシリーとナイナ。神子と魔族。糸の繋がった人形と糸の切れた人形。

 まるで接点のない二人が出会う。


「……貴女は? クレア殿の手の者か?」

「クレア? 悪いが知らないな。ただ、そいつの気配を感じて、何となしに聞いただけだ」


 セシリーは警戒するが、すぐに肩の力を抜く。自分に直接の害意を持つ者であれば、人外の兵が黙ってはいないだろうと。クレア側は神子にはまだ死なれては困ると……そう考えていることは、セシリー自身にも感じられていた。


 そして、何より目の前に現れた女の纏う雰囲気が自分と似ていた。諦め。ナニかを手放して疲きった者のそれ。


「そうか。……彼は私の監視だ。ああ、貴女がどこの誰かは知らないが、私へ危害を加えようとしないでくれ。彼が反応する」

「……なるほど。アンタは虜囚の身という訳か。どこか似た空気を感じたのは……そういうことか……」


 セシリーが感じたのと同じく、ナイナも目の前の者に自分と似た自暴自棄で投げやりな空気を感じていた。

 ナイナはそっとセシリーの横に腰掛ける。だが、お互いに名乗りはしない。双方がともに『相手にはまともではない事情』があるのだろうと察していた。ただの気まぐれな出会い。それだけ。


「その監視を何とかして欲しいなら撃退するくらいはできるが……必要か?」

「ありがとう。名も知れぬ人。だが必要ない。彼は一人ではないしな。もう別に構わないんだ。……そういう貴女は私の助けを求めるか?」

「……必要ないな」

「……だろう?」


 別に助けが欲しい訳ではない。流されて流されて、その果てまで往くだけのこと。ただ、少し話がしたくなっただけ。ほんの気まぐれだった。


「……なぁ名も知れぬ者。アンタは王都へ行くことはあるか?」

「さてな。いまの状況が続けば、いずれは王都へ連れて行かれる気もしている。……誰かに伝言でもあるのか?」

「……もし、そのときまでアンタの命があればで良い。ラドフォード魔道学院の庭師頭の一人にヴィンスという翁がいれば……一言、『私が愚かだった』と伝えて欲しい。……いや、ただの独り言のようなものだ。忘れてくれても構わない」

「覚えていたら伝えよう」


 ナイナの心残り。自分の愚かさに気付いたということを、かつての一族に伝えたかった。期待はしていない。誰かに言葉として聞いて欲しかっただけかも知れない。

 聞く側のセシリーも、彼女が口にした願いが、“そういう”性質のものだと分かっていた。


「ああ。くだらない話を聞かせた。すまなかったな。……代わりと言っては何だが、死と闇の属性を持つ者には気を付けろ。黒いマナを操る連中にもだ。アイツ等は愚か者の集まりだ。いざとなれば、見境なく周囲を巻き込んで逃げる。……精々逃がさずに一網打尽にしてくれ」

「……そうか。参考にさせてもらう。ただ、愚かなのは死と闇の眷属に限らない。女神の徒であろうが……力在る者が理不尽に力無き者を踏みにじるという事が横行している。踏みにじられる側になって……それを実感する」


 名も知れぬ二人の僅かな邂逅。お互いが言葉にしたいことを口にするだけの時間。相互の理解などない。心の交流などもない。ただ、誰かと話をするだけ。


「自身が踏みにじる側に居た時は気付かなかった……か?」

「恐らくな。私に自覚はなかったが、私に踏みにじられた者からすれば、理不尽と無力を感じていただろうな」

「……名も知れぬ者。アンタのことは知らないし、こっちから話を振ってなんだが……素直にそう言えるアンタは、故意に人を踏みにじる奴ではないだろうさ。まだ私よりかは救いがあるはずだ」


 ナイナは静かに立ち上がる。セシリーのことをまったく知らないが、少なくとも自分のようなバカではないと感じるものがあった。せめて、彼女が虜囚の身を脱することを祈るくらいはする。


「……行くのか?」

「ああ。……アンタが、引き返せるうちに正道へ戻れることを祈っているよ。もっとも、アンタは私と違って被害者のようだからな。無事に逃れられることを祈るべきか……ではな。さらばだ」

「…………」


 名も知れぬ人。ナイナが去る姿をセシリーは見送る。その後ろ姿は、死の影の抱擁を受けている。



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