第6話 東方の虜囚
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東方辺境地。
名の通り、マクブライン王国の国土の東方を指す。
亜人型、魔獣型の魔物が跋扈する大峡谷と接する地域。
ヒト族との生活圏と接する魔物は、主にゴブリンやオークが多いという。
当然のことながら魔物との生存圏をかけた争いはあるものの、南方の大森林ほどの苛烈さはない。食料生産についても、中央に頼らずともある程度は東方地域のみで賄えている実情がある。もっとも、魔道具や嗜好品に関しては中央への依存度は高い。
辺境地の常ではあるが、各家々、氏族同士の繋がりも強い。そして、南方にファルコナー家があるように、東方にも頭のオカシイ戦闘民族と呼ばれる家がある。
ルーサム伯爵家。東方の悪魔。
女神エリノーラ教会が国教として崇められる中での悪魔呼ばわり。それだけでまともな筈もない。
大峡谷の深部領域を領土とし、主に相対するのは大型の魔獣型やオーガ。そして、彼らが悪魔呼ばわりされる最大の理由は、『魔族』を軍に引き入れていること。それどころか、魔物と認識されているゴブリンやオーク、オーガですらだ。混成軍。ヒト族の拘りも、教会への忖度もない。
強さがあれば、出自は問わぬ。
それがルーサム伯爵家の方針。
当然のことながら、王国や教会はその方針に激しく反発し、過去においては事を構えたことさえある。そして、現在がある。つまりはルーサム伯爵家の意志が通ったということ。
彼らは王国領でありながら、王国や教会に縛られない暗黙の了解たる存在となっている。
政に口は出さぬ。その代わり、王国や教会も我らの戦いに口を挟むな。
そんなルーサム家だったが、この度の争乱においては明らかに王国の政に介入した。その武力を以てだ。
王国がこの度の争乱、変事において、真っ先に脅威と見做したのはルーサム伯爵家。
絵図を描いたのは確かにダンスタブル侯爵家ではあるが、フィリップ王の視線の先には、東方の悪魔の姿がある。
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……
…………
………………
「……壮観だな。まさかルーサム家の精鋭を目の当たりにする日が来ようとはな」
東方の悪魔の精鋭達は、普段は大峡谷の深部に駐留しており、滅多に他家の者がその姿を目にすることはない。まさに神秘の存在。
王国においては悪魔などと言われているが、東方辺境地においてルーサム家の精鋭は強者の代名詞。
そんな精鋭の姿を無感動に見つめるのは神子セシリー。
「セシリー殿。惚けてばかりもいられません。何とかしなくては……」
「……はは。ヨエル殿、一体我々に何ができるというのか?」
自嘲気味な乾いた笑い。彼女らしからぬ姿。
セシリーとヨエル、ラウノはいまや虜囚の身。さすがに縛られて転がされるということはないが、その行動の自由は制限されている。
それぞれがそれなり以上の遣い手ではあるが、隙を見て脱することは叶わない。特に一級の隠形の遣い手たるラウノが、つい先日呆気なく無力化されたばかり。
「……くッ! しかし! このままという訳にもいきますまい……ッ!」
「ヨエル殿。王家の影たる貴殿らの実力を持ってしても、この包囲は抜けられなかった。たとえ抜けたとして、ルーサム家の精鋭が身近にいる状況だ。はは。流石に“アレ”はどうすることもできないだろう?」
「……ヨエル。焦りは禁物だ……」
普段はほとんど喋らないラウノですら諫めるほど。それほどにヨエルには焦りが見える。
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ダリルとセシリー。二人の神子。
彼等の家督継承破棄の儀式を執り行う為、聖堂騎士団の二個分隊の十四名が周りを囲み、神子には伏せていたが、王家の影がラウノとヨエルを含めて六名。一団となって東方への旅路を行く。
既にダリルは全容を知っていたが、付き従っていた王家の影、聖堂騎士団、そして当然セシリーも……その後の一切は知らされていなかった。
仕組まれた襲撃。
神子達の旅の行程は、冥府の王ザカライアの顕現を目論む外法の求道者達に漏れており、連中を誘い込むために利用された。
外法の求道者達は開戦派の魔族を騙るなど、元々の“物語”においては影に潜み暗躍する
シナリオを逆手に取るのはアルだけではないということ。哀れな道化たちの人形劇がここにもあった。
本来は神子の力を利用するという目的を持って、二人の神子の内、どちらかを攫うという段取りだったが、クレアの命を受けた“物語の外の者達”が出迎える。飛んで火にいるなんとやら。
その際、精鋭である聖堂騎士団の二個分隊も三名を残して始末され、王家の影側もヨエルとラウノを残して同じく。
血の惨劇。
襲撃を行った求道者側は一人の生存者も許されなかった。偽装工作の為の“材料”にされるという扱い。
当然、セシリーは困惑する。ただ、彼女の困惑が向かったのは惨劇そのものではない。その惨劇を何の感情もなく、ただただ見つめていた昔馴染みにだ。
もう一人の神子ダリル。
彼は全てを知った上で人外達の側に立った。
事情を知らぬ聖堂騎士達の断末魔の叫びを聞き流した。
彼が内心で血の涙を流していたことをセシリーが知ることはない。ただ表面に浮かぶ無感情な彼を見て愕然とするのみ。
「な、何なんだッ! これはッ!? ダリルッ! お前は知っていたのかッ!?」
人外達に、地に押さえつけられて無力化させられたセシリーが叫ぶ。重ねて似たような状況にあるヨエルもだ。
「……ダ、ダリル殿ッ!! これは一体ッ!? この者達はッ!?」
人外達。その纏うマナと雰囲気から、ヨエルはクレアとビクターの姿が脳裏に浮かぶ。同時に『用済み』『処分』という文言もだ。無感情なダリルの顔を見るとそれらが現実味を帯びてくる。
「……ヨエル。落ち着け……ッ! 抵抗はするな……!」
ヨエルの焦りの最大の要因。ラウノ。隠形と近接戦闘においては、王家の影の若年組の中でも無類の強さを誇った彼すらもが組み伏せられている。どうしても焦りが先に立ち、動揺をなかなかに鎮められない。
「ヨエル殿……ラウノ殿の言う通りです。抵抗しなければ命までは取らない。俺は貴方たちを死なせたくはない」
「くっ! ダ、ダリル……! お前はァァッッ! ヨエル殿たちを殺す気かァァッッ!!」
セシリーが激発するが、何もできない。彼女が身をよじろうにも、人外達の手によってピクリとも動かない。
「セシリー。無駄な抵抗はよせ」
対照的なダリルの静かなマナ。その声も冷静。アルが用いるファルコナー式のマナ制御とは違う。本当に冷静沈着なだけ。いっそ感情の揺れが少なく、底冷えがするほど。
セシリーの激発を見て、逆にヨエルは少し落ち着く。いや、本当にどうしようもないと諦めたと言うべきか。自身を押さえる者達の実力の程もそうだが、この場の中心はダリル。その彼が揺るがないと知ってしまった。
「……セシリーとは今は話せないようだ。悪いが先に彼女を運んでくれ」
「……御意」
「ッ!? お、おい! 止めろ! ダリル! お前は何をする気なんだッ! ……ッ! がぁッ!?」
抵抗の素振りを見せたが、完全に動きを封じられておりセシリーに為す術もない。何らかの技によって意識を狩られる。まるで作業の如くだ。人外の彼等にとっては造作もないこと。
セシリーが運ばれていく様に対して、ヨエルは自身が思っていた以上にショックを受けた。もう随分と前から神子の二人に情が移ってしまっていた。そのことに彼は改めて気付いてしまう。王家の影としてはあるまじき姿。
そして、そんな有様をダリルは冷静に見て取る。
「……ああ、ヨエル殿。そう心配しなくてもセシリーの身の安全は保障されている。……今更だが、貴方には王家の影という裏仕事には向かないよ。任務を通じて、俺やセシリーに情を持った。俺個人としてはとても好ましいと思うが……ビクター殿やクレア殿にとってはそうではない。あの化け物たちと共に歩むには……貴方はどうしてもヒト族のまま過ぎる」
「……ダリル殿は……何を……? いや、いまはいい。……たしかに貴方が言うように、私がお二人に情を持ったのは確かだ。しかし、ラウノは違う。“役割”をまっとうできる人材だ。処分するなら私だけでいいだろう。彼は再利用してやってくれ」
「……はは。下手な小細工は止めてくれ。ヨエル殿。……俺は本当に二人を死なせたくないんだ」
通じない。確かに下手な真似だったが、情に訴えても
もっとも、ラウノからすればヨエルの振る舞いは危う過ぎて、見ていられなかったが。
「(……雑だ……迂闊過ぎるぞ……ヨエル……)」
そんなラウノは、もはや抵抗を諦めている。隠形を活かして戦う以上、こうして捕らえられた時点で勝機を失った。そもそもが、まともに戦っても勝機があったかかも不明な程の遣い手たち。こうなっては、せめて情報を集めるだけだと切り替えた。
自分達の上役であるビクター。
いつの頃からか、彼の雰囲気に変化があった。
元より死病を患っており、長くはないとは聞いていた。学院におけるビクター班の指揮が最後の勤めだと自らにそう明かしていた。恐らく来年には別の者が赴任するとも。
だが、それは覆った。
ビクターは纏うようになった。妖しくも昏いマナを。
実のところ、彼はその身を蝕んでいた死病によって、それまでも死の匂いを纏ってはいたが……いつの頃からか、彼自身が死を振りまく側となっていた。死と闇を纏う者。冥府の王の加護を持つ者。
ラウノは気付いた。ビクターがクレアの眷属となったのだと。
そして、間を置かずに自分達への指示が少なくなり、ビクターとの距離がこれまでよりも更に離れた。
ラウノは自分達を介在させない作戦があるのだと考えていたが……まさか、自分達が“獲物側”になる作戦とは流石に思っていなかった。あるとすれば粛清だろうと覚悟はしていたが、今回の作戦では、明らかに自分とヨエルは選んで残されている。
「(……ダリル殿がビクター様やクレア様の指示で動いているのは確実。セシリー殿は理解できるが、俺たちは何故生かされている?)」
ラウノの中に疑問はあるが、どう足掻いても、ここからは誰かの描いた流れに沿うことしかできない。その流れが自分達にとって好ましいものである筈もないという諦めを抱く。
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……
…………
………………
結局、セシリー、ヨエル、ラウノの三名はまとめて虜囚となり、とある屋敷に幽閉されることとなった。ただ。屋敷には使用人も居り、それぞれに個室も与えられている。屋敷内に限っては行動の自由も許された。逆に言えば『逃がさない』という自信があるということ。
「使用人たちも手練れ。その上で屋敷の敷地を抜けても包囲網がある。あの昏いマナを纏う連中……恐らくはクレア様の眷属か……それにしてもラウノ。お前はクレア様の正体にも勘付いていたのか?」
少し冷静さを取り戻したヨエルが状況を改めて確認する。
「……あの御方が尋常な存在でないのはヨエルにも分かっていただろう……俺はあの御方の気配と似たモノを別の任務で知った。死と闇の属性を持つ超越者。魔族領から流れてきた連中の中に居た……」
「その任務は?」
「……アレだ。王都に潜伏して魔族を煽る連中。二年ほど前に調査をした……」
ラウノは以前に外法の求道者達を調べたことがあった。その際にクレアと似た気配を知ったということ。
彼が知る由もないが、その時に感知した者は現在、東方辺境地に潜伏している。それは“物語”の導きなのか、クレアが捻じ曲げた結果なのかは、誰にも分からない。
「死と闇の属性……女神エリノーラ様の反属性。不浄のモノたち……か」
窓際の椅子に腰掛けて、気怠そうに外を眺めるセシリーが、独白のように呟く。
「セシリー殿……今更ですが、ダリル殿の変心に心当たりは?」
「…………」
あいつが変わったというのは知った。でも、いつから隠していたのかは分からない。知らぬ内に隠し事が上手くなったものだ。
セシリーの中に浮かぶ言葉。
彼女は気付かなかった。ダリルの変化に。それが、堪らなく寂しい。置いてけぼりを喰らった気分だと。
「……私には分からない。アイツは隠し事ができる奴じゃなかったんだが……もう……私には、ダリルのことが分からない……」
「セシリー殿……」
ヨエルは当然に気付いていた。
セシリーはダリルに想いがあることを。そして、ダリルもそうだ。
そんな二人の距離感を、とても好ましいもの、微笑ましいものだと見守るようになっていた。二人に情が移ったのも当たり前だ。ヨエルは、いまはそう振り返ることができる。
ただ、そんな情の揺らぎを是とできない者も居る。
「(……ヨエル……危ういな。あまりにも揺れている……このままだと……死ぬ……)」
ラウノはそんなヨエルを冷静に観察している。
情に流される奴は死ぬ。それは王家の影においての鉄則。いや、戦場においての普遍的な習いか。
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