第5話 義憤では済まない

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 アルの本領。


 利便性は別として、それは『銃弾』でも『狙撃弾』でもない。


 本人は頑なに認めたがらないが、『身体強化』による近接戦闘。体術。


 瞬間的な身体強化の最大強度は、人外である父ブライアンに迫ると評されるほど。もっとも、その父ブライアンは、アルの瞬間的な最大強度を常時展開できるとも言われているが。


 ファルコナー生まれの大森林育ち。魔物を屠る辺境の戦士。


 武器の歴史をみても、直接的に殴る、斬る、突く……から、飛び道具が主となっている。いや、むしろ原始時代のころから投石という飛び道具はあった。


 魔法のあるこの世界においても、直接殴るよりも、遠距離から威力のある魔法を放つというスタイルが優勢とされているのも当然のこと。

 もちろん、室内の護衛、開けた屋外での魔物との戦いなど、状況によって求められる魔法は違うという事もある。


 そんな中で、ファルコナー男爵領は近接戦闘を、魔物と肉薄して屠るという対処を求めた。

 何故そのような結論に至ったかは謎だが、大森林の深部に到達できるのは、南方貴族家にあってもファルコナーの戦士のみという事実から、今となっては、大森林においてその選択は正しかったとも言われている。

 ちなみに、アルは決してそんな筈はないと一人頑なに否定しているという。



 ……

 …………



「……バ、バカ……な……ッ!」


 目の前に敵。展開していた砂の壁の手前にだ。

 そして自身の腹が

 ニクラスはそんな馬鹿げた状況に直面した。そして、自らが間違いなく死ぬことを知った。


 単純な動き。

 ニクラスが自身の前方に展開していた砂の壁。

 その壁の横を回り込んで殴る。


 アルの動きはただそれだけ。


 その踏み込みと拳の威力が桁違いだっただけ。相手の動きに合わせて、壁の展開が間に合わなかった。それどころか、敵の初動やその姿自体を捉える事すら出来なかった。ニクラスの不運はそれだけ。


 彼が自身の状況に気付いた後、今更ながらボタボタと血が滴り落ちる。

 それでも、未だにマガニー子爵を護る砂の球体が動きを止めないのは流石というべきか。


「聞こう。貴殿は虹色の瞳を持つ子を害する者か?」


 アルが問う。

 現在進行形で命が毀れゆくニクラスからすれば、問いの意味が分からない。


「……な……なんの話……だ……?」

「虹色の瞳を持つ子を害する者か?」


 再度の問い。

 既にニクラスの意識は朦朧としてきており、答えようもない。

 力が入らない。彼は両膝を付く。まるで何かに祈るかのように。

 徐々にマナの集束が解ける。周囲の砂がただのマナへと還っていく。


 砂の球体もとうとう形を保てずに少しずつ崩れ、その中から女。

 彼女は護衛であるニクラスの状態を見て、即座に状況を把握。


「なら貴女に聞こう。貴女は虹色の瞳を持つ子を害する者か?」


 虚ろな瞳のアル魔物と目が合う。

 マガニーに込み上げてくるのは恐怖。ただし、彼女にはそれを表に出さないだけの胆力があった。貴族としての意地も。


「……ふ、ふふふ。私があの子たちを害するなど。あの美しい虹の瞳は私が所有してこそ価値があるというもの。当然、虹の瞳も喜んで私に所有されるでしょう。所有者に何をされても、それは喜ばしいことでは?」


 マガニーは間違ったことを言っていない。心からの本音。そして、それで十分。それだけで、分かり合えないことがアルには分かった。


「そうか。屑が相手で助かる。分かり易いからね」


 そう言い終わるか否かで、ばすっという音と共にニクラスの側頭部が弾け、膝立ちだった体が横に倒れる。トドメ。

 内心はともかく、その様を平静な顔で見つめるマガニー・バルテ子爵。


「とりあえず、面倒だからビビりながら部屋の外に待機している連中を引かせろ。そして虹の瞳を持つ子の下へ案内しろ」

「……嫌だと言ったら? バルテ子爵家にここまでしてタダで済むとでも? いまならまだ、泣いて許しを請えばアナタを新たな護衛として雇ってあげても良くてよ?」


 アルを指差して小首を傾げながらじっと見つめる。妖艶な子爵。


 その指が弾けた。


「ッ!? ぎゃぁッッ!!?」


 そして流れるように踏み込んできたアルのごく軽い前蹴りを腹に喰らい、くの字に体が畳まれ、床に這いつくばって吐く。


「げぼぉッ!!? ……がッ……!ごぼぉ……こ、こんなことをしてッ! た、ただで済むと思うなよガキがぁッ!!」

「いや、いいからそんなの。とっとと案内しろよ」


 アルは四つ這いのマガニーの頭を無感動に上から踏みつける。自身の吐瀉物とキスをする子爵。


「ぐぶッ……!?」

「力無き者を踏み躙るのが都貴族の流儀じゃないのか? アンタは力無き弱者なんだからコレが当然だろ? それにこんな状態になっても誰一人助けには来ない。ご立派な護衛たちだ。彼らも知ったんだろ。アンタが踏み躙られる側に堕ちたと」


 部屋の外で様子を見ている者たちはマガニーを助けない。動けない。

 魔道士も多いが、その中にいる非魔道士にすら判ってしまった。アレは無理だと。アルが意図的に放つ威圧に尻込みしてしまう。

 彼等が知る由もないが、その威圧は大森林の魔物と同質のモノ。


「もう一度言う。虹の瞳の子の下へ案内しろ。どうせ死ぬなら楽に死にたいだろ?」

「……が……あ……ああ……」


 足がどけられたことにより、マガニーは顔を上げる。その際、もう一度アルと目が合う。

 彼女は悟る。自身の“死”を。自らの権威やルールは“コレ”には通じない。


 そして、マガニーはアルの怒りに触れ、楽には死ねなかった。



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 ……

 …………

 ………………



「結局、父と双子の妹の方は助けられずですか……」

「ああ。覚悟はしていたが、思っていた以上に変態貴族は嗜虐的な屑だった」


 あの後、恐怖により動きの止まったマガニー。指を何本かねじ切り、ようやく“観賞用”の地下室へ案内を受けたアルは、そこでコレクション達を見た。


 その多くが生きてはいる。だが、それは死んでいないだけ。もう助かりもしない。


 地下には大きな廊下があり、それに沿って豪奢な部屋が並んでいた。各部屋に扉はない。そして、その部屋の中には手足の腱を切られ自由に動けない“コレクション”達が鎮座する。皆、意識は朦朧としており、中には薬物や何らかの魔法によって呼吸するだけのナニかになっている者も。


 そして、そのコレクションの世話をする者達。そいつらも屑。動けない者たちを相手に腰を振り、下卑た欲望を発散させている最中にもアルは出くわした。


 地獄。


 アルは大森林の戦闘の最中に仲間を失ったことも多い。虫ケラに連れ去られて幼虫達の生餌となった者だっていた。目の前で生きながら食われる者も見てきた。


 今でこそ前世の記憶は他人の書いた物語のようではあるが、まだアルが前世の記憶ソレに引っ張られていた幼い頃などは、大森林をこの世の地獄だと強く思っていた。


 違った。

 地獄は王都にあった。それも一つや二つじゃない。種類も豊富ときた。


「……虹の瞳を持つ子。双子の妹は心も壊されたようだ。聞けば、子爵と世話係たちが遊び半分で彼女の目の前で父親をバラしたそうだ。酷い拷問の末にな。そして彼女はその父親の死肉を無理やり食わされたとさ」

「…………ッ!!」


 アルは腐った都貴族がいることは知っていた。そして、今回はその実情を詳しくしることになった。もう義憤では済まない。失望。こんな連中が野放しになっている事実が空しい。


「アル様。……慈悲を?」

「……ああ。一応、一人一人に聞いたが……答えが返ってこない者がほとんどだった。返ってくる答えも……是だ。それにもう既にこと切れていた者も居たよ。双子の妹もそうだった。あと、彼ら彼女らには外法の契約魔法が行使されてもいた。……部屋から出れば呼吸が出来なくなるというヤツだ。実際に世話係の一人が実践しやがったよ。自身が逃げるための時間稼ぎとして」


 無力。


 アルには都貴族家の当主を殺すことは出来ても、被害者である彼らを助けることが出来ない。


 感情が揺らいでもマナの平静さを保てるアルだが、地下室の惨状を見て、腐った都貴族への怒りと己の無力さに、彼のマナはさめざめと波立った。


 大森林で魔物を殺してもアルは何も感じない。既に作業のようなもの。害意や敵意を持つ者もだ。ヒト族であろうが魔族であろうが、敵を殺すことに躊躇はない。後悔もない。


 情けの一撃。慈悲。介錯。


 アルはまだ死んでいない……助からない被害者たち、彼ら彼女らの命を終わらせた。そこにも躊躇はなかったが、悔恨は残る。


「張本人の子爵は? 都貴族家の現当主ですし、色々と考える必要があるのでは?」

「要らん。向こうが動いてからでいい。バルテ子爵家はそれなりに力のある一族らしいが、流石に聖堂騎士団をどうこうできる程ではないみたいだからな。後の始末は教会にさせるさ。……あぁ、被害者たちの万分の一にも届かないが、マガニー・バルテ子爵にはに苦しんで死んでもらったよ。マナ量が多いだけの腑抜けた都貴族の腐った屑。泣き叫んでいたが、あそこまで心に響かない命乞いは初めてだった」


 マガニー・バルテ子爵。


 彼女はただ美しいもの、珍しいものをコレクションするだけでなく、それらを自身の手で穢したい、壊したいという度し難い悪癖を持っていた。彼女からすれば悪癖ではなく、美しくも尊い儀式だそうだが。


 マガニーは何故自分がこんな目に遭うのか、子爵である私を傷付けてタダで済むと思うな、助けてくれれば願いを聞く……と、最期までアルの怒りを、その意味を理解することもなかった。


 お互いに分かり合えない生き物。


 アルは地下室で子爵を含め世話人を皆殺しにした後、被害者たちへ慈悲を与え、木々が生い茂る庭園と屋敷に火を放つ。そして聖堂騎士団へ浮浪児達を使って伝言を残した。


 屋敷の警護にあたっていた者達の一部にはその姿を見られたが、アルは気にもしていない。


 事実、バルテ子爵家は襲撃者への報復よりも、聖堂騎士団に対して、一族内での早急な意思の擦り合わせに忙しい。


 そして、アルが想定した一つが当たる。バルテ一族は杜撰な揉み消しに走り、後日、バルテ子爵は失火による火災事故での死亡という発表となった。


 もっとも、火災による現当主の死亡という事故ではあるが、その無様な対応は他家にも見通されていた。聖堂騎士団に踏み込まれた後ということもあり、この度はコートネイ家のような都貴族の互助は期待できないという有様。


 その結果に対してアルは『同じ屑でも覚悟を持って準備していた屑コートネイ伯爵腐って間抜けなタダの屑バルテ子爵で差があるのも当然だろう』と洩らす。


 アルは報復合戦すら想定し、いざとなれば教会や王家の影、ヴィンス一族すら巻き込んで利用する心積もりもあったが……バルテ子爵家はそこまで振り切れることも出来なかった模様。



 ……

 …………



「……双子の兄にはどのように伝えましょう? 今はヴェーラ殿がついていますが、かなり心が弱っていました。そして、俺には良く分かりませんが、ヴェーラ殿は彼のマナに何らかの特異な力を感じると言っています。その中心は虹色の瞳だと」


 そもそもアルは詳しい設定まで覚えてなかったが、ゲームでは亜妖精の力を受け継ぐ双子として描かれていた者達。ただ、その具体的な力の説明はなく、当然だがこんな凄惨な背景もない。双子の兄妹はきちんと揃って登場もしていた。


「……彼は八歳と言ったか……まだほんの子供だな。だが、知らせない訳にもいかないだろう。彼も追手から逃げていたわけだし、ある程度は事情も察しているんじゃないか?」

「ええ。それはそうなんですが……何でしょうね。大森林で虫どもとやり合って死んだという報告であれば、すんなりと聞くことも出来るのですが……ヒト族同士で、何故こんな事が出来るのでしょう?」


 コリンには変態貴族のコレクションの意味が分からない。分かりたくもない。


「……僕に聞くなよ。そりゃもちろん都貴族にも清廉潔白な者も居るかも知れないが、そうじゃないのが大半を占める。つまりは、それがこの王都での常識ってヤツなんだろうさ」


 アルは吐き捨てるように呟き、ゆっくりと席を立つ。


 父と妹の死を伝えに行く。


 いま伝えないと、もう伝えられなくなる。そんな危機感を抱いたのも事実。何度も思い返したくない。それは自身の身勝手と知りつつ、重い足を引きずりながら、アルは双子の兄のもとへ。



 ……

 …………



「ヴェーラ。彼と……エラルドと話せる?」

「……アル様。今でないとダメでしょうか? この子は心身共に疲れ切っています。眠っていてもマナが乱れたまま……」


 ベッドで休む双子の兄エラルド。その顔は寝顔というには苦しげ。うなされているようにも見える。


 傍らではそんな彼の頭をそっと慈しむように撫でるヴェーラ。彼女は話の内容が分かってしまう故に、主たるアルをやんわりと止める。


 ただ、そんなヴェーラの手を握る小さい手。


 夢から醒める。


「……ヴェーラさん。ありがとう。でも良いんだ。話をしないと……」


 目覚めたエラルド。虹の瞳を持つ双子の兄。兄が右眼。妹が左眼。片方ずつ。


 しかし、今の彼はその両眼が虹色。彼が瞳を開いたと同時に不思議と暖かいマナが周囲に流れる。


 そのマナを間近で浴びたアルとヴェーラは思わず固まってしまう。


「……君は……もしかして既に知っているのか……?」

「……ええ。妹と父が亡くなったことでしょう? ……妹は亡くなった後、僕のところに挨拶に来てくれましたから。その時、父さんも亡くなったと聞きました」


 アルとヴェーラは貴族に連なる者。

 魔法という力を振るい戦う者だ。

 ヒト族同士の争いはおろか、恐ろしい力を持つ魔物すら屠ることもできる者。


 だが、今この場では気圧されている。

 エラルドに。八歳の子供に。その瞳が発するマナに。


「……僕は父上と妹御のことを君に伝えるつもりだったんだが……逆に聞かせて貰えないか? ……き、君は一体何者だ?」


 不快ではない。敵意や害意はなく、穏やかで暖かいマナ。

 しかし、アルは圧倒される。声が震える。感じ方は違うが、こんなのは主人公達を初めて視た時以来のことだと頭を過ぎる。


 そして、エラルドの傍らに居るヴェーラもアルと同じような感覚を抱く。じんわりと背中に汗をかく。恐怖ではないが、超越した存在ナニかへの畏れがある。


「分かりません。僕が“こう”なったのは、いま、この瞬間です。貴方の気配を感じてから。そして、妹も……」


 エラルドは語る。妹は自身が命を喪った時に知らせにきてくれたと。そして、姿は視えないものの、妹はずっと傍に居たと。

 アルが部屋に入って来る少し前に、妹が瞳に宿ったのが分かったという。左眼。虹色の瞳。暖かいマナの奔流。


「これは妖精の力。女神様に仕えるモノの力だそうです。あくまで妹が言うにはですが……」

「妖精の力? 女神様に仕えるモノ?」


 エラルドは自身でも良く解らないという風ではある。


 そして、もう一つの意味不明な現象。


 彼の左眼がいつの間にか虹色ではなく、茶系の色に変わっていた。恐らくは本来のエラルドの瞳。

 同時にその傍らに彼に似た顔の女児が、これもいつの間にか立っていた。

 アルとヴェーラはその気配にまったく気付かなかったが、嫌なモノは感じない。そして、彼女が双子の妹だと直感的に理解した。


 マナで構成された薄く透き通る体。構成自体は死霊とも似通っているが、その放つマナは神聖で厳か。不浄の存在である筈もない。


 静かに目を瞑り佇む妹。


 彼女がゆっくりとその瞳を開く。

 左眼は虹色。そして、言葉を紡ぐ。


『使徒アルバート。彼女の肉体を連れ出して、丁重に埋葬してくれたことにお礼を言います。そして、そんな貴方に面倒事を押し付けるようで申し訳ないのだけど……お願いを聞いて頂けますか?』


 声色はともかく、口調と内容は明らかに何も知らない八歳の女児ではない。別のナニかだ。アルはそう察した。


 そして、エラルドも妹が現れたこと、話す内容について驚いてもいない。彼も既にただのエラルドではないのだろうとも目星をつける。


「(……僕を使徒と呼ぶってことは女神様関連なのか……? え、えらく直接的に接触してきたな……)」


 世界の異物。女神は使徒アルバートをみている。



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