第5話 浮浪児たち

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「(喰らえッ!!)」


 アルの踏み込んだ刹那、ヴェーラの切り札。不可視の鎖が疾走る。正確に彼の頭部へ。

 右掌を腰溜めに引き、既に掌打のモーション。もはやアルに『視えざる鎖』を躱す余地はない。


 本来はそこで終わり。ヴェーラの勝ち。アルの負け。生者と死者の分岐点。


「(バレバレだよ)」


 アルは前に構えた左手で『視えざる鎖』を掴む。身体強化のマナを超えて手の皮が裂けて血が飛び散る。しかし離さない。鎖の動きが止まる。

 鎖の挙動を含めて、まるで初めから決められていたかのような一連の流れ。


 触れた瞬間、標的を逃がさぬように反応する『縛鎖』だったが……遅い。いや、間合いが近過ぎる。アルの掌打の方が先。


「……がッ!?」


 鳩尾周辺に掌打が決まる。同時にマナを瞬間的に流して意識を狩る。びくりとした後、前のめりに崩れるヴェーラ。

 いつも通りのアルなら、攻撃が決まった瞬間に身を引き、距離をとって安全を確保する。倒れこんでくる敵と接触するような愚は犯さない。特に大森林の魔物たちは、触れるだけで害となる毒を持っている場合もある。


 だが、流石に今回のヴェーラの暴走には思うところもあったのか……アルは崩れる彼女をそっと抱き留める。


 その頬には涙の痕。先ほどの一撃の痛みによるモノでないことは確か。


 彼女はアルに『縛鎖』を差し向けながら、ずっと泣いていた。恐らくヴェーラ自身に自覚もなく。

 彼女が本当に鎖で打ち砕きたかったのは、アルではなく別のナニかだったのか。『縛鎖』で縛られているのは誰なのか。


「(よく分からないけど……何だか悪いことしちゃったな? 色々と正気じゃない感じになってたし……最後のヤツも、普段ならもっと巧く隠せてたんだろうに。勿体ない。遣い手としては優秀だけど……不安定だね)」


 アルにはヴェーラの詳しい事情など分からない。知る由もない。

 確かなのは、仮にその事情を知ったところで、彼女の前で『気持ちは分かる』などと言える事情ではないということくらいか。その程度はアルにも察することは出来た。


 その上で、今現在のヴェーラに自由が無いことも見て取れる。普段の態度なども、いっそ苦し気に見える。必死に呼吸をする陸に上げられた魚。どれだけ頑張っても長くは持たない。


「(はぁ……それにしても“殺さず”に戦うのがこれほど面倒くさいとは……でも流石に王家の影を始末するのはなぁ……知らなかったで押し通せる訳もないし、いっそ逃げるにしてもあのクレア化け物に出てこられると終わりだ……いや、ビクター殿やヨエル殿たちに囲まれるだけで無理か。くそ。生きるか死ぬか……ファルコナーを、あの大森林を懐かしむ自分が嫌だな。首輪付きがこれほど不便だとは。都貴族に仕えるとか、僕には無理だな……)」


 意識のないヴェーラを丁寧に抱き上げながら、アルは未だに怯えて動けない浮浪児たちに声を掛ける。


「悪かったね。怖い思いをさせた。この廃教会……跡に関しては、教会のお偉方や聖堂騎士団が関わっている。あまりウロチョロしない方が良い。……とりあえず、君」

「え……あ、は、はい」

「小遣いは出すから、アンガスの宿に来てくれないか? あと、他の子はさっきばら撒いた硬貨を拾って、ここは退散した方が良い。……かなり飛び散ったとは思うけど……」


 彼等のリーダー格である比較的年長の少年と共にアンガスの宿へ。


 少年からすると逆らうという選択肢がない。自分とさほど年が変わらないと言っても、その実態は恐ろしい魔法の遣い手なのだ。

 それに、貴族に連なる者を相手に下手な真似はできないということは、彼は身に染みて分かっていた。



 ……

 …………



「おいおい。確かにまた客として来てくれとは言ったが……いくらなんでも当日中、それも力づくってのは感心しねぇな」

「誰がだよ。……いや、力づくなのは否定はしないけど、そういうんじゃないから。とにかく、部屋の用意をお願いするよ。大部屋みたいなところは空いてるかな?」


 バルガスも驚く。

 ある日、ふらっと外民の町に現れ、いつの間にか周辺のチンピラ共を叩きのめした少年。久しぶりに現れたかと思えば、えらく顔立ちの整った美しい少女と一緒ときた。更に、その当日中に意識のない少女を抱きかかえて部屋を用意しろと……しかも、浮浪児のおまけ付き。意味が分からない。


「護衛団用の大部屋……というか別棟があるにはあるが……一体何をする気だ? そのお嬢ちゃんを休ませるだけじゃないだろ?」

「とりあえず、一ケ月は借りたい。少し試したいことがあるんだ。何なら全額前金で払ってもいい」

「……えらく太っ腹だな。まぁ良いだろう。知らぬ客でもない。前金は半額だ。部屋の使い方に文句は言わんが、治安騎士団に踏み込まれるような真似はするな」


 アンガスの宿。その隣にある二階建ての屋敷。護衛団や行商団といった、大人数で長逗留する者たち用の部屋として、必要な時のみ解放している場所。基本的に建物を貸すだけで、後は全て自分たちで賄うという仕組み。当然食事もだ。


「へぇ。あの屋敷、てっきりバルガスさんの私邸かと思ってたよ。普通に宿として開放している建物だったんだ」

「ふん。まぁ普通の客には関係のない屋敷だからな。この時期は常連の護衛団も王都を離れているから、別に一ケ月程度は問題ないとは思うが……悪いが常連たちが戻ってきたら明け渡してもらう。それでもいいか?」

「ええ。その条件で十分。とりあえず、ヴェーラ殿を休ませないと……悪いけど、話は少し待ってね」


 浮浪児たちのリーダー格。サイラスは静かに頷く。まだ疑問を口にはしない。

 このアルと呼ばれた貴族家に連なる少年は、自分たちにナニかをさせようとしてる。それは分かる。

 宿を……屋敷を借りたのもその一環だろうと予想はつく。だが、サイラスはアルが自分たちに何を望んでいるのかはサッパリ分からない。


 少なくとも荒事の類ではないだろうと予想はしている。何故なら、彼は魔道士だ。魔法を使って、自分で動く方がサイラスたちよりも何倍も効率的と言える。更に、態々自分より遥かに弱い者たちに、争いの助っ人などは頼まないだろう。そうサイラスは見越している。


「おう。こっちだ。屋敷にはこっちの宿の厨房からの通用口を使わないと行けないようになっている。出入りはなるべく飯時は避けてくれ。仕込みだなんだの際にウロウロされると迷惑だからな」

「はいはい。その辺りは多分大丈夫。もしウロチョロするとしても、大人数が一度に出入りすることはない筈だよ」


 バルガスから他にも幾らかの注意点を聞き、屋敷の中の設備等の説明を受ける。

 ここ暫くは使っていなかったとはいうが、そこは魔法のある世界。

 アルが生活魔法の『清浄』を外に向けて使うことで、とりあえずの生活スペースはあっという間に整う。


「……ふん。流石の魔道士様だ。これ程に『清浄』を連発できるとは……一度の範囲も若干広いな。俺も定期的にやっているが、気休め程度にしかならん」

「はは。まぁ一応魔法の扱いが本業だからね。こういう平和で便利な魔法だけで暮らせるなら、それに越したことはないんだけどさ」


 魔道具などを含めて、この世界の魔法は日々の生活に密接したモノも確かに多いが、人々には、やはり何処かで戦う為のモノとしての認識が強い。


 アルは思う。


 腑抜けた都貴族の連中を見た今では、自身がファルコナーの狂戦士だという自覚も多少はあるが……もし、ゲームのエンディングを迎えたら、のんびりと平和的に暮らすことを考えても良いかな? ……と。そして、そういう思いが浮かぶ度に『あ、コレは駄目なフラグか?』と一人で不安にもなっていた。



 ……

 …………



「待たせて悪かったよ。名前はサイラスだったよね? 僕はアルだ。もう知っているだろうけど魔道士で、いまは学院に在籍している」


 アルとサイラスは生活魔法により、積もった埃がはらわれたソファに腰掛けている。既にヴェーラは部屋のベッドの上。何故か彼女は目が覚めない。苦し気にうなされている。悪い夢の中か。


「アル様は、僕に……僕たちに一体どのようなことを望まれているのでしょうか?」

「(やはり聡い子だ。それにもしかすると、どこかの貴族家で下働きの経験でもあるのか?)」


 サイラスはしっかりとアルを見る。が、少し目線を下げて決して目が合わないようにしている。

 アルは実感としては知らないが、都貴族家……特に古貴族家では、平民が貴族に連なる者と目を合わせるのは無礼だという風潮があるという。

 アルからすればバカバカしいと断じる儀礼。この世界でも、特別にそんなことを気にしない貴族家の者も多い。


「さっきは言葉の選択を間違えた。僕は別に君たちをそういう意味で“買う”気はないよ。いや、その生活を含めた身請けのようなモノとしては正しく“買う”という意味だけどね……まぁ言葉には気を付けるよ。次は本当にヴェーラ殿に殺されそうだし。あ、ヴェーラというのは、あの彼女の名前ね」

「……はい」


 サイラスは内心で怯えている。それを出さないようにはしているが、どうしようもなく目の前にいるアルが怖い。


 彼は淡々と軽く話をしているが、ほんの少し前にそのヴェーラという女性と正真正銘の殺し合いをしていたのだ。

 彼等の魔法の詳しいことは分からなかったが、あの魔法の一つが掠っただけで、自分たちなら軽く死んでいたことをサイラスは十二分に理解している。


 非魔道士の範疇ではあるが、サイラスは他の子たちよりも多少はマナの扱いが巧い。あの戦いが“本気”であったことは解かった。いや、正確にはアルの方にはまだ余裕があったようにも思う。彼女を“殺さない”ように気を遣っていた。そんな風にも見えた。


「まぁ分かり易く言えば、期間を区切って君たちを雇いたいんだ。やってもらうことは情報収集。ほんの些細な出来事でも良い。あちこちで聞いた話をまとめて僕に聞かせてくれれば良い。もちろん、必要なモノがあればこちらで用意する」

「……ッ! ……じょ、情報取集ですか……? それは……あちこちというのは、裏社会の組織に入り込めと?」


 情報収集と言えば、サイラスたちにとっては命がけの仕事。所謂スパイ。声が、心が硬くなる。悪いがどんなに好条件を出されても素直に頷くことはできない。

 やれ貴族家の使用人として入り込め、やれ敵側の裏組織に入り込め……その末路の大半が死。それも相手側に拷問を受けての壮絶な苦しみの末にだ。そんな風に使い潰された浮浪児の数は、サイラスが知るだけでも両手足の指では足りない。


「え? いやいや。裏組織なんてどうでも良いよ。連中から情報を引き出すなら、僕が直接動いた方が早いし。というか、聞けば情報をくれる位には“仲良く”なった組織もあるからさ。それに、悪いけどサイラスたちに“そっち方面”の活躍はまったく期待していない」

「……え? は? ……で、では、僕たちは何をするんでしょうか?」


 覚悟を持ってサイラスは問うたが、あっさりと否定される。敢えて触れなかったが、さらりと物騒な言葉が並んでいた。本当にさらりとした語り。天気の話のようだ。

 裏通りでは、ちょっとした武勇伝を針小棒大に大声で吹聴する連中ばかりだが、アルの場合は反対。いま何を言ったんだこの人は? ……と、サイラスは混乱する。それが真実か嘘かよりも、アルのそうした態度に何処か異質なモノを感じる。


「いや、だから情報収集だよ。う~ん……噂話や困りごとを集めるという感じの方が分かり易い? 外民の町、民衆区に溶け込んでそういう話を集めて欲しいんだ。なんなら、困りごとのある人たちの手伝いをしてもいい。手に負えなかったら僕に言うという感じでも良いかな?  ……何となく分かる?」

「……は、はぁ……? いえ、仰ることは分かりますけど……外民の町ならともかく、民衆区は僕たちでは入り込むのは難しいです。いえ、そもそも外民の町であっても僕たちは“溶け込む”というのは難しいかと……僕らは外民の町の商店通りでは鼻つまみの身です」


 この世界には生活魔法という便利なモノがある。非魔道士である一般の者でも使用することができる魔法。


 そのおかげか、町も人もかなり清潔を保てている。サイラスのような浮浪児であっても、パッと見は薄汚れているわけでもない。衣類はボロボロであってもだ。

 この世界においては、浮浪児などはその身なりや言動、雰囲気などで判別されている。逆を言えば、キチンと身なりを整えれば、ある程度は誤魔化すこともできるということ。特にサイラスは受け答えもしっかりできている。


 アルからすれば、浮浪児だろうが都貴族家の子共だろうが、やることをやってくれればそれで良い。コストが安いならそれに越したこともない。それに浮浪児たちをそれなりの身なりにする程度のコストは安い物。ファルコナーは辺境だが小金持ち。


「だから必要なモノはこちらで用意するよ。バルガスさんがこの辺りの顔役だというのは流石に知っているだろう? 彼の宿に長逗留している貴族家の遣いという立場なら、今までのような物乞いやかっぱらいじゃなく、商店の下働き、職人の雑用係くらいの仕事なら紹介できる。いや、その段取りくらいはこちらでするさ。

 それらを踏まえて、君たちは“普通”に暮らしながら、町で聞いた噂や人々の困りごとを集めて欲しいってわけ」


 意味が分からない。


 サイラスの混乱は深まるばかり。


 この屋敷は僕たちの拠点としてなのか?

 僕たち浮浪児に仕事を紹介して何の得がある?

 そもそも町の噂話などを集めてどうしようというのか?

 必要なモノというのは、僕たちの“立場”も含めて?


 こんなことなら、あのヴェーラという女性が感じただろう『浮浪児を“そういう玩具”として買いたい』という意味の方がまだ理解できる。


「……ぎ、疑問はたくさんあるのですが……結局、僕らの働きで、アル様が得るモノは何なのでしょうか? ……下賤な考えで申し訳ございませんが、目に見える利益のない仕事というのは……どうしても“裏”を勘繰ってしまいます」


 サイラスは思い切って聞く。彼からすれば、まさに崖から飛び降りる気持ち。こんなことを言われて、本当に“裏”がある者は良い気がしないことは百も承知の上。だが、このアルという魔道士は、この程度で激昂したりはしないだろうという目算もあった。ほんの僅かだったが。


「まぁ僕の利益は目に見えるモノではないことは確かだ。更にその利益の価値についても誰とも共有はできない。本当に僕だけのモノ。……でも、大切で必要なことなんだ。

 不安はあるだろうから、予め期限を設けようって話さ。ただ、貴族に連なる僕が言うのもどうかと思うけど……いつまでも今のような路上生活を続けられるわけじゃないと……サイラス、君はハッキリと気付いているだろう?

 下衆い考えだが、君は顔立ちも整っている。いずれは変態どもの玩具となる道すら覚悟しているんじゃないか? だが、君はそれでよくても、君を慕う更に幼い子たちはどうだ? 彼や彼女たちにも同じ道を歩ませるのか?」

「………………ッ!」


 内心に怒り。

 お前が言うなッ!

 ヴェーラが感じた苛立ちをサイラスも追体験している。



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