第132話 ちょっと待って!!

「って、そんなことより!」


 不意に、僕はとあることを思い出します。


「ん? どうしたの?」


「『どうしたの?』じゃないですよ! 師匠、大丈夫ですか!? どこも怪我してませんか!?」


 そう。師匠は、先ほど男性に襲われたばかりなのです。男性のナイフは、師匠に当たっていない……はずです。でも、万が一ということもあります。


 僕の言葉に、師匠は、ゆっくりと首を縦に振りました。


「うん。怪我はないんだけど……その……」


 一体どうしたことでしょうか。師匠の顔が、だんだんと赤くなっていきます。キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回し、僕と目を合わせてくれません。その体はモジモジと揺れて……。


 …………あ。


 その時、気が付きます。僕が、左手で師匠の体を抱きしめていることに。


「ご、ごごごめんなさい、師匠。ぼ、僕、師匠を守らないとって思って、それで。す、すぐに離れま……」


「ま、待って!」


「ふひゃ!」


 僕の口から、今まで聞いたことのないような奇妙な声が漏れだします。


 まあ、仕方ありませんよね。だって、こんなこと想像できないじゃないですか。







 師匠の方から、僕に抱き着いてくるなんて。







「し、しししし師匠!?」


「……だめ」


「な、何がでしょう?」


「遠くに行っちゃ、だめ」


 僕の体に回された師匠の両腕。その力が、さらに強くなります。


 …………


 …………


 ええええええええええええええええええええええええええええ!?


 ど、どうすればいいんですか? いろいろとまずいです。何がとは言えないですけど、いろいろとまずいです。僕、今日、死んじゃうんですかね? 空から槍とか降ってきません? あ。なんか、いい香りがしてきました。これ、師匠の香りですね。香水になって売られてたら、間違いなく買い占めるやつです。全財産はたいてもおつりが来ますよ。ハハハハハ。


 思考がとんでもない方向に進んでいく僕。かつてないほど速い鼓動を刻む心臓。その何とも言えない心地よさに身をゆだねながら、僕は、師匠を抱きしめる左手の力を強めました。


「……ん」


 師匠の口から、小さな声が漏れます。


 プツンと。


 僕の中で、何かが切れました。


「……師匠」


 僕は、右手をゆっくりと師匠の背中に回して……。


「弟子ちゃん。魔女ちゃん。大丈夫!? 言われた通り、人呼んで…………へ?」


「…………あ」


「…………え?」


 ピシリ!


 確かに聞こえた、空気の固まる音。


 どうしてここに郵便屋さんが……って、考えるまでもありませんね。きっと、師匠があらかじめ呼んでくれたのでしょう。ああ、でも。あまりにもタイミングが良すぎやしませんか?


「えっと……」


 居心地悪げに視線を巡らせる郵便屋さん。数秒後、その顔に浮かんだのは、明らかな作り笑い。


「ご……ごゆっくりー」


「「ちょっと待って!!」」


 僕と師匠の声が重なりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る