第57話

 朝食後はレパード様の執務室へと向かいます。

 レパード様の問題、いえ家族の一番の問題は仕事量が多すぎる事です。

 公爵という爵位を持つ以上仕事も多くなりますが、恐らくですが自分で何でもやってしまう事が問題なのではないでしょうか。


「とりあえず今日の仕事はこれだけだ」


 机の上に置かれた書類の山、領地内の街からの報告書や嘆願書、天災があった場所からの支援要請。

 さらに他の貴族からのダンスパーティーやお茶会のお誘い、ついでに共同事業の進捗報告書……これがほんのひと山分です。


「これを奥様とお二人でやられているんですか?」


「そうだ」


 多すぎる……本来なら数名の部下に命じて区分けをしてチェック、書類の不備や修正点があれば差し戻します。

 そして最終的な報告のみを領主に渡せばいいのです。

 なのに全てご自分でチェックされているんだわ。


「レパード様、書類整理の人員は何名いますか?」


「ん? 今は家宰かさい一人だけだが」


「では最低五人追加してください。そして区分けとチェックは全て任せ、最終的にまとめられた書類のみを確認してください」


「なに? そんな手抜きをしていいはずがないだろう!」


「手抜きではありません、書類を一から十まで見る方がおかしいのです。今までお仕えしてきた領主様達も同じようにやっています」


「そ、そうなのか?」


家宰かさいや執事からそういう話は出ませんでしたか?」


「……そうだったのか?」


 レパード様は部屋の入り口近くに控えている家宰かさいを見ます。

 家宰かさいは先代から仕えているので、そのあたりの事情には詳しいはずです。


「はい、その通りでございます」


「な⁉ ではなぜ言わなかった!」


「大旦那様と大奥様が亡くなられてから、わたくし達は旦那様に仕事を覚えていただくべく色々とやっておりました」


「だからなぜだと聞いている!」


「……旦那様と奥様への負担を減らそうと何度も進言いたしました。しかしお二人は悲しみを誤魔化す様に仕事に没頭されてしまい、わたくし共は止めるに止められなくなってしまったのです」


 なるほど、そんな事情があったんですね。

 レパード様も奥様も心当たりがあるのか何も言い返せません。

 そうか、仕事に没頭して感情を殺しているうちに、それを当たり前だと考えてしまったのね。

 家宰かさいとしても主がやるというのを止める事は出来ない。

 さて問題は本人達が現状をどう受け止めるか、ね。


「ではレパード様、仕事の割り振りを提案します」


 すぐには納得できないでしょう。今までの間違いを認めなくてはいけませんから。

 しかし少しずつでも家宰かさい達に仕事を回せるようになれば、後は周りが勝手に仕事をしてくれるでしょう。

 何としても受け入れていただかないと。


「ああ、わかっている、わかっているさ。私は意固地になっていたんだ。自分のやり方は正しい、公爵はこうあるべきだ、皆の手本にならなくてはいけない、私がやれば丸く収まると……全然収まってないじゃないか、息子を放置したうえに八つ当たりして、何が正しいか、何が手本か」


 そう言って窓際に立ち、ガラスに手を当てると力強く手を握ります。


「シルビア、まずはどのように割り振ればいいのだ?」


「……!! 旦那様!」


 家宰かさいが驚いたように声を上げます。

 今まで苦労されて来たのでしょうね、やっと声が届いて少し涙ぐんでいます。

 ここまで来たら問題はありません、家宰かさいと一緒に仕事を分けましょう。


 午前中は執事も呼んで仕事の割り振りをしました。

 午後からも手順の説明があるので、今日一日、いえ暫らくは大変でしょうね。


 午後からはいつも通りにルネッサ様の家庭教師をしました。

 やはり自分のせいで私が風邪を引いたと思っているのか、借りて来た猫の様に大人しく授業を受けています。

 あまり大人しすぎると張り合いなく感じてしまいますが……私は毒されましたか?


「ねぇシルビア、ここはどうやるの?」


「ここは――」


 ん? 気のせいか距離が近いですね。

 以前は私から近づく事はあっても、ルネッサ様から来ることはありませんでしたが、今はイスをこちらに近づけています。

 ルネッサ様まさか……勉学に目覚めたのですね!


 しかしどうやら目覚めたのは勉学ではなかったようです。

 書斎でのティータイム中、やはり私の隣から離れようとしません。

 んー、可愛いから良しとしましょう。背は私より少し大きいですが。


「あの、シルビア?」


「なんですか?」


「えっとね、驚かないで欲しいんだけど……」


「はい、なんでしょう?」


 ルネッサ様が立ち上がり私の前に立ちます。

 ? 何をするのでしょうか。

 

「んっと、シルビアも立って」


 言われるままに立ち上がると、ルネッサ様は私の両腕をガッシリと掴みます。


「る、ルネッサ様? !!!!」


 ルネッサ様は私に抱き付き、胸に顔を当ててきました。

 あまりにいきなりの事で体が硬直し動けません。

 振りほどこうとしますが力が強く、離れられません。


「な、なにをなさるんですか!?」


 ルネッサ様は何も言わず私の背中に腕を回し、右耳を胸に当ててきます。

 ……耳? そういえば様子が少しおかしいですね……?

 ルネッサ様の顔を見るととても安らいだような、落ち着いた表情をしています。

 これは一体……あれ? そういえばどこかで見た事があります。

 どこだったかしら……そうだ、育児部屋を作った時の子供の表情と同じだ。


 あの時の子供は遊び疲れて眠そうなとき、私に抱き付いて同じような表情をしていましたが、まさかルネッサ様も同じような状態に?

 確かお婆さんメイドによると「安心しきってるねぇ、ホッホッホ」でした。

 私を信頼してくれた、という事でしょうか。


 ちょっとビックリしましたが、ああそういえば驚かないで欲しいと言っていましたが、それは無理な注文です。

 でもそうですね、家庭教師兼母親になるという計画は成功したのでしょう。

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