第52話
「今日から君にはアレの家庭教師をしてもらう」
「……へ?」
レパード公爵邸に着いてすぐ、スカート捲りをしてきたご子息の家庭教師を命じられました。
レパード様はまだ四十前の若さだけど、口髭を生やしているため少し老けて見える。
ちょっと四角めの顔で短めの茶髪を全て後ろに流し、少し広めのおでこが目立つが、彫りの深い顔つきと大きな鼻、濃い眉毛が印象的だ。
服装は少しラフに着こなした紺色のスーツを着用している。
ご子息はルネッサ坊っちゃん。
薄めの茶髪で首の後ろだけを少し長く伸ばしている。
身長は百六十センチを少し超えたくらいで、体型はしっかりしておりヤンチャを絵にかいたような子供だ。
「家庭教師と言われても、私は人にものを教えたことなどありませんが」
「話は聞いている。学院では常に上位に入り、他の領地でも知恵と工夫をいかんなく発揮したと。その経験を見込んで頼みたいのだ」
「し、しかし私はメイド、家庭教師は同じ貴族や聖職者の方がなさるのが通例だと記憶しています」
するとレパード様はため息をついて、右手で首の後ろを掻きます。
「その貴族・聖職者の全てがさじを投げたのだ。自分の手に負えないとね」
家庭教師となる貴族は、自分より位の高い貴族の令嬢子息の家庭教師を喜んでやるはず。
それはひとえに親交を深めることが出来るからだ。
それを捨ててしまう程に手に負えないという事?
「頼む! あいつは自分の地位を知っているから他の貴族を舐めてしまう。なまじ私の爵位が高いから他に頼める人がいないんだ」
なるほど、公爵子息だから強気に出てしまうんですね。
そういえば私の周りには貴族だからと威張る人は……ポルテ元男爵は例外として、あまりいないタイプですね。
それにここまでお願いされては断る事ができません。
「わかりました。坊っちゃんの家庭教師をお受けいたします」
「そうか! 引き受けてくれるか! ああよかった、シルビアが最後の頼みだったのだ」
レパード様は少し広い額に汗をかいてテカっています。
本当に後が無いのね。
なので今回私はメイドとしてでなく、ルネッサ様の家庭教師としてお世話になる事となりました。
「お、おっ! 大きな部屋だ!」
家庭教師というのはメイドと違い客人の扱いになります。
客人と言われても実感がないので、自分の中ではルネッサ様の付き人になる感覚で行きましょう。
この大きな部屋を使わせてもらうのも客人だからですが……お、落ち着かない。
「それではシルビア様、御用がありましたらお呼び下さい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
若いメイドさんが荷物を運んでくれました。
何でしょう、私がやるはずの事を他の人がやってくれるというのは、何というか違和感がとても強いですね。
「あ、ドレスや私服も沢山あるわ。それもそうか、貴族の家庭教師をするのに、ただの町娘の格好じゃいけないわよね」
クローゼットを見ると服がずらりと並んでいます。
こういう服を着るなんて、まるでプリメラの付き人をしていた時の様ですね。
さて、いままでルネッサ様はどんな勉強をしてきたのでしょうか。
丸い装飾テーブルに積み上げられた教科書を見て、今後の方針を考えていきます。
まだルネッサ様は学院に入る前だから、学院に入っても付いていける程度の知識が必要になります。
えっと、まずはこの教科書から……⁉
「落書きだらけで読めないわ……こっちのは破れてる、こっちは紅茶か何かが染みてパリパリ……えっと、ひょっとして私、かなりの無理難題を押し付けられました?」
教科書は貴重品です。
いえ貴族だから貴重ではないかもしれませんが、学問の本というのはかなりの値段がします。
それをこの扱いとは……どうやって勉強を教えればいいのかしら。
その悩みを更に悪化させることが夕食時に発生しました。
家庭教師は生徒、ルネッサ様と共に食事をとるため、ご家族であるレパード様とも一緒に夕食を頂きます。
その席でルネッサ様はしきりに大声で会話をしようとして、マナーの無さをレパード様に指摘されると不貞腐れ、途中で席を立ってしまいました。
なにかしら、今の場面に凄く違和感を感じたんだけど……?
っと、そんな事を考えてる場合じゃないわね、ルネッサ様を追いかけないと。
「……なに?」
ルネッサ様は三階のバルコニーの手すりに外向きに座り、星を眺めていました。
心では危なっかしくて早く降りて欲しいのですが……おかしいわね、何でこんなに消え入りそうに見えるのかしら。
「まだ食事が残っています。食堂にもど――」
「お前もマナーマナーっていうんだな!」
「食堂に戻り食事をとらないと、夜中にお腹が空いてしまいますよ?」
「おなか……?」
「成長期なんですから、しっかり食事をとらないとお腹がペコペコになりませんか?」
「ペコ……ペコ?」
「はい。私なんて三食デザート付きじゃないと耐えられませんし」
私は何の話をしているんでしょうか?
でも今はこれが良いような気がします。
「うるさいな。またスカートめくるぞ」
「それは……お断りします」
「ウソだよバーカ! お前みたいなブスのスカートなんかめくるかよ!」
そう言って手すりから降りて廊下を走っていきました。
あっちは食堂の方向なので戻ってくれるのでしょうか。
私も戻るとしましょう。
食堂に戻るとレパード様がルネッサ様を叱っていました。
それはそうよね、食事中に理由もなく席を立つなんてマナー違反もいいところ。
でも私は静かに間に割って入り、ルネッサ様とレパード様を引き離します。
「さあルネッサ様、夜中にお腹が空かないようにしっかりといただきましょう」
「シ、シルビア?」
レパード様は私の行動に戸惑っておいでですが、理由は後で説明するとして今はルネッサ様に食事を食べていただく事を優先します。
側に立っているメイドさんに手伝ってもらい、私の食器をルネッサ様の真横に運んでもらいます。
イスは自分で運んで真横に座ります。
「な、なんだよ」
「おかわりもありますから沢山食べてくださいね」
「こっ、子ども扱いすんな!」
声は大きいですが素直に食事をとってくれました。
ん~、ひょっとしたら……
ルネッサ様は食事を終えて席を立とうとします。
「あら? デザートはいいんですか?」
そのまま椅子に座り直し、デザートもいただきました。
何となくですが、ルネッサ様の事がわかってきましたね。
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