寄り道こそ人生






 エルシンキ一帯の森に棲む動物、取り分け魔獣は大半が夜行性である。

 故、避けて通るべきポイントさえ知っていれば、そうそう鉢合わせることは無い。


「つってもアホ熊とバカ犬とゲロ猿の前例があるからな。過信は禁物だ」


 瞼を閉じれば鮮明に蘇る、苦々しい記憶の数々。

 まあ、あれ等はいずれも要注意エリア内での出来事なのだが。


「よっと」


 躓かぬよう、張り出した根から根へと飛び石を渡る要領で繰り返し跳ぶ。

 バッグの中で小瓶が擦れ、カチャカチャと音を立てた。


 数度の経験によって、こなれ始めた森歩き。

 時折コンパスと地図を見比べ現在地を確かめながら、最善ルートで進んで行く。


「お。夏リンゴみっけ」


 真っ赤に熟れた拳大のリンゴをもぎ、齧る。

 瑞々しい食感と共に、甘酸っぱい味わいが口腔を満たした。


 この森の随所で見られる多種多様なリンゴの木。

 種類によって旬が異なるため、季節を問わず収穫が可能なエルシンキの特産品。


 中でも黄金林檎と呼ばれる固有種は、言葉にし難い絶品。

 王室献上品としても扱われ、市場価格は底値でも五万ガイル。

 別名、神の果実とも称される代物だった。


 ただし、価格から考えれば当たり前の話だが、探すとなると容易ではない。

 年に一度のみ、森中のリンゴの木のどれか一本に、ひとつだけ実るのだ。

 生半可な運では、生涯を費やしても巡り合えないだろう。






「八割くらいは来たかね」


 空を遮る枝葉の隙間に覗く太陽を見上げながら、なんとはなしにヨルハが呟く。


 朝早くに町を発って、おおよそ二時間。

 高価な懐中時計など買えないため経過時間は体感頼りだが、誤差は驚くほど小さい。

 体内時計や方向感覚といった機能が、ヨルハは常人よりも秀でているらしかった。


「シャクティはああ言ってたけど、どうにかがっぽり稼がせてくれねーもんかな」


 人生そう易く運ぶものではないと自ら胸の内で否定しつつも、やはり夢は尽きぬもの。

 目も眩まん金銀財宝の山を妄想し、意気軒昂と前に進む。


 目的地まで、あと僅か。

 ヨルハの前を小さなものが横切ったのは、まさにそんな頃合だった。


「…………え?」


 想像だにすらしなかった光景に、ヨルハの思考が所作共々停止する。


 大きく見開かれた双眸が向かう先は、数メートル先の一点。

 どういう気紛れか、獣道の真ん中で立ち止まり、毛繕いなど始めた小動物の姿。


 輝く白銀の毛皮で覆われた、一羽の兎。


「し……シルバーラビット?」


 震えた舌先が、掠れ気味に名を紡ぐ。


 近所の子供へとくれてやる前、目を通す程度に流し読んだ魔獣一覧表。

 その際ひとつだけ、ヨルハの関心を掴んで離さなかった項目が存在した。


 低位魔獣シルバーラビット。

 魔獣でありながら戦闘能力は皆無に等しく、代わって逃げることに特化した種。


 音も無く駆け、一日に百キロ以上もの距離を走破する体力の持ち主。

 個体数は極めて少なく、肥沃な森の奥深くにのみ棲む。


 そして、美しい毛皮は勿論のこと、ペットとしても非情に高い人気を誇る。

 平均的な取引価格は、毛皮一羽分につき八千ガイル以上。

 生け捕りなら、更にその三倍はつく。


「八千の三倍、八千の三倍……おおぉ、考えただけで震えがっ」


 篭手の掌が擦れて軋むほどの力で、強く拳を握り締める。

 と、シルバーラビットがヨルハに気付いたのか、愛らしい面を上げた。


 視線が重なる。

 風すら届かぬ森の奥にて、一人と一羽が見詰め合う。


「あ」


 程無くシルバーラビットは身を翻し、逃げ出した。

 獰猛な笑みを浮かばせた悪魔の形相で以て、ヨルハはそれを追う。


「待てやゴルァッ!! 逃がしてたまるか栄光への片道切符!!」


 スプリントをかけた方角はと言うと、間近である筈の迷宮メイズとほぼ真逆。

 けれどもヨルハの脳裏には、最早迷宮メイズのことなど欠片も残っていなかった。





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