狼退治






「おっと。こいつぁ、やばたにえん」


 動揺と緊張の沈静化を図るべく、敢えて軽口を叩いてみる。

 そんなことしたところで、別に事態が好転するワケじゃないが。


 けど、凍りそうになった脳髄と心臓が、少しだけ落ち着いた。

 深呼吸深呼吸。すーはーすーはー。


「つーかよぉ、デカ過ぎだろ」


 体重百キロ近くありそうな、埒外な規格と体格。

 見た目こそ狼のそれだが、寧ろ虎やライオンに近いサイズ感。

 例え銃を持っていたって近寄りたくない、掛け値無しの猛獣。


 ひとまず、状況を整理しよう。

 相手は二頭。片方、やや小柄な方は後ろ足を引き摺ってる手負い。

 大方、その傷の癒すため、キュアリーフを求めてやって来たんだろう。

 有り得たこととは言え、全く以て最悪なブッキングだな。


 俺と奴等との距離は、目測で七メートルから八メートル前後。

 幾ら俊敏な狼であっても、一瞬で詰められる距離じゃない、と思いたい。


「逃がして……くれそうにはないな、うん」


 二重の唸り声を耳に、直感で理解した。


 雰囲気で分かる。こいつ等、恐らく相当に飢えてる。

 縄張り争いで負けたかなんかして、長く飲まず食わずだったのかも知れん。

 つまり俺は、久方振りの獲物ってワケだわな。

 目をちょっとでも逸らしたら、次の瞬間には襲われそうだ。


 以前、火事場のなんちゃらで大熊からも逃げ果せた俺だが、状況が違う。

 ここら辺の地形は特に勾配が激しく、人間の足で駆け回るには全く向かない。


 そもそも、あの時の逃走が上手く行ったのは半ば奇跡。

 もう一度同じ状況に陥ったら、絶対死ぬって自信がある。


 しかも狼とか、スピードなら多分、熊より上だろ。

 逃げたところで背中から食い付かれて終わり。めでたくゲームオーバー。


 と、なれば。

 現状を打破する手段は、俺が思い付く限り、たったひとつ。


「戦うしかねぇか」


 気乗りしねー。勝てる確率とかどんだけよ。

 もし勝てたとしても、大怪我したら暫く働けなくなるだろうし。

 借金返済が遠のく。勘弁しちゃって頂戴よマジ。


 ……まあ、そんでも。

 ただ逃げるよりは、まだ目があるか。






 エルシンキ北部、名も無い北の森。

 まるでリングのように開けた空間で、人と獣が相対する。


 低位魔獣ブラックドーベル。

 イヌ科動物の中では大型の部類となる体躯に似合わぬ俊敏さと、獰猛さを併せ持つ。

 体高は最大で一メートル以上にも達し、武装した兵士すら噛み殺す。

 黒い毛皮には魔力が通っており、ナマクラ程度であれば通さぬほどに頑強。

 生活圏が人間と重なり易く、家畜や人を襲うことの多い、典型的な害獣。


 ――睨み合う最中、ヨルハがマントの留め具に指をかける。

 ふぁさりと音を立て、厚手の外套は彼の足元へと落ちた。


 次いで、肩掛け鞄も同様に降ろす。

 どちらも、動きの妨げになると考えての行為だった。


「篭手の直しに一週間あって良かったぜ」


 指先で柄を摘むように、スティレットを抜く。

 曲芸師の如く、左手一本でそれをクルクルと弄んだ。


「みっちり練習できたからなぁ」


 生来の器用さ故か、或いは妙に馴染む武器の恩恵か。

 たった八日間で、四肢の延長にも等しく、ヨルハはスティレットを操っていた。


 やがて彼はおもむろに体勢を落とす。

 唯一の防具である篭手を嵌めた右腕を前面に出し、左足を一歩分引かせた半身の構え。

 師など当然居なかったため、しっくり来るものを試行錯誤した末のスタイル。


 踏み締めた爪先が、足元の雑草を磨り潰す。

 じりじり間合いを詰めるブラックドーベルに、冷えた眼差しを向け遣るヨルハ。

 正確な距離を測らんとしてか、ゆっくりと右腕を伸ばす。


 刹那。

 篭手の手首辺りから、軽い音と共に飛び出した何か。


 真っ直ぐ飛来したそれ。

 投擲用の仕込みナイフは、寸分違わずブラックドーベルの眼球を貫いた。


 雑貨屋の店主が気を利かせて組んでくれたギミック。

 最初よりも距離を詰めていたことが仇となり、間に合わなかった対応。

 後脚を怪我していた方の獣が、激痛にのた打ち回る。


「はっ」


 悲鳴染みた鳴き声に混じって、小さく笑声を零すヨルハ。

 未だ健在な方のブラックドーベルが、弾かれたように飛び出した。


「嫁さんを片目にされて怒ったか?」


 手足の微かな震えを誤魔化すように叩く軽口。

 張り裂けそうな心臓の一方で、脳内麻薬の影響か、冷静な思考。

 巨体が弧を描き、飛び掛かって来た瞬間、ヨルハは少しだけ右へとズレた。


 何せカウンターを当てようにも、彼の膂力ではあの突進を受け止めるなど不可能。

 大きな回避は却って隙を作りかねない。ギリギリすり抜けるイメージで動く。


 そして交錯の一瞬を狙い、無防備な首へと一撃を放った。


 分厚い毛皮と強靭な筋肉で護られた急所。

 しかし、刺突武器であるスティレットに対しては、その防御もまともに働かない。


 ごりっと、脊髄を貫き割る手応えが伝わった。


「っとと」


 幾らか衝撃を流しきれず、ヨルハはたたらを踏む。

 一方のブラックドーベルは勢いのまま崩れ落ち、ぐったりと横たわる。

 既に、事切れていた。


「次」


 流石は野生動物と言うべきか。

 目玉を貫かれたにも拘らず、気を持ち直し起き上がった、もう一頭のブラックドーベル。

 苦痛か、或いはつがいを殺された怒りか、残った目からは憎悪が感じられた。


 思わずヨルハは射竦められそうになるも、奥歯を噛み締めて堪える。

 幸い、元々後脚が不自由なためか、突っ込んで来るスピードはそう速くない。


 けれど、さっきのカウンターをもう一度繰り返すのは流石に勘弁願いたかった。

 故、彼は今度は敢えて咬ませてやることにした。


 勿論のこと、篭手で覆われた右腕に、だが。


「ぐっ……!」


 人間などとは比較にもならぬ咬合力。

 とは言え、金属製の篭手を噛み砕くには至らない。


 押し込もうとする力も、三本脚では踏ん張りが利かないのか、短時間なら拮抗も能う。

 ならば、あとは隙だらけの脳天にスティレットを叩き込めば、幕引きであった。






「っぷはぁぁ……」


 倒れ伏す二頭の黒狼。

 静寂の戻った森の空き地。


 戦いの勝者であるヨルハは、一分近く立ち尽くしたままだった。

 再起動を果たすと同時、肺の空気を残らず吐き出し、地べたへと座り込む。


「つっかれたぁ。つーか死ぬかと思ったぁ」


 大の字で寝そべり、雲の走る青い空を仰ぎ見る。

 終わってみれば無傷の勝利だが、綱渡りにも程があった。


 こんなことを日常的にやってるなど、やはり探索者シーカーとは馬鹿ばかりなのだろう。

 自分はなるべく安全な仕事だけを選んで行こうと、ヨルハは固く胸に誓った。


 しかし。


「魔獣っぽいの倒しちまったよ。もしかして、俺ってちょっと強かったりする?」


 冗談めかして笑いながら、俺すげーと自画自賛するヨルハ。

 何にせよ、これにて彼の最初の依頼は終わりを迎えるのだった。





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