【File33】湖畔の家

【00】外道の術法


 大正十五年の八月半ば。福井県某所にて。

 その満月の夜。

 蛙の鳴き声に包まれた畦道あぜみちを行くあしおとが二つ。

 先頭を歩くのは洋灯カンテラを左手にぶらさげた書生風の若い男である。

 名前を岡田冬麻おかだとうま。現在の九尾天全の曾祖父そうそふに当たる人物であった。

 その後ろに続くのは、あでやかな矢絣やがすりはかまに長革靴の少女だった。

 彼女は土御門遥子つちみかどはるこ

 この時代の九尾天全である。

 二人はとある著名な大学教授の不審死事件の解明をやんごとなき所より依頼され、その真相を究明すべく、この地を訪れていた。

「……それにしても、お嬢」

 岡田が、おもむろに正面を向いたまま声をあげた。

「本当に現存するのでしょうか? “かの一族”に連なる家系など……」

 九尾はその問いに凛とした声音で答える。

「間違いない。今回の相手は奴らだ」

 “かの一族”とは遥か古来に存在した、さる母系一族の事を指す。

 その文化、風習、価値観は、あまりにも異常で禍々しい。

 遠い昔、大和朝廷により滅ぼされ、今はもう存在していた記録すらほとんど残されていない。

「被害者は隠智学オカルトにも造形が深かった。……ゆえに、辿り着いてしまったのであろう。“かの一族”へと」

「その秘密を探ろうとした。そして、奴らの逆鱗げきりんに触れてしまった。……と、いう事でしょうか? お嬢」

「うむ」

 九尾は深々と首肯する。

「この世には、知らない方がよい事もあるのだ」

 “かの一族”で“巫女”に選ばれし者は、幼少より古今東西のあらゆる術法を実践させられ、学ばされる。

 今回の被害者のように一族の秘密を探ろうとする者や外敵を排除する手段として。そして、自らの“相性”を魔道の深淵へと近づける為に。

「兎も角、敵は呪殺に長けている。気を引き締めてかからねばならぬ」

 九尾がそう言って話を結ぶと、冬麻は彼女の方を振り向き、深々と神妙な顔つきで頷く。

 すると、それは二人が歩む畦道の先にある月光に煌めく田園の縁だった。

 それを目にした岡田が声をあげる。

「お嬢、あれです……」

 彼が掲げる洋灯カンテラの光の先に浮かびあがるのは、何の変哲へんてつもない平屋の家屋であった。





 腰丈の竹垣が猫の額ほどの敷地を囲んでいる。

 二人は門からその内側に足を踏み入れ、平屋の玄関の前に立った。

 岡田が引き戸に手をかけて開く。すると、その向こうの闇から呪詛じゅそが噴出し、二人は顔をしかめた。

「闇が歪んでいる」

 九尾が吐き捨てるように言った。岡田は敷居を跨ぎ、洋灯カンテラで土間を照らす。

 すると、土間を挟んで正面の奥であった。

 かまちの向こうに見える囲炉裏の間の鴨居かもいに、山袴もんぺ姿の女が一人、くびれてぶらさがっていた。

 歳は十代半ばだと思われた。化粧気けしょうけはまるでなく、日に焼けてちぢれた髪や荒れた肌を見るに典型的な、この時代の農村部の女子であった。

 ぎぃ……ぎぃ……と首に麻縄を食い込ませ、静かに揺れている。

 それを目にした九尾と岡田は只ならぬ事が、現在進行形で起こっている事を悟った。

 その刹那であった。

 囲炉裏の間の更に奥。そこにあった障子戸が、がたり……と音を立てて揺れ動いた。

 二人は顔を見合わせ恐る恐る框にあがり、縊れた女の脇を通り抜けて、囲炉裏の間の奥へと向かった。

 それから、岡田が九尾に目で合図を送ると障子戸を一気に開ける。すると、その向こうには、奇妙な光景が広がっていた。

 まず手前には、床に腰を落とした少女の背中があった。

 セーラー服で三つ編み。どこかの女学生のようだ。どうやら、ついさっき障子戸が揺れたのは、彼女が背をもたれたからであるらしい。

 少女は背後に立つ九尾と岡田に気がつく様子もなく、室内の中央を見つめながら唇を戦慄わななかせていた。

 彼女の視線の先……部屋の中央には古めかしい鏡台があった。そして、二人の人物が倒れている。

 一人は襦袢姿じゅばんすがたの妙齢の女性である。仰向けに寝たまま、天井を見あげて目と口をいっぱいに開いていた。

 彼女が既に死んでいるであろう事は、喉からそそり立つ黒いはさみと、その着衣や床を濡らすおびただしい血糊ちのりを見れば一目瞭然いちもくりょうぜんである。

 そして、もう一人は畳に腰を落とし、鏡台の櫛箱くしばこへと抱きつくようにして突っ伏している。

 禿頭とくとうではあったが、その小柄な体つきと着物は女性のものだった。

 こちらもぴくりとも動く気配を見せない。

 二人の周囲には、無数の黒髪、鮮血、そして割れた鏡の硝子片が散らばっている。

「お嬢……これは……」

「儀式に失敗したな」

 その九尾の言葉に、三つ編みの少女が腰を落としたまま振り向く。

「あああ……たす、たす、助け……」

 酷く取り乱し、青ざめた表情で涙を流し始めた。

 九尾はその少女の脇を通り抜け、惨劇の舞台へと足を踏み入れる。

「岡田。その娘を頼む!」

「はっ。お嬢」

 九尾はまず櫛箱に突っ伏したまま動こうとしない禿頭の女の肩を揺さぶる。

「おい……おい!」

 返事はない。そして、その女の上半身がごろりと畳の上に落ちる。

 彼女の首筋に指を当て、脈がない事を確認した九尾は、忌々しげに顔をしかめて舌を打った。

 そして、次に喉から鋏を生やしたまま動かない女の方へと目線を移す。

 すると、九尾はそこである事に気がついた。

 女の傍らにしゃがみ、彼女の大きく開かれた口の中に右手の親指と人差し指を入れる。

 そうして、ごっそりと口腔こうこうの奥から引きずり出したのは、唾液にまみれた黒髪の束であった。

 九尾は再び髪を口の中へ戻すと、鏡台の櫛箱へと目線を向けた。

 櫛箱には三つの引き出しがある……。

 九尾はその一番上の引き出しに手を伸ばした。

 それを見た岡田が声をあげる。

「お嬢! 危険です!」

 しかし、九尾は彼の呼びかけに答える事なく、引き出しを開いた。

 中には数枚の人の爪と紙が一枚。

 そこには、筆書きで何と読むのか解らない二つの文字が記されていた。

 それは……。


 『襟诟・・

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