【12】胸糞動画


「千村双葉さんは、まだあの家にいます」


 二〇二〇年五月二十七日、県営団地のリビングにて。

 御堂静香は茅野循を血走った双眸そうぼう凝視ぎょうしする。

「……何をさっきから意味の解らない事ばかり……」

「では、はっきりと言いましょうか? 今から十一年前、二〇〇九年の二月十四日、貴女の息子であるトシヤンソン……御堂寿康は、あの黒猫坂の家で、当時のクラスメイトだった千村双葉さんを殺害し、その死体を土蔵の隣にある生簀いけす遺棄いきした」

「知らない……知らない……知らない……」

 静香は両手で抱えた頭を激しく振り乱す。

 そんな彼女に対して、茅野が容赦のない言葉を吐き出した。

いいえ・・・知らないのでは・・・・・・・ありません・・・・・貴女は息子さんを・・・・・・・・恐れて見て見ぬ・・・・・・・・振りをしているだけ・・・・・・・・・なのでは・・・・ありませんか・・・・・・?」

「違……違う……」

「これは、想像なのですが」

 と、前置きをして茅野は一息に語る。

「あの家の台所の格子戸……床に散らばった硝子片には、ガムテープか何かで補強したあとがありました。そして、あのポスターで隠された痕跡のある三和土たたきの右側の壁に空いた穴……もしかすると、息子さんは日常的に家庭内で暴力を振るっていたのではありませんか?」

「あ……ああ……」

 静香は大きく目を見開きながら記憶を巡らせる。

 そもそも、別れた旦那との仲が険悪になったのも息子の事が原因だった。

 切っ掛けは覚えていない。

 旦那がある日を境に、幼い息子に対して腫れ物を触るように接し始めた。

 更に息子をカウンセラーに診せた方がいいなどと言い出す。

 まるで息子が異常者であるような言い方に腹が立って喧嘩となった。

 けっきょく、彼とは離婚する事となり、静香は息子を連れて実家である黒猫坂の家へと出戻りした。

 その当初、静香の父親である善一は、孫の寿康に対して厳しく接していた。しかし、ある日を境にぴたりと何も言わなくなる。

 あれは寿康が小学六年生のときだ。

 善一と口論になった寿康が、バットを持って家中の物を……。

「あああああ……知らない、そんなの、知らない……息子はいい子……息子はいい子なの……知らない……知らない……知らないっ!」

 再び頭を抱え、外敵に襲われた亀のように背を丸める静香。

 しかし、茅野は手心を加える様子はいっさいない。

「知らない……確かにその言葉に嘘はないのかもしれません。貴女は現実を・・・・・・見ようとして・・・・・・いないのだから・・・・・・・

 そう言って、茅野は鞄の中からタブレットを取り出して、静香の眼前に突きつける。

「未だにガラケーしか持たず、インターネットに触れようとしないのは、息子さんが何をやっているのかを知るのが怖いからではありませんか?」

「やめて……息子はちゃんとやっている……息子はちゃんとやっているの……私は息子を信頼している……見なくても大丈夫……大丈夫なの……」

「信頼しているのなら、よく見てください。息子さんのやった事を」

 突きつけられたタブレットの画面で、その動画が再生される――




 それは、どこかの住宅街らしい。

 画面に坊主頭で、目の細い男がアップで映る。

 トシヤンソンこと御堂寿康である。

 どうやら自分自身にカメラを向けているらしい。

『はい、どーも。トシヤンソンです』

 カメラが振れて住宅街の路地が映り込む。トシヤンソンの声だけが聞こえる。

『今日は、平然とした顔でのうのうと生きてる悪人に、正義の鉄槌をくだそうと思います』

 カメラは住宅街の路地を進む。

 そして、ある小さな平屋の玄関の前に辿り着いた。周囲には他にも似たような建物が並んでいる事から、どうやら借家であるらしい。

『ここですねー』

 トシヤンソンはそう言うなり、引き戸の横の呼鈴を押す。そして、戸板を容赦なく、ばんばんと叩き始めた。

『すいませーん! ごめんくださーい!』

 中々、反応はない。それでも執拗しつように戸を叩くトシヤンソン。

『すいませーん! いるんだろ!?』

 しばらくすると戸の磨り硝子に人影が浮かぶ。ガラガラと引き戸が開いた。

 中にいたのは、真っ白な髪の毛を後ろで束ねた老女だった。

『……あの、ご近所様の迷惑に……』

 と、その老女が言い終わらないうちに、カメラは、ずい、と薄暗い玄関の中に侵入し老女の顔へと迫る。

『はーい。この婆さんが、あの連続殺人犯、山田紘太郎やまだこうたろうの実の母親の山田利美やまだとしみでーす』

『やめて……やめてぇ……』

 老女はもがいて逃げようとするが……。

『オラ! 逃げんな! クソババア!』

 トシヤンソンが彼女の右手首を引っ張る。

『このクソババアの息子は、SNSで知り合った女を四人も殺し……ぎゃはははっ。オラ! 逃げるんじゃねえよ! ちゃんと、俺の動画を視聴してくださるファンのみんなにツラを見せろや、オラ!』

『お願い……許して……もう解ったから……許してぇ……』

『更に絋太郎クンは、自分の職場で突然、発狂して二人も刺し殺しましたぁ! オラ! 観念しろやッ!』

『ごめんなさい……ごめんなさい……』

『しかし、当の紘太郎クン本人は、警官に銃で撃たれ、未だに意識が戻らず病院のベッドの上でのんきに寝ています。手厚い看護を受けて! まさに上級国民! ははははは……』

『……痛い……痛い……手首を放して……』

『その紘太郎クンを製造したのが、このクソババアです』

『痛い……痛い……お願い、放してくださいぃ……痛いぃい……』

『うっせーな! テメーの息子に殺された被害者は、この何倍も痛かったんだよッ!』

『すいません……でも、お願いします……逃げないので、手首を放してください……』

『このクソババアがセックスして、あの殺人鬼を作って、育てなけりゃ、六人の命が失われる事はありませんでしたぁああ……おい、何を泣いてんだよ!? テメーが涙を流していい権利なんてねえんだよ! おいクソババア! 聞いてんのか……?』

 もう山田利美は抵抗を諦めたらしく、トシヤンソンに手首を握られたまま項垂うなだれて肩を震わせている。

『オラ! クソババア。テメーカメラに向かって謝罪しろ。ほら! お前の存在自体が日本国民を不愉快にさせてんだよ! これは謝罪会見だッ! 早くしろ! 謝罪だ、謝罪! 逃げんな』

『うっ、うっ……すいません、どうか、すいません……うちの息子がすいません……』

『あと、最近、コロナで病院のベッドが足りねーから息子ぶっ殺して一つ空けてこいよ。製造責任を取ってこい! そうしたら、もう一度、会見の場を設けてやる。今度はヒーローインタビューだ。いいだろ?』

『ごめんなさい……ごめんなさい……』




「ああああああああ……やめてッ!! こんなの知らない……こんなの息子じゃないッ!!」

「山田利美さんは、この動画が公開されたあと、自宅で首を吊って自殺しました」

「嘘……」

 それでは、まるで息子が殺したようなものではないか……静香は絶句する。

「それがつい三日前の事ですね。山田さんは右手首を骨折していたそうです。警察が傷害事件としての立件を目指して動いているだとか、遺族が訴える準備をしているだとか、色々と噂はありますが、今のところ動きは特にありませんね」

 茅野が何の感情も籠っていない声で、事実のみを告げた。桜井が続いて口を開く。

「前から迷惑系ゆーちゅーばーとしてトシヤンソンは有名だったけど、今回の一件であかばんされたみたい」

「あか……ばん……?」

「ゆーちゅーぶに投稿した動画を全部削除されて、新しい動画も投稿できなくなるって事だよ」

「それって……」

 息子はYouTuberとして上手くやっていたのではないのか……。

 その質問が静香の喉から出る直前に桜井は神妙な表情で頷く。

「トシヤンソンは実はもうゆーちゅーばーですらないんだ」

 静香に我慢の限界が訪れる。

「あああああああ……もう、知らない! 五月蝿うるさい! 聞きたくないッ!」

 静香は絶叫し突きつけられたタブレットを払い除けた。そして、腰を浮かせると腰に隠し持っていたくだものナイフを右手で抜いた。

「あああああああ……息子はいい子なぁのぉおお……」

 テーブル越しに茅野をナイフで突こうとする。

 ナイフの切っ先が、茅野の顔面に迫る――

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