【13】後日譚


 二〇二〇年五月十八日の夕方頃だった。

 藤見市郊外のショッピングセンターで、天井のシャンデリアが落下するという事故はニュースでそれなりに大きく取りあげられた。

 流石の桜井と茅野も、これには驚いたようだった。

『しかし、恐いねえ……あたしたちが、ショッピングセンターを出たすぐあとじゃん』

 と、ビデオ会議アプリの画面に映った桜井が言った。

 それを自室の机の上のノートパソコン越しに眺めながら、茅野循は頷く。

「本当に運がよかったわ」

『被害者は一人だけだって……』

「まあ、その人にとっては、最悪の不運ね……」

 と、言って、茅野循はドクターペッパーのリングプルを開けた。

 当然ながら、その被害者が大津神社で丑の刻参りを行っていた事など、二人は知るよしもない。

 ……なので、特に二人は興味を持つ事もなく、この話題についてはここまでとなった。

『……そういえば、今日は自動車学校に申し込んだよ』

「へえ」と、感心した様子で、ドクターペッパーを一気に煽る茅野。

『何とか誕生日までに、免許習得を目標にしたいものだねえ』

「そうすれば、公共交通機関に頼らなくてよくなるから、移動に関する感染対策は万全ね」

『スポット探索がはかどるよね』

 世界がどうなったとしても、いつも通りの二人であった。

 桜井と茅野の心霊スポット探訪は、まだまだ終わらない。




 その翌朝だった。

 幽霊騒動が終息した戸田家では、キッチンから食欲をそそる味噌汁の匂いが漂ってくる。

「ああぁ、おはよう」

 と、欠伸あくびをしてリビングに姿を現したのは、戸田純平であった。

 彼は奥のキッチンで朝食の準備に勤しむ美月に向かって声をかけた。

「何か、手伝おうか?」

「それじゃ、そこにお皿を並べてくれない? あとトーストもお願い」

「あーい……」と眠そうに欠伸をしながら、食器棚から皿を取り出そうとしてふと気がつく。

「楪は? まだ寝てるのか……」

 あの捕り物のあった日以来、楪は再び自分の部屋のベッドで眠るようになった。

 それはいいとしても、自粛期間中とはいえ寝坊はいただけない。

 分散登校がもう少しで始まる。生活のリズムを乱してはならない。

 しかし、そんな戸田の懸念けねんを他所に美月は弓なりに目を細めて微笑む。

「あの子、もう起きてるわよ」

「え……そうなのか?」

「今日から、毎朝マラソンをするんだって」

「へえ……」

 楪はあまり身体を動かすのが得意ではない。どういう風の吹き回しかは知らないが、苦手を克服しようとしているのはいい事だと感心し、皿を並べ終えたところで……。

 リビングの扉が開きジャージを着た楪が姿を現す。その額には汗がにじんでいた。

「あ、おはよう。パパ」

「お、楪。ジョギングか。偉いな」

「うん。パパ……」 

 楪がダイニングの方へとやってくる。

 そして、力強く宣言をする。

「私、いっぱい身体を鍛えて、いっぱい勉強して、あの二人みたいな格好いい正義のゴーストハンターになるよ!」

 これは美月も初耳だったらしく「あらあら……」と驚いた様子であった。

 戸田は、まだ寝癖の残る頭をポリポリと書きながら考える。

 せっかく、やる気になっている娘を応援すべきなのか、断固として止めるべきか……。

 何にしろ、可愛い娘があの二人のように成長してしまったらと考えると……恐ろしいやら、頼もしいやらで、変な笑いが喉の奥から漏れた。

 そんな父を見て、楪はきょとんとした表情で首を傾げるのであった。




 六月になり夏の気配が漂い始めたある日の昼下がり。

 藤見市の寺町通りの一画にある墓地で、喪服を着て佇む男の姿があった。

 鈴木要である。

 彼の目の前にある墓石には、亡き妻の名前が刻まれていた。

「なあ……俺は、どうすればよかったんだ」

 泣きそうな顔で問いかける鈴木。しかし、その声に答える者はいない。

 代わりに墓地を取り囲む竹藪たけやぶが、風に吹かれてざわりと揺れた。

 鈴木は赤坂友利の死を目の当たりにして確信した。

 やはり、彼女が妻を呪い殺したのだ……彼女は、その代償を支払わされたのだと……。

 きっと、自分にできる事など何もなかったのだ。

 心の中では、そう踏ん切りがついていた。しかし、それでも、彼は問わずにはいられなかった。

 そのときだった。

「なあ……美里・・

 不意に、ずっと心の中に沈んで出てこなかった彼女の名前が唇の隙間から流れ落ちる。

「ああ……」

 その瞬間、鈴木は大きく目を見開き……しゃがみ込んで嗚咽おえつした。

 病禍から立ち直ろうとあがき続ける世界と共に、彼の止まっていた時間も、ゆっくりとではあるが未来に向かって歩き始めた。






(了)

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