【01】事故物件


 二〇二〇年二月十一日だった。

 建国記念日のこの日、桜井梨沙と茅野循は、県庁所在地の郊外を走る白いタントの後部座席に腰を落ち着けていた。

 窓の向こうに広がる空は晴れやかな青で、気温も例年より暖かい。

 遠出をするには申し分ない天候であったが、彼女たちがこれから赴こうとしている場所からすると、似つかわしい日和とは言えなかった。

「……私も幽霊とか超常現象とか、そういうのは信じていなかったんだけどね」

 そう言って不安げな顔をするのは、ハンドルを握るベリーショートのスレンダーな女性だった。

 小松梓こまつあずさという名前の大学三年生だった。来津市の蛇沼地区出身である。

 軽音楽サークルに所属しており、ガールズデスメタルバンド“葬儀屋キルタイム”でリズムギターを担当している。

 今回、同じく蛇沼出身で仲の良い西木千里の仲介で、桜井と茅野の二人に心霊相談を持ち掛ける事となった。

 どうも彼女の住んでいる部屋が、いわゆる事故物件らしい。

 因みに、その西木は助手席に座り、小松の話にじっと耳を傾けている。

 今日にいたるまで、小松と茅野はSNSで何度かやり取りを交わしていたので、彼女が一緒にくる必要は特になかった。

 どうも茅野が小松のバンドの楽曲に興味を抱いたらしい。

 しかし、初対面であるし、三人と顔見知りである自分がいた方が良いだろうと気を使ったのだ。

 ともあれ、依頼者の小松は不安げな顔で話を続ける。

「……でも、やっぱ、ちょっと気になってね」

 事の経緯は以下の通りである。

 昨年の秋頃だった。

 小松は同棲中だった彼氏と大喧嘩の末に破局した。彼女は着の身着のまま、かつての彼氏との愛の巣を後にする。

 因みに喧嘩の原因は彼氏の浮気らしい。家を出る前に右ストレートを鼻先にぶちこんだそうだ。

 始めのうちは車内泊や友人宅を転々としながら暮らしていたが、次第に不便さと友人たちに迷惑を掛けているという罪悪感が大きくなり、新しい住居を探す事にした。

 これが十一月も終わろうかという時期だったらしい。

 しかし、急な事で何の準備もなかった為にお金がない。

 元々、彼氏の借りていた部屋に転がり込む形で同棲を始めたので、家具類など生活に必要なものも持ち合わせていない。

 地方なので、アパートの入居に掛かる費用はそこまで高くないとはいえ、やはりまとまった額は必要になる。

 実家に頼るという手もあったが、彼氏と大喧嘩した末に路頭に迷っているなどと両親には絶対に知られたくなかった。

 どうしたものかと悩んでいたところ、サークルの先輩から耳寄りな話を入手する。

 大学から車で五分。敷金礼金なし。駐車場、バス、トイレつき。家賃一万八千円のワンルーム。

 田舎の学生用アパートにしても破格である。

 それが、たった今、四人が向かっている『グリーンハウス二〇一号室』であった。

「正直ね、内見の時に嫌な感じがしたんだ。でも、それは事前に告知事項を聞いていたから、そう思えただけなんだろうって……」

 小松が不動産屋から聞いた話によると、二〇一九年の四月頃、このグリーンハウス二〇一号室で暮らしていた大学生が死んだらしい。

 当時、小松と同じ大学に通う二年の男子学生だったのだという。

「死因は解りますか?」

 という、茅野の質問に、小松はルームミラーを横目で見ながら答える。

「心筋梗塞らしいけど……ベッドの中で眠ったままっていう話」

「病死か……自殺とか殺人よりは、マシな気がするけど、良く部屋を借りる気になれたよね」

 ぞっとしない表情の西木。小松は「切羽詰まってたからね」と笑って、話を本筋に戻す。

「それで、最初におかしな事があったのは……」

 グリーンハウス二〇一号室に入居をはたして数日後だった。

 ゼミの先輩が、いらない家具を処分できずに困っているらしく、それを譲ってもらえる事になった。

 そこで小松は三人の友人たちと車二台に分乗して、その先輩の家に行き家具を運び出した。

 そしてグリーンハウスへと向かったのだが……。

「駐車場までやってきて車を停めて、さあ、部屋に運ぼう……って、なったときにリンシャが……」

 中国からの留学生である趙琳霞チョウリンシャが、騒ぎ始めた。

「急に『行きたくない』って、言い出して理由を尋ねると、早口の中国語で何か言い始めて泣き出して……」

「彼女が何と言っていたかは、覚えていませんか?」

 その茅野の質問に、小松はハンドルを握ったまま肩をすくめる。

「私、中国語は解らないし……ただ、グリーンハウスを指差して“グイジャイ、グイジャイ”って……」

「グイジャイ……どういう意味なの? 循」

 桜井の問いに茅野は思案顔を浮かべたまま答える。

「たぶん“鬼宅グイヂァイ”ね。お化け屋敷って事よ」

「ふうん。中国語でスポットって事ね」

 得心した様子で頷く桜井。そして、小松に質問する。

「そのリンシャさんって人は、もしかして視える人だったり……?」

「さあ……今住んでる部屋が事故物件っていうのは事前に話していたんだけど」と苦笑する小松。

 手伝いを頼んだときは、特に怖がる様子は見せなかったのだという。

「じゃあ、グリーンハウスを“お化け屋敷”呼ばわりする事自体に不思議はない訳か」

 と、西木。

「でも、何故、そのタイミングで嫌がり出したのか、ていうのは気になるねえ」

 桜井が鹿爪らしい表情で考え込む。

 すると小松が少し呆れた様子で笑う。

「ちょっと、変わった子だからね、リンシャは。中国人の知り合いなんて彼女しかいないから良く知らないけど、中国人の中でも変わり者だったんじゃないかな?」

 因みにこの日以来、微妙に避けられているのか小松は趙琳霞と顔を合わせていないらしい。

「不思議ちゃんだったんだね。その人」

 桜井の言葉に小松は何かを思い出した様子で「そういえば……」と話を切り出す。

「リンシャと始めて会ったとき、私の事をじっと見てさぁ、何かおかしな事を言われたんだ。中国語で。どういう意味かって、聞き返しても教えてくれなくてさ」

「どんな事を言われたのか覚えていますか?」

 茅野の問いに小松は記憶を探りながら答えた。

「確か……シーチュン……いや、シーチェンだっけな? 『シーチェンフーテー』みたいな感じ?」

「循、どういう意味?」

 茅野は首を横に振る。

「いくつか候補は思いつくけど、正確な発音を聞いてみない事には何とも言えないわね」

 と、言ってから、脱線しかけた話を元に戻す。

「……それから、どうされたんですか?」

「えっと、それでリンシャが泣きながら『帰る』ってごね出して、仕方ないから駅まで車で送って……それから、私と残りの二人でもらってきた家具を運びいれて……」

 本来なら小松の新居――グリーンハウス二〇一号室で引っ越し祝いと失恋記念という名目で、朝まで酒を飲む予定だったのだという。

 しかし、趙琳霞のお陰で微妙な空気となり宅飲みは中止。解散となった。

 その日は早々と寝たのだという。


「……それで、その日、あの夢を見たのよ」

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