【File22】グリーンハウス201号室

【00】ミートトレイン


 電車の走行音と振動。

 すべての吊り革が同じリズムで揺れている。

 明滅めいめつする天井の蛍光灯。

 光から闇……闇から光へ。

 車内が照らされるたびに壁と床が紫色に光る。

 同時に、まばらに座る他の乗客たちの黒い影が亡霊のように浮かびあがり、また再び闇へと沈む――。


 矢島直仁やじまなおひとは、自分がいつの間にか電車の四人がけの席に座っていた事に戸惑い、周囲を見渡す。

 アルコールのせいで重たく鈍った頭を抱えて、必死に記憶を手繰り寄せた。

 ……この日はインカレサークル関連の飲み会だった。

 義理で出席した退屈な会だったので、乾杯のあと適当に飲み食いして早々に帰路へと着いた。

 居酒屋を出て、そのまま駅へと向かわず、交際半年となる君田優子きみたゆうこを呼びつけて送ってもらう事にした。

 居酒屋近くの路地で待ち合わせ、仕事終わりで不機嫌そうな君田の車の助手席に乗り込み、下宿先である『グリーンハウス』へと向かった。

 その玄関前で、君田に『泊まっていかないか』と誘いをかけたら、キレ気味で断られた。

 仕方なく自室へと向かい、水を飲んで服を脱ぎ散らしながら着替えて、身体がだるかったのでシャワーも浴びずにベッドへとダイブする。

 そのまま就寝したはずだった。

 では、この電車は、何なのだ……矢島は再び車内を見渡す。

 明滅する明かりに浮かびあがる乗客は、年齢や性別はまちまちだ。

 みんな正面をじっと見つめて微動だにしない。

 ときおり、がたん……と、電車が大きく震えると、一斉に頭を揺らす。

 まるで人形……いや、死体のようだ。その自らの想像に怖気が込みあげる。

 次に矢島は左隣の窓硝子に写る自分の姿を見た。

 服装は寝る直前に着替えた部屋着のスウェットである。そして足元は裸足だ。

 窓の向こうは暗闇に包まれ、何も見えない。地下鉄なのか、トンネルの中を走っているのかは、判然としなかった。

 夢なのか……そう思って頬を擦ったり、つねったりしてみるも、その感触は恐ろしくリアルだった。

 とても泥酔した自分が見ている夢のようには思えない。

 じわりとてのひらにじんだ汗を、ももの上でぬぐう。

 すると次の瞬間だった。

 ぷつ……ぷつ……と、ノイズの音が聞こえ、車内アナウンスが鳴り響く。


『……の列車は特急……号……行き……』


 徐々に途切れ途切れの音声がはっきりしてゆく――。


『次は……グリダ……エグリダシです。お出……は……側です。乗り換えはできません』


「は?」

 矢島は思わず声を出す。

 “乗り換えはできません”

 彼は鉄道に詳しい訳ではなかったが、そんな車内アナウンスは聞いた事がない。そして“エグリダシ”

 聞いた事のない駅名だ。しかし、心当たりがあるような気がした。

 確か……何年か前にネットで……と、そこで後方から唐突に聞こえてきたガタガタという音で思考を中断させられた。

 矢島は首を捻り、背もたれ越しに後ろを見た。

 すると、後部車両へ続く連結部分のドアが開かれて、その向こうから誰かがやってくる。

 どうやら車掌のようだった。

 ずいぶんと背が高い。目深にかぶった帽子と、明滅する明かりのお陰で、その面差しはうかがえない。

 何かを右手に持っている。四角くて平たい、取っ手のついた何かを……。

 矢島が目を凝らしていると、車掌は後方右側の二人がけの座席に座る髪の長い女に向き直る。そして、右手を高々と振りあげた。

 次の瞬間、蛍光灯が明滅し光から闇へ……闇から光へ。

 そこで矢島は気がついてしまった。車掌の右手に握られた物。それが大振りの肉切り包丁である事に……。

 思わず声が出そうになり、矢島は両手で口元を覆う。

 ギロチン染みた凶刃が、女の頭頂部に振りおろされる。

 走行音を割って聞こえる湿った音。

 女の頭部がガクリと揺れて、上半身が前方に傾ぐ。

 そこへ再び包丁の一撃。

 何度も……何度も……背中を打つ。

 飛び散る鮮血。女は椅子から転げ落ち床に倒れる。

 車掌は屈むと、懐から取り出したアイスピックのような器具で、彼女の眼窩がんかをグリグリとやり始めた。

 そうして、えぐり出した・・・・・・眼球を明滅する蛍光灯に掲げ、ニヤニヤと笑い始める。

 そのとき彼の顔が光に照らされてはっきりと見えた。茶色い体毛に縁取られ、深いしわが刻まれている。口元が前方に突きだし、鼻が潰れていた。

 それは、まるで動物の猿のような……。

 光から闇、闇から光へ。

 明滅する光の中に浮かびあがったその光景は、まるでコマ送りの映像のように、カクカクと展開される。

 また、ぷつ……ぷつ……と音がして、車内アナウンスが始まる。


『次は……イケヅ……イケヅクリ……』

 

 矢島は絶叫した。

 気がつくと自室のベッドの上だった。




 入鹿卓志いるかたくしは、深夜の住宅街を歩いていた。

 もう少しで大きな交差点が見えてくる。その右手から続く満開の桜並木の坂道を登った先にある緑色の少し変わった建物。それが、彼の下宿先であるグリーンハウスであった。

 この日はアルバイトでシフトが終わると、早々に駅へと向かい帰路に着いた。

 電車に乗って最寄り駅で下車すると、そのまま徒歩で駅裏にあるグリーンハウスを目指しているところだった。

 ともあれ、百メートルほど前方にくだんの交差点が見えてきたとき、彼の肩かけ鞄の中でスマホが鳴った。

 取り出してみると、同じくグリーンハウスで暮らしている矢島直仁からだった。

 入鹿は電話ボタンをタップして受話口を耳に当てる。

「もしもし……直仁、どったの? 麻雀のメンツ、足りねーのか?」

 呑気な入鹿のしゃべり方とは対照的に、矢島の声は切羽詰まったものであった。

『入鹿……俺、その……あの……』

「何だよ?」

『俺……おかしな夢を見ちまって』

 その言葉を聞いた入鹿は鼻を鳴らす。

「夢? エロい夢でも見たのか?」

『馬鹿、ちげーよ! お前、確か、こういうの詳しかったよな?』

「はぁ? こういうの?」

『だから、オカルトとかそういうやつだよ!』

 半ばキレかけの矢島に、入鹿は苦笑する。

 そのとき、彼はちょうど交差点に足を踏み入れたところだった。

 深夜のため、交通量はない。

 入鹿はスマホ越しに矢島へと語りかけながら横断歩道を渡り出す。

「……落ち着けよ。幽霊でも見たのか?」

 左側から猛スピードでトラックが迫る。

『ちげーよ。だから、夢だよ! 確か俺、昔、ネットか何かで見た事があるんだ』

「ネット? 何だよ、それ」

 歩行者用の信号は赤だった。しかし、入鹿は気がつかない。

『あれって、確か、猿ゆ……』

 その瞬間だった。

 凄まじい衝撃音。

 横断歩道を渡ろうとしていた入鹿の身体が宙を舞う。

 彼の右手からスマホが離れ、アスファルトの上に落下する。

『入鹿!? 今の音、何だよ? 入鹿ッ!!』

 矢島の声が虚しく響き渡る。

 そのひび割れたスマホの画面に、一枚ひとひらの桜の花びらが静かに舞い降りた。

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