【01】鴉


 二〇一九年の六月半ばの日曜日だった。

 桜井梨沙と茅野循は藤見市の西に位置する白鈴地区しろすずちくへとやってきていた。

 心霊スポット探訪である。

 これで五十嵐脳病院、ギロチン踏切に続き三スポット目であった。

 古びた住宅街を抜け、建ち並ぶビニールハウスの前を自転車で横切る二人。

 用水路沿いに延びた農道を進み、小さなお社の前を通り過ぎる。

 すると田園地帯の真っ只中を突っ切るように続く農道の先に、黒々と生い茂る雑木林が見えた。その中に埋もれた赤い三角屋根と風見鶏が、木々のこずえの間から覗いている。

 その三角屋根を見据えながら、桜井梨沙は問うた。

「……で、今回の“風見鶏の館”はどんな場所なの?」

「髪の長い女の幽霊が出るらしいわ」

「へえ……怖いねえ」

 と、まったく怖がっていなさそうな調子で返事を返す桜井。

「元々は、どこかの社長の別宅だったという話らしいんだけれど……」

「ふうん。何にしろ、この前のギロチン踏切は普通の踏切だったし、風見鶏の館には期待したいねえ」

「まったくよ。今度こそ、お願いしたいわ……」

 と、茅野は嘆息たんそくする。

 そうして二人は農道の先にあった雑木林を割って延びる小道の前に到着した。

 二人は小道の入り口辺りの茂みに、自転車を隠すと雑木林の中を進む。

 足元は砂利敷きで深いわだちがあったが、道の中央には長く伸びた雑草が生い茂っている。人が頻繁に訪れている形跡は見られない。

 そして、桜井と茅野が小道に入った途端に羽ばたきの音と、まるでしゃがれた赤子のような鳴き声が頭上から響き始めた。

「うわあ……鴉さん、いっぱいだねえ」

 桜井が頭上を見あげて呑気そうに言った。

「きっと、ここを根城にして近隣の農作物を強奪しているのね」

「なるほどねえ。農家の人にとってはゴブリンみたいなものなんだね。鴉って」

「流石に人間の女性をさらったりはしないけれど、農家の人たちは鴉をスレイするのに随分と苦労しているそうよ」

 ……などと雑談を交わしながら、その高い塀にしつらえられた大きな門の前に辿り着く。

 錆びついた格子の門扉は観音開きで、桜井の身長よりも高い。蝶番ちょうつがいが壊れているらしく、ほんの少しだけ開いていた。

 その隙間を潜り抜け、二人は敷地内へと侵入を果たす。

 門の内側には、かつては美しかったであろうプールつきの庭が広がっていたが、今は見る影もなく荒れ果てている。プールの澱んだ水面は汚ならしいに覆われていた。

 館は門の正面より左寄りに建てられており、玄関は右の側面にあった。

 その円筒の柱に支えられた玄関ポーチの屋根の上は、どうやらバルコニーになっているようだ。

 門から続く煉瓦敷きの小道を挟んで、玄関ポーチの向かいに、細長いガレージらしき建物がある。

 見える範囲の窓には、すべて木板が外から打ちつけてあり、思ったより荒れている様子はない。

 そして赤い三角屋根のいたるところに、羽を折り畳んだ無数の鴉がおり、桜井と茅野の事をビー玉のような瞳でじっと見おろしていた。

 茅野がデジタル一眼カメラの撮影準備を整え、二人は玄関へと向かって歩き始めた。

 すると、鴉がぎゃあ……ぎゃあ……と鳴き声をあげて屋根の上を飛び交い始める。

 桜井はその様子をネックストラップに吊るしたスマホで、ぱしゃぱしゃと撮影しながら言った。

「凄い歓迎振りだねえ……」

「歓迎されているようには思えないのだけれど、鴉は古今東西、いにしえの時代から死と不吉の象徴よ。……これは、盛りあがってきたわね」

 茅野が実に楽しそうに笑った。

 そうして、特に何事もなく玄関ポーチに辿り着く二人。

 石段のステップを登り、桜井が何の躊躇ちゅうちょもなく扉を開こうとするが……。

「あれ……? 駄目だ。開かない」

 鍵が閉まっていた。

「どうしよう……? 他の入り口を探してみる?」

 と、桜井が尋ねると、茅野はしばし近くの木板で閉ざされた窓を眺め、思案してから首を横に振る。

「いいえ。残念だけど帰りましょう。建物の状態を見るに、それなりの頻度で管理者が訪れているようだし……」

 桜井がドアノブから手を放し、茅野の提案に首肯する。

「そだね。不法侵入はよくないし……」

「もう不法侵入はしているのだけれど……それは、まあいいわ。そうと決まれば、とっととずらかるわよ。梨沙さん」

「らじゃー」

「そういえば、例の少女連続誘拐殺人事件の最初の被害者の出身がこの辺りだったわね」

「犯人、まだ捕まってないんだっけ?」


 ……と、このように後の彼女たちを知る者からすると、驚くべき事かもしれないが、この頃の二人は鍵の閉まった扉を前にしてあっさりと引きさがれる分別を持ち合わせていたのである。

 もっとも、この頃の茅野はピッキングをする事ができなかったので、もしもその技術を習得していたら、やはり無理やり侵入していたであろうが、それはさておき……。


 この“風見鶏の館”の事を桜井と茅野はしばらくの間、忘れていた。


 二人がその存在を再び思い出すのは半年以上経ったあとだった――




 二〇二〇年一月十五日の放課後。

 その日のオカルト研究会の部室は、倦怠感けんたいかんに包まれていた。

「じゅんえもーん」

「人の名前を青い猫型ロボットを呼ぶような感じで呼ばないで欲しいのだけれど、それは、さておき……何かしら? 梨沙さん」

 茅野は黒死館殺人事件の文庫本から視線をあげ、テーブルの上にだらりと身を投げ出す相棒を見た。

 すると桜井は、のそのそと姿勢を正しながら訴える。

「そろそろ、心霊スポットへ行きたいよ……」

「最近、禁断症状が出るの早すぎないかしら?」

 茅野は呆れながら笑う。

 すると、その直後だった。

 部室の扉が元気よく開かれる。

「ちーす。桜井ちゃんに茅野っち」

 西木千里である。そして、その彼女の肩越しにおっかなびっくりといった様子で、部室内を覗く一人の女子の姿が……どうやら、ループタイの色からすると一年生のようだ。

「ちーす。西木さん」

「あら。こんにちわ。そちらの一年生は?」

 と、茅野が促すと、西木はその一年の腕を引き、部室内へと強引に引き入れ、扉を閉めた。

「依頼者を連れてきたよ。この子、写真部ウチの一年生で、羽田継美はだつぐみ

「どうも……」

 と、か細い声で最低限の挨拶をする羽田。三つ編みのおさげに、赤い縁の眼鏡。如何にも気が弱そうである。

 そんな彼女を強引に空いた席へと座らせて、自分もその隣に腰をおろす西木。

「彼女、困っている事があってさ……」

 そこで桜井はなぜか感動した様子で「おお……心の友よ……!」と、言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る