【09】禁忌


「お、おおお前ら……何の話をして……何の話をしているんだよ……」

 豊治は叫び出したくなるのを堪え、どうにか言葉を発した。するとルームミラー越しに映った黒髪の少女が妖しく微笑む。

「大丈夫よ。落ち着いて。多分、禁忌を犯していなければ、貴方もちゃんと帰れるわ」

 そこで小柄な少女は問うた。

「その禁忌って、何?」

 すると、ルームミラーに映り込んだ黒髪の少女が右手の指を一本立てる。

「一つは、この世界の事を外の世界で広めない」

「あー、そう言ってたね。天狗のお爺さん」 

 小柄少女は得心した様子で頷く。

 そして黒髪の少女が、もう一本指を立てる。

「もう一つは……ここで、思い出して欲しいのだけれど、あの二〇〇四年に立てられたスレのブラザーの最後の書き込み」



499: ブラザー◆likja93nk 10/06(水)23:25 ID:※※※※※※※※


黄泉と吉



「……ああ。|黄泉(よみ)と|吉(きち)だっけ?」

 小柄な少女の言葉に黒髪の少女は頷くが、豊治には彼女たちが何の話をしているのか解らない。

「おい。二〇〇四年のスレって何だ?」

 黒髪の少女は「後で『ブラザー 霧先橋』あたりで検索して頂戴ちょうだい」とにべもなく言い放つ。

 小柄な少女が豊治を無視して話を元に戻す。

「それで、黄泉と吉って、どういう意味なの?」

「あれは、恐らく誤変換よ。本当は黄泉戸喫よもつへぐいと打とうとしたんじゃないかしら?」

「よもつ……へぐい?」

 小柄な少女は眉間にしわを寄せ、その聞き覚えのない言葉を繰り返す。

 豊治は雑に扱われた事について腹を立ててはいたが、もう話の腰を折るような事はしなかった。

 黙って黒髪の少女の話に耳を傾ける。

 くだらない……そう思いたかったが、それでも少女の話をまったく無視する事ができない。

 無視したら、取り返しのつかない事になる……そんな予感がした。

きいろいずみに、青森の八戸はちのへ……そして、喫茶店の喫という字で“ぐい”と読ませるの。きっとブラザーは“”の漢字を“と”で出そうとして“ぐい”を“きつ”で出そうとした」

「ふうん。だから“黄泉ときつ”って誤変換しちゃったんだね」

「そうよ。きっと、あのレスを書き込もうとしていた時、ブラザーは、かなり切羽詰まった状態で慌てていたんじゃないかしら」

「ああ。あの天狗のお爺さん、ブラザーさんに『罰を与えた』とか言ってたもんね」

「そうね」

 豊治には二人が何の話をしているのか解らない。

 解らないが、これだけは理解できる。

 普通ではない。

 こんなのはイカれている……。

 まともではない。きっと、これは悪い夢だ。

 黒髪の少女が、一瞬だけルームミラー越しに豊治へと視線を合わせ、面倒臭そうに溜め息を吐いた。

 小柄な少女は豊治の事など忘れたかのように、黒髪の少女との会話を続ける。

「んで、結局はその黄泉戸喫って何なんなのさ?」

「黄泉戸喫というのは、あの世のけがれた物を口にする事よ。そうすると、二度と現世へは戻れなくなるの。古事記のイザナギとイザナミや、ギリシャのペルセポネなど、死者の世界にまつわる神話に見られる決まり事ね」

「じゃあ、あのままお膳のごちそうを食べていたら……」

「帰れなくなったでしょうね。それが、もう一つの禁忌よ」

「……セーフ」

 小柄な少女が両手を胸の前から水平に開き、安堵あんどの溜め息を漏らす。

「でも、何で? 何であの世の食べ物を食べちゃうと帰れなくなるの?」

 黒髪の少女が、その疑問にも答える。

「それにも、諸説あるみたいだけど、大昔……古代ともなると、今とは違って食料を得るには、労力と時間がずっとかかった。肉が欲しければ狩りへ、魚が欲しければ漁へ。どちらも一食分を得るのに、命の危険に曝される事もあった。作物だって長い時間をかけて畑を耕しても天候などによって受ける収穫量の幅は、今よりもずっと大きかったわ」

「まあ、お腹が空いたら、ちょっとコンビニへという訳にはいかないよね」

「……だから、食料を得るには共同体が全員で力を合わせなければならなかった。つまり食料は共同体の財産だった。当然その財産を頂戴するという事は、見返りとして共同体の一員となり、その共同体の力にならなければならなかったの」

「ああ。“同じ釜の飯を食う”なんて言うもんね」

「そうね。昔は『食を共にする』という行為から生まれる仲間意識や集団への帰属意識が今なんかよりもずっと強かった。要するに、昔は『食事を共にする』という事そのものが、その共同体に属するという契約だったのよ。恐らく、そこには呪術的な意味合いもあるのでしょうね」

「成る程ねえ……だから『今のままなら帰れる』って、天狗のお爺さんは言っていたのか」

 と、小柄な少女が納得したところで、リーフはあの橋へと辿り着く。

 橋の真ん中で黒髪の少女が声をあげる。

「ここで、降りるわ。停めて」

 豊治は、これ以上、頭のおかしい話を聞いていたくなかったので、言われた通りブレーキを踏んだ。

 小柄な少女が「おつかれ様ー」と言って後部座席から降りた。黒髪の少女は黙ったまま、ルームミラーに視線を置いている。

「な、何だよ……?」

 豊治が訊くと、彼女は無言で首を横に振る。

「気をつけてね?」

 そう言い残して車を降りた。

 豊治は首を傾げたが、考えてもよく解らなかったし、解りたくもなかったので再び車を走らせた。

 バックミラーに映る二人の少女の姿が遠ざかり闇に飲まれる。

 橋を渡りきったあと、周囲を漂っていた霧が消えている事に気がついた。

 そこで、唐突にカーナビの電源が入る。現在地を示すマーカーは、ちゃんと山中の峡谷を貫く山道の上にあった。

「結局……何だったんだ……? あの女の子たちは、いったい……」

 豊治は訳が解らないまま、再び水野の死体を埋める場所を探す事にした。

 夜空の雲間には、煌々こうこうと輝く満月が浮かんでいた――

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