【27】上陸


 埠頭ふとうから遠ざかる警備艇を背に三人は島の北側を目指す。

 船はいったん帰らせて、日没頃にまたきてもらう。箜芒甕子の被害を防ぐ為だ。

 そこで港に三人の姿がなかったら、すぐに穂村へと連絡が行くようになっていた。

「さてと……九尾センセ。気分はだいじょうぶ?」

「ええ。大丈夫。申し訳なかったわ」

「船上で魚のエサを撒き散らしていたとは思えないほど、キリッとした顔つきだね」

「それは言わないで……」

 九尾はどんよりとして周囲を見渡した。

 十年前、辛うじて姿を残していた港に建ち並ぶ倉庫は、倒壊して朽ち果てている。

 その瓦礫の合間のいたるところに、亡霊たちが佇んでいた。

 霊の気配が周囲をぐるりと取り囲むように満ちている。感覚が麻痺してゆく。十年前のあの日と同じだった。

「それじゃあ、行きましょう」

 と、デジタル一眼カメラの撮影準備を整えた茅野が言う。しかし九尾はそこに待ったをかけた。

「あ、ちょっと、待って……忘れてた。これを……」

 九尾は己の肩かけ鞄から、消臭剤のスプレーボトルを取り出す。

「ファブリーズ? 何で?」

 と、首を傾げる桜井に、九尾はスプレーを浴びせかける。驚く桜井。

「ちょっ! どしたの!?」

 続いて茅野にも振りかけた。

 しかし、彼女は桜井とは違って納得した様子だった。

「成る程……香食こうじきね」

「こう……じき……?」

 首を捻る桜井。彼女の疑問に茅野が答える。

倶舎論 くしゃろんという仏教の経典によれば、死者の食べ物は香りであるらしいわ。仏壇に線香をあげるのも、その為ね」

 得心した様子の桜井。

「じゃあ、もしかして、お供え物とかも、霊は匂いを食べてるんだー」

「そうね。それに生臭いいわしの頭を玄関先に吊るしたり、西洋でも大蒜にんにくなどの臭いのきつい物が魔除けになったりするわ」

「ああ。ドラキュラだね?」

 茅野が首肯する。

「つまり、霊は香りに反応しやすい。……これは、一種の魔除けなのね? 九尾先生」

 話の水を向けられた九尾は頷く。

「そうよ。理屈は解らないけど、消臭スプレーは、悪霊避けの効果が高いのよ。けっこう、バカにならないくらい」

「ふうん……なら、今度のスポット探索のときは一本持っていこう」

 桜井は感心した様子で頷く。

「これで少しは箜芒甕子が此方に気がつくのを遅れさせる事ができる。それに、もう、周りには霊がいるわ……箜芒甕子と戦う前に余計な霊を引き寄せたくない」

「え……今、この辺りに霊がたくさんいるの?」

 桜井がキョロキョロと辺りを見渡す。

「ええ。わたしたちにはほとんど興味を示していないけど、あまり刺激しない方がよいわ」

 九尾は神妙な顔で言った。

 すると茅野が地図を片手に歩き出す。

「それじゃ、まずは清竜寺を目指しましょう」

 桜井と九尾も後に続いた。




 島の中央に盛りあがった丘の斜面に建ち並ぶ廃墟の町並み。赤松や杉の森。

 その合間をぬって延びる道を進む。定期的に消臭スプレーを噴霧ふんむしながら……。

 そうして三人は島の北側に辿り着く。

「これはまた、壮観だね」

 桜井はそう言って、スマホのカメラで撮影する。

 そこは墓地だった。

 茶色くなった雑草の茂みに古い墓石がいくつも埋もれていた。ボロボロに風化しており墓碑銘はうかがえない。

 その忘れ去られた墓石が無数に林立する斜面を割って、蛇行する下り坂の先だった。

 海に向かって切り立つ断崖の縁に、こんもりとした赤松の木立があった。

 その中にくすんだ青い瓦屋根が覗いている。

「あれが、清竜寺?」

「そのようね」

 桜井の問いに茅野は地図を見ながら答える。

 三人は墓地の間を蛇行する下り坂を進む。

 その途中だった。桜井がおもむろに口を開いた。

「そういえばさあ……」

「何かしら?」

 と、茅野が反応する。それは、まるで何時もの通学途中にする雑談のような調子であった。

「その……北門口だっけ?」

「ええ」

「そこには、まだあるのかな? 島に戻ってきた箜芒甕子の入ったかめが」

「どうなのかしらね……あったら是非、中を開けて見てみたいけど」

「や、やめてよ!? 相手の御本尊ごほんぞんなんだから!」

 九尾が戦々恐々といった様子で言った。

 すると茅野は右手をパタパタと動かしながら笑う。

「大丈夫よ。そのかめの中の箜芒甕子の死体が急に動き出したりなんて事は、絶対にないから」

 やけに確信めいた言葉であった。

「そう思う理由も、まだ言えない?」

 桜井の問いに茅野は静かに頷く。

「そうね。……ただ、私がそう言っていた事は覚えていて頂戴ちょうだい

 またもや思わせ振りな様子の茅野に、桜井と九尾は顔を見合わせる。


 こうして、三人は清竜寺へと辿り着いたのだった。




 枯れて茶色くなった蔦の這う白い塀の向こうから、ずっと剪定せんていされていなかった赤松の枝が飛び出している。

 棟門の屋根は既に骨組みだけになっており、周囲には砕けた瓦が散らばっていた。

 境内は塀の際に立ち並ぶ赤松によって遮蔽しゃへいされている為か、空気はよどんでいる。薄暗く地面の雑草も少ない。

 そして、門前から延びた石畳の先にある本堂は物の見事に倒壊し潰れていた。

「これ、どうするの? 何か潰れちゃってるけど……」

 桜井が無惨な姿を眺めて言う。すると九尾が境内の右側を指した。

「あの井戸の底が北門口への地下道に通じているらしいわ」

 傾いだ鐘突堂かねつきどうの近くに古井戸がある。

 三人はその古井戸へと近づく。

 屋根が潰れて倒れており、赤く錆びた鉄格子の蓋が掛けられている。

 茅野がカメラのLEDライトで中を照らすと、壁面に脚を掛ける出っ張りがあり、真下に向かって並んでいた。底は色濃い暗闇に包まれており見渡せない。

 鉄格子の蓋にはボロボロの南京錠なんきんじょうが掛けられている。

「これ……ピッキングできるかしら? 錆びついていて動かなそう……」

 茅野が顔をしかめていると、桜井が「ちょっと、どいて」と言って、鉄格子を両手で掴みギシギシと揺らす。

 やがて、ボキリと鈍い金属音と共に、鉄格子の蝶番ちょうつがいが壊れて外れる。

「これでOKだよ」

「あ、うん。ハイ」

 にっこりと笑う桜井に驚愕する九尾。

 いくら錆びついて劣化していたとはいえ、あっさり鉄格子を破壊する膂力りょりょく……もはや女子高生のそれではない。

「それじゃあ、あたしが斥候せっこうしてくるよ。ちょっと待っててね」

 そう言って桜井が井戸の蓋をどかす。

「待って。洞窟探索には、これよ」

 茅野がリュックから三人分のヘッドバンドライトを取り出した。

「流石は循だね。用意周到だ」

「戦争というのはね、どれだけ有利な・・・・・・・状況で開戦できるか・・・・・・・・・が勝敗の鍵・・・・・を握るのよ・・・・・

「循ちゃんが言うと、説得力がありすぎるわー」

 九尾は呆れ顔で言った。

 三人はヘッドバンドライトを装着する。

「それじゃ、行ってきます」

 桜井は敬礼を一つして、何の躊躇ちゅうちょもなく井戸の底へとスルスルと降りてゆく。

 しばらくして……。


「いじょうなーし!」


 という桜井の声が井戸の底から響いてきた。

 茅野と九尾も後に続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る