142 亡くなった友達の事と繋がっていた時間と

 こんにちは。


 今日は先日亡くなった友達のお家へ、お花を届けに行ってきました。

 四十九日が終わるまでの間、祭壇のお花はどうしても一、二回替えないといけないので、その間に一度は届けてあげたいと思っていたのです。一番最初は葬儀の残りがありますからね。


 お気に入りの、ひぃちゃんの時に購入しているお花屋さんが日曜日はお休みという事で、土曜日の昨日、午前中に友達と注文していたアレンジを受けとりに行ってきたのです。

 本当は平日に受け取って、そのままうかがう事が出来たら、作り立てを持っていたのだけど……仕方ないですね。


 三人でお邪魔をしたのだけど、ステキなご両親でお話を聞けば聞くほど、こんなにステキなご両親を置いて行ってしまう彼女の気持ちも、残されたご両親の気持ちもズンズンと心の中に入って来て辛くて。

 彼女の子供の頃の事や、家での事、好きな食べ物や拘り、そして最後の事。色々話してくださいました。


 彼女の自分の最後はいつだと分かっていたような、不思議な言動の数々の話。

 異国で暮らすお姉さんには心配かけるので深刻な病状である事は秘密にしていたのに、意識が無くなる寸前でお姉さんの事を呼び、泣き叫び、どうしようもないからご両親が電話をかけて繋げたり、スマホの暗証番号を今まで教えた事が無いのに伝えていたり。


 また、以前、ご家族が亡くなられた時に、彼女は葬儀社の副社長さんと意気投合したそうで「私も見送って欲しい」と言ったそうです。もちろん副社長さんはそれなりのご年齢の方で、順番が違うと言っていたそうですが、今回、その言葉通りに副社長さんが葬儀にお顔を出し見送られていました。

 祭壇の横には大きくて立派な胡蝶蘭がお供えされていましたが、副社長さんからのお供えだそうです。

 彼女はそういう所があって……そういう所と言うのは、下世話な言葉で言うと“人たらし”。関わってしまうと好きになってしまう、真剣に向き合わないといけないと思ってしまう。そんな人でした。


 ご両親がおっしゃるには、高校を卒業して色んな人脈が出来て、その方たちに育ててもらい、だんだんと良い子になって行ったと。その言葉を聞き、私はその時は何も言わなかったけれど、確かに思い当たる節があるのです。


 初めて私が彼女に出会ったのは高校二年生の頃でした。もうすぐ三年生になるという頃だったと思う。

 優しく明るい彼女だけど、人を信じ切らない、心を開ききらないようなところがある子だな、と思っていたのです。それは私が似ているから匂いをかぎ取ったとしか言いようがないのだけれど。

 それから二十年もの歳月が流れて、彼女はそれを隠すのが上手くなったのではなくて、本当に人との距離が無い子になっていたのだなぁと。もう、いつの間にか最初の印象は忘れていましたが。

 あったばかりの頃は無意識に、私が警戒されていたのかもしれないですが(笑)


 本当に、優しくて頭が良くて、人の事ばかり考えている、そんな子でした。みんな彼女にしてもらったことばかりで何も返せていないと口をそろえていう。頭もカンも良いから、人に気を使わせないように気を使いまくるのです。だから最終的に、何も返せないままなのに、私たちからのお返しから逃れるように「別に気にしなくていいよ~、私、何にもしていないから~」と行ってしまいました。


 彼女は意識が無くなってからは声も出なくなったそうで、出せてもダミ声だったそうなのですが(きっと魘される様に出していたのかな?と)、亡くなる数日前に綺麗な声で「あ……、あ……、あ……、」と言ったそうで。でも言葉にはならなくて、何を言いたいのか変わらなかったそうです。

 お母さんは、何て言いたいのか聞きとってあげられなかったと仰っていましたが、私はきっと「ありがとう、大好き」って言いたかったんだろうなぁと、勝手に推測します。気を使いまくる彼女だから、行ってしまう自分の事よりも置いて行ってしまう者の事を思うでしょうから。

 でも軽々しく私が推測を言うべきでは無いと、言えなかったです。だって泣きながらも明るく笑顔で彼女の話をご両親がしているから。

 きっと、その笑顔が答えの全てです。


 そしてご両親は、高級料亭のお弁当まで用意してくださっていて(汗) 本当にこのご両親あっての彼女だと改めて感じます。

 大変恐縮しましたが、有り難くお弁当を頂きました。お話もしながら。私のしょうも無い話を色々してしまったなぁ……と今さら反省をしますが、真剣に聞いてくださって。一緒に行っていた友達の話も……。彼女はその友達Aの作品の大ファンで応援していたし話も広がります、もう人の友達Nは彼女と会った最後の友達で……疑うことなくその子が一番仲が良かったでしょう。あぁ、なんで私なんかがくだらない話をしたのか。ほんと、ダメダメです。「そういう所だぞ、私」


 しかし、なんというか……。仏の形をしているという指の骨を見せてもらっても、四十九日まで設えられる祭壇と向き合ってお線香をあげても、まだどこかに彼女がいる様で。

 昨日のライブのアーティスト繋がりで知り合った仲なので、昨日のライブでもどこかに彼女が紛れていそうで。……きっといたんでしょうね。

 

 大切な人が亡くなって思うのは、人はこのように悲しんで惜しまれて愛されて死ななければいけない、という事です。そういう生き方をしないといけない。早く居なくなって欲しいとか、居なくなって良かったと思わせる生き方はしてはいけない。

 彼女も、もちろんひぃちゃんも。十分すぎるくらい居なくならないで欲しかった人です。……大切な人が居なくなってしまった穴はどうあっても埋まるはずなんてない。その穴も受け入れて、それが自分だと生きて行かないといけないのでしょう。


 お宅をおいとましても、三人でお茶をして。また馬鹿な話を色々して。時々彼女を思って小さなため息を吐いて。そして帰宅したら、突然のものすごいゲリラ豪雨。気分をここで洗い流して区切りを付けないさいと言われてい様な、そんな豪雨と雷が短時間で過ぎました。


 一旦ここで、気持ちを切り替えないと……いけないですね。


 


 そういえば、昨日ライブ終わりに、先日作っていたワンピースを友達Aに渡したのですが、サイズがピッタリだったそうで、今日着て来てくれていました。

 いやぁ……あそこまでピッタリなサイズだったとは……、作った本人の私ですら、私の目視による採寸能力の高さが怖いです(笑)

 加えて友達から形見分けで貰ったネックレスをして。私も同様につけていました。

 そして友達Nは沖縄の友達にもらったミンサー織りのヘアゴムをしていて、私も同じミンサー織りのゴムをしていて。

 私は友達Aにもらったピアスもしていたし……みんな相談していたわけでもないのに、示し合わせたようにそうなってしまうのは、さすが20年来の友達だな、と口に出しはしなかったけれど頬が緩みました。


 もしも彼女が生きていて、今日一緒に食事でもしたのなら、彼女も交えて、それぞれのゆかりの物を身に付け、お揃いになったりしていたのでしょう(笑)

 過ごした時間が長いという事はこう言う事ですね。時間をかけて繋がった……アレな言い方をすると、絆とは消えないものなんだなぁと。もしも万が一ケンカなんかして、全てを消し去ろうと思っても繋がっていた時間が消えたりはしない、そういうものなのでしょうね。


 私もこの友達たちに確実に育ててもらっている。ひしひしとそう感じます。私は心が汚れている卑屈な人間なので。彼女たちに出会えてなかったらと思うと、とても怖い。




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